Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

悦びのハ長調への賛歌

2023-05-28 | 雑感
筋肉痛を感じる。同時に眼の周りも緊張感がある。どちらかにして欲しい。夕方に走って身体を解したいのだが、足の裏の状態が悪くなる可能性もあり、右膝ガクガク症状も治っていない。腰にも張りが感じられるようになってもいる。無理はしたくないのだが、運動しないと更に具合が悪くなりそうだ。ここで走れば一週間の運動量としてはまずまずになると思う。それで身体が潰れることになるとやはり拙い。

息は上がったのだが、心拍数を見るとどんなに力を入れても息苦しさは感じても136迄にしか上がっていない。重量挙げとはまた異なるが、意外に瞬発力が心拍数には影響していないので、もう少し何か工夫があるかもしれない。最初の115の山が洗濯屋に寄る所だったりと意外なところに山があって、森の中を車を走らせているところが一番低い。カロリー消費は間違いなく大きな壁を登れば可也大きい筈だが、時間対効果で中々合わない。更に神経も使う。もう少し筋力を戻さないとあまり自信も無い。

兎に角連休となるので、先ずは気を吐いて、ワインを開けて、精霊を充満させたいところである。

シュトッツガルトの新制作「アシジの聖フランシスコ」の舞台通し稽古があったらしい。舞台上だけでも総勢100人以上が舞台に乗り、200人規模の出演者の制作は1980年代のアロイスツィムマーマンの「ディゾルダーテン」以来で、シュトッツガルトでは初演となる。
Die Soldaten Stuttgart 1989 (Bernd Alois Zimmermann)


写真に出ていた舞台等での黄色い物質の意味はどうも太陽ではないかと分かった。聖フランシスカと言えば「太陽の賛歌」であり、フィナーレのハ長調の悦びにまでにどのようにそれが使われるのか。

そしてこれから野外での稽古に入るらしいのだが、オーガナイズだけでも大変な制作である。本当にそこ迄の芸術的な水準に至るのかどうか心配になるほどである。舞台を越えて野外には音楽劇場の壁を越えてはあるべき姿であるのだが、どこまで創作の本質に近づけることになるのか。

YouTubeには楽譜付きでケントナガノ指揮の全曲が上がっている。DLはしておいたが、ザルツブルクでの公演と同じ面々であり、何か思い出すことがあるだろうか。早めに楽譜にも眼を通しておけるのは助かる。

劇場のサイトのように聖人の方へとフォーカスが当たり、それをカトリックの信徒としてのメシアンがどのように扱ったかという事は実は表面的なことでしかない。演出家自体は、それほど音楽劇場においての仕事ぶりはヴィデオ化されおらず、どこまで音楽に迫れるのかは分からないのだ ー 少なくとも昨年のミュンヘンでの心臓の動きと脳波を劇場化していたハース作曲「トーマス」は絶賛されていた。しかしここは第一人者のエンゲルの指導に期待するべきところだろう。



参照:
巡礼初日に向けての衣装 2023-05-25 | 音
創造の霊感と呼ばれるもの 2023-05-17 | 音

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