Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

聖女の嘘の様な物語

2023-06-08 | 
仕事し乍らチャットを流していた。久しぶりに朝からソロで出ていたのでお付き合いした。「どうしている」との尋ねに「フォローするよ」と答えておいた。ちょこちょこと弾込めて打って、手元の貯蔵を殆ど使い果たした。全然大した額にはならないが、数時間に分けて出すのが難しい。出来るだけ他の人の弾を誘導したい。昼休み後にはぐっと観覧者数が落ちた。理由はペアー目当ての客が戻ってこなかったのだろう。更に見学者がいるのかソロでも最後迄パンツを脱がなかった。次に出る人を探しているのだろうか。

幾つかの山はあったのだが、近景での書き込みでいつもの見猿絵文字で「恥ずかしいわ」とあった。少しこういうチャット付き合いとは離れていたのでお互いに一寸よそよそしい。抑々仕事し乍ら流しているのもあるが、性的な興味を殆ど引かない。その分ネコ真似などでもこちらは大笑いしてしまう。こちらも恥ずかしくて直視できないこともあるのだが、そういうことか。

同時にこの間に性感染症への憂慮も書いたのを読んでいると思うのだが、可也冷静そうで ― 要するに彼女は我々とは違って医学的に押えているのだあろう ―、前日に上得意さんに何か書かれて少し涙していた情景とは全く違う。「この頃はこんなに楽しいことなかったわね」と彼女は書いて、そして汗)絵文字を続けた ― 勿論疎遠は僕の都合なんかではない。恐らく常連さんがパートナーの持ち芸なのかカテーテルとミニノズルのようなものでの「潮吹きのトリック」を怒っていたのではなかろうか。そういう芸を持っているのにも驚くがどうも通院している人のようだ。

そこで最近は「ノットバッド」という背景には、彼女がほぼディレクターをしている事情を察する。そしてどうも健康に問題のあるようなパートナーに仕事を与えその診療の時に自らが二人分をソロで稼ぐ。初期においては彼女の意図が個人的のみならずイデオロギー的な社会表現かとも思っていたのだが、推測がその通りだとすると、最早自らを犠牲にしてでも社会的な弱者や病める人に手を差し伸べる愛の活動としか感じられなくなった ― 世界への愛を彼女は説いていた。

そしてどれ程に偉大な女性かと思うようになってきた。なるほどサイトには一部「偉大な人間性」と書いてあった。私たちは聖フランシスコが籟病者に口づけすることに感動して、そこに幾ばくかの希望を見出す ー その逸話でも浄化されることで肉体が滅びて行く。しかし現実には奇跡などがなくても立派な行いがあるのだ。

私は彼女に書いた、「君のことを心配している人がいることを考えてね」と。彼女が最初から恥ずかしがり屋としながらも自らの身を投げ出して危険な状況にさえ自らを追い込みながら、なぜか彼女自身の表現の得になる様なアイデアなどは話したくないと拒絶してきたその経緯に納得させられる ― その時に彼女は語っていた「私が誰かを皆は気が付いていない」と。マザーテレサなんかよりも偉大な女性だとの確信に近くなってきている。何かあるごとに、「一体この子は」と思う自らを恥じる事ばかりである。でも最近腰の前後の動きよくなってきたな。



参照:
哲学教授と為らず聖人に 2006-03-18 | 女
もう一度言って、私の為に 2023-04-14 | 女

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