Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ネット世界における検閲

2006-09-25 | 雑感
先日、中国のインターネット検閲の件が話題となっていた。米国などが異議を唱えたと言うものである。しかしこうした同様の規制処置はドイツ連邦共和国にも存在する。

そこで、法律に抵触するものはネオナチ関連と児童ポルノ関連とされる。主な検閲と遮断の方法は、サーチエンジンのフィルターを通して行われている。つまり、フィルターで遮断されてしまえば、そのようなサイトが存在することも判らない。

これは、中国で行われている方法と余り変わらないであろう。しかし、サーチエンジンへの圧力と指導は、ドイツにある機構に対して行われるのみである。欧州内でも国によって規制が大幅に異なる。

実情は何とも言いがたいが、一体どれほどの熟練サーファーが自国のサーチエンジンしか使わないだろうか?そして、ファイルターの有る無しの判断不可能な情報遮断の方法は、研究家にとっては大変な弊害となる。

個人的な経験から言えば、その始まりからしてネットにおいては英語以外の情報には重きを置いていなかったので、今でも米国のサーチエンジンが検索の主力である。必要や絞込みが初めから可能ならば、その該当言語のサーチエンジンを使うことによって的確な情報を素早く得ることが出来る。

だから、各地域の法律によって元来国境の無いヴァーチュアルな内容が規制出来るのかは司法判断の必要な部分であるらしい。こうした実情から、なにが問題で何が問題でないかなどは最終的には個人の判断によるものである。実際にサーチエンジンなどは自主的な判断を下していると言う。西側先進国においては、これらの規制は二の次のことで、如何にして犯罪に結びつくのか、それとも犯罪が発生しているかの判断や調査の方が遥かに重要であろう。そうでなければ本末転倒である。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ノーパートナー・デモグラフ | トップ | 管弦のリアルな黄昏の音 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿