Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

生涯日本滞在時間比率

2017-01-22 | 雑感
ざっと計算すると、私の生涯日本滞在時間が向こう数ヵ月中に欧州滞在時間よりも短くなる。いつかこの時が訪れることは分かっていたが、やはりただの滞在時間だけでないものを感じる。益々日本が遠のいた気持ちは避けがたい。様々な意味でそこの極東感が強まった。

日本語を忘れないために書き始めたこのBLOGであるが、時々日本語の綴り方を基本構文にまで戻らなければあやふやになることがある。ドイツ語や英語を綴ったりするときに思い当たる感じと全く変わらなくなってきている。ゲーテに言わせると自国語が分かりかけてきているとなるのだろうか。

これまでの移住の経過体験からすると幾つかの転機があった。一つは一度目の日本への旅のあと二度目の旅の予定が関西新空港開港が阪神地震で使えなくなったことであった。地震の時のことは今後とも忘れられないかもしれないが、心理的な転機でもあったかもしれない。開港によりフランクフルトから直通ノンストップで飛べると物理的な近さを享受しようと思っていた矢先だった。結局関空を初めて利用するのは十年近く延期されてしまうのだが、その間に物理的な距離感よりも心理的な距離感が広がってしまった。長旅をして短い滞在だけでは割りが合わないので、最低3週間の日本滞在と考えているととてもそのような時間もなかったのである。更なる大きな転機は2011年311であり、これで将来東北を中心にゆっくり旅行でもしようと思っていたのが一瞬にして夢になってしまった時だろう。つまり今後とも三か月も日本滞在するようなことは殆んど考えられなくなってしまった。そのような費用や暇があれば他の可能性を考えるようになった。

日本のサイトに日本茶をパリで売るというような話が載っていた。普及させるということのようだが今以上に普及するなどあり得ないのだ。もう充分に紅茶並みにポピュラーな緑茶をどうしようというのだ。そもそも日本人でも真面な日本茶を呑んでいないのにである。そして外から日本文化を見るなどと書いてあるから腹を抱えてしまう。丁度私のような移住体験から如何にそのような言動がいかさまかが明らかになるのだ。目的は利権なのかまたは訳の分からぬ日本趣味なのかは知らない。

やはり時間の経過は大きかったということであり、如何にも感傷的な日本への憧憬のようなものが感情的にも沸き起こるときはあったのだが、それを通り過ぎてしまうと本当に第三者的になってしまうようになるのである。そのようなことをこの時点になってはっきりと意識している。安物の日本趣味でも無く、対象を知って評価するというのはとても難しいのは、日本生まれであってもなくてもとても難しいことなのである。同じことは西欧文化一般に関しても同じように当てはまることである。



参照:
明治の叶わなかった正夢 2012-02-07 | アウトドーア・環境
遠のくルミーさんの想い出 2007-02-10 | 女

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 復活祭音楽祭の記録 | トップ | 地方の音楽会の集客状況 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿