Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

遠のくルミーさんの想い出

2007-02-10 | 
昨夏噂した、子供時代に神戸に育った女性が、それから一月程して亡くなっていたのを知った。自宅近くで運転中の車が大型トラックに正面衝突して命を落したらしい。その春には手術をして体調を崩していたと言うので、意識喪失などの原因が考えられるが、事故死である。

8月25日に書きとめた様に、偶然彼女の事を思い出す機会があって、その事を話したいと思っていたのだが、適わぬ想いとなってしまった。数回も顔を合わせていないので親しかった訳でもなく、結局具体的に戦時中の日本滞在については聞く機会は無かった。

もちろん、その父親の任務は別にして、彼女が語っていたように、当時子供でありあまり具体的には覚えていなかったには違いない。享年七十歳を越えていたと言うから、谷崎潤一郎の「細雪」の蒔岡家の隣に住むシュトルツ家の娘ローズマリーの弟フリッツよりぐらいであろうか。

ルミーさんことローズマリーが実在していたら、現在七十歳後半である。その芦屋の隣人であるドイツ人家族は、半年ほどでハンブルクへと帰国する設定となっているが、この家族との子供を通じた交流はこの作品の重要な柱となっている。

特にシュトルツ家を倣ってペットとして兎を飼う部分が良い。その兎の耳を立てようとして、兎の耳を足袋の指で挟んで、その一部始終を子供の作文に書かれる。それを添削する嫁入り前の雪子の姿とその添削理由を聞いてキョトンとする子供のエッコさんこと悦子の逸話は素晴らしい。

阪神大水害の後、1938年9月にシュトルツ家が離日する最期の夜の風景も子供の興奮として大変良く描かれている。ドイツ語交じりの子供の会話などがこれも上手で違和感が無くて感心する。

ドイツ語が幾つか交えられた日本文学は少なく無いだろうが、自然な使い方としては群を抜いているのではないだろうか。ただ、面白いのが子供達が歌う「ドイッチュラント、ユーベル、アルレス」は何の曲だか分からなかった。

そこで、Deutschland übel. allesとして調べてみると、以下のように面白いものがヒットした。

Und wenn ein Japanel eingedeutscht wild, und del dann schleibt: «Deutschland, Deutschland übel alles», dann hat del auch velschissen. ...

つまりRをLと発音する日本人がドイツ人になると「世界に君臨するドイツ」は「ドイツは何もかも酷い」と綴られて、嫌がられると。

良くある例で、これも笑い話のネタに出来そうである。子供達が合唱するその曲は、ドイツ人民共和国でも使われた第三帝国の国歌であった。そして、シュトルツ夫人であるヘルダには、マニラからの礼状として次のように書かせている。

「…如何なる国民も戦争は好みませんから、結局戦争にはならないでせう。チェッコ問題はヒットラーが処理してくれることと、私は確信してをります。」

この作品のドイツ語訳は、「Die Schwestern Makioka」となっており英語訳「The Makioka Sisters」のドイツ語訳なのだろう。何れにせよ、大日本帝国の憲兵に「公論」への連載を中止され、自費出版も禁止されたと言うこの文学は、もう少しドイツで読まれるべきと思われる。現在は絶版の様で甚だ遺憾である。



参照:
川下へと語り継ぐ文芸 [ 文学・思想 ] / 2007-01-21
でも、それ折らないでよ [ 文学・思想 ] / 2007-01-26
八月の雪のカオス [ その他アルコール ] / 2006-08-22

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2 コメント

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Deutsuland,Deutsuland uber alles (oki)
2007-02-17 22:35:15
六本木にオープンした国立新美術館の展覧会にもなぜか出品されていましたよ、世界に冠たるドイツ!
ところで大学のある教授はこれはそういう意味ではなく「すべてをこえてひとつのドイツを作ろう」という意味だと解釈していたのですがどうでしょうか?
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自由への恍惚 (pfaelzerwein)
2007-02-18 06:59:25
想像するに、1841年の作詞をその時代背景と共に捉えていると思うのです。しかし、万難を排してと言う事からは、多くの国歌と同じように革命的ですが、フィヒテのような自由への恍惚が思い起こされます。

ハンバッハーフェスト:
http://blog.goo.ne.jp/pfaelzerwein/e/c842c494a4b57b002daa8525352a06a2

実際、それは団結歌であったと共に、フランクフルト議会での欧州を駆逐する大ドイツ主義のスローガンでもあった訳です。その点からすれば、正式に国家を統一したプロイセン帝国がこれを植民地主義に利用したのは当然の成り行きでしょう。

この辺りが、新しい記事としたドイツにおける自由主義と社会革命の解釈となるのでしょうか。またまた隔世遺伝のようなドイツ人民共和国でのこの国家のあり方も興味ある所です。

連邦政府見解:
http://www.bundesregierung.de/Webs/Breg/DE/Bundesregierung/
Nationalhymne/GeschichteundEntstehung/geschichte-und-entstehung.html
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