Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

「笛を吹けども踊らず」

2017-07-29 | 文化一般
新聞に先日の2017年バイロイト音楽祭初日「マイスタージンガー」の評が載っている。終わりまで読んでおかしいなと思ったら、期待していたおばさんの評ではなかった。あれほど、ここだけでなく方々で叩いたので主幹から落ろされてしまったのだろうか。まあ、私と同じように、本当のことを語ってしまうと ― 音楽的に百点満点中五十点と生放送で言い放った ―、 批判対象である指揮者もパリのオペラ座の音楽監督をしているようだから、劇場との関係が悪くなるかもしれない。更にヴィーンのシムフォニカーの指揮者も務めているようなので驚かされる。

その年齢からするとチューリッヒぐらいで会っていることもあるかもしれないが、テムポの保持も難しそうな伴奏指揮者がなぜそこまで活躍しているのか一向に分からない。あまりにも劇場慣れし過ぎているという指摘もあり、実際にfazは三幕の五重唱を幾ら盛り上げようとしても歌手が付いてこなかったとある ― 笛を吹けども踊らずである。態々繰り返して聴き返してみることも無く大体の印象はその通りで、動かなかったのはそもそもリズムも悪くテムポが安定しないので、その設定にオーソリティーが無く、始めから歌手の目線などを見ていてもその結果は想像できた。Wikiを見てスイスロマンドとの繋がりが漸く分かった。あれは親父さんアルミン・ジョルダンだったようだ。「パルシファル」の廉価全曲録音などで名前は知れていた。今で言うところのナクソスムージシャンだ。なるほど。„Parsifal“, opera, Wagner, Syberberg, 1982


今更バイロイトの音楽的水準に改めて触れる必要はないが、初日の日の新聞の文化欄全6面の4面はバイロイト特集だった。しかしそれ以上に面白い情報はその前日に載っていた。ヴィーラント・ヴァークナー記念公演に関する記事だった。そこでは、指揮者ヘンへェンが初めてベルクとヴェルディの作品を祝祭劇場で演奏したことなどよりも、カタリーナ―が従妹一人一人の名前を挙げて呼びかけたことがなによりも注目されたというのである。

その背景には、昨年末、ニケ・ヴァークナー博士が起こしていた現在の劇場貸与契約つまり執行体制への異議を、有限会社バイロイト音楽祭とバイロイト財団を相手取り、申し立てて破れたことがあり、それは決してカタリーナ体制の勝利を意味するのではなくて、ニケ・ヴァークナーが根拠とするヴァークナー家の既得権益が法的に限定されたことを意味するらしい。つまり、現在の体制を定めた根拠の中で資金を出し長く過半数の採決権を有しているバイエルン州と連邦政府の議決権が重要視されるということのようだ。

なるほど、だからニケが「もはやバイロイトには興味を失った」、「ヴァークナーばかり扱うのでは退屈だ」と言い出したのはこういう法的判断が背景があったことになる。そして初代音楽監督もカタリ-ナも昨年までのようにスキャンダルを起こしていたのではもはや務まらないということらしい。財政問題などはその一つであって、何か問題が起これば益々公の手が入って来るということなのだろう。おとなしくしていろと法的に鈴をつけられたことになる。

ある意味、バイロイト市をはじめとする当事者にとっては、ヴァークナー音楽祭はノイシュヴァンシュタイン城の様に観光収入源でもあり、その期間の世界中からの観光客を見逃す訳にはいかない。コスト対効果で安定した収入を上げていくことが肝心なのだろうと思う。音楽祭の規模も飽きられることが無いぐらいに適当に活気をつけて、いずれはシナからの大観光団も呼び寄せられるようなオープンエアーやパブリックヴューイングなどが成功するように整備されるのだろう。まあ、そこまでもやらないでもあのオバーフランケン地方としては充分な数の数寄者達が押し寄せて、弁護士や医師に代表されるような経済的にも余裕のある層が充分なお金を落としてくれればそれでよいのだ。

そもそも我々のような芸術云々や音楽美学とかなんだかんだとほざくような輩は金を落とさない。地元当事者の立場になって考えれば単純明快な答えである。芸術的な価値など腹の足しにもならないのである。漸く腑に落ちた。



参照:
意地悪ラビと間抜けドイツ人 2017-07-27 | 文化一般
ボンで「ロンターノ」1967 2016-04-24 | 雑感
迫る清金曜日の音楽 2008-08-27 | 文化一般
オーラを創造する子供達 2007-09-24 | 文化一般

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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2017-07-31 02:58:17
>Wikiを見てスイスロマンドとの繋がりが漸く分かった。あれは親父さんアルミン・ジョルダンだったようだ。「パルシファル」の廉価全曲録音などで名前は知れていた。今で言うところのナクソスムージシャンだ。なるほど。

フィリップ・ジョルダンとアルミン・ジョルダンの関係すら知らないクラシック初心者が、ワーグナーを語るのもどうかと思うなあw
それとアルミン・ジョルダン優秀な指揮者で、EMIやエラートでも録音してるし、彼の「パルジファル」は廉価盤用に作られたわけではない。
これはジーバーベルク監督の映画の「パルジファル」のサウンドトラックとして録音されたものであって極めて真っ当な演奏(彼は息子よりワーグナー指揮者としては優秀)。
ネットでググってデタラメ書いて「なるほど」と一人合点は失笑ものだと思う。
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アルミン・ジョルダン (pfaelzerwein)
2017-07-31 14:09:54
情報感謝です。映画の記憶は全くなかったのですが、モンテカルロ座の障りを聞くと廉価版どころの話しではないですね。大抵は観て聴いて評価しなければいけないのですが、通して聴くには堪えないではないでしょうか?映画はシュリンゲンジーフ演出の下敷きになっているとの記述もありますが、それも大いに疑問です。

なるほど職人がライフワークとして経験を積めば若しくは継承すればある程度は完成度が上がりますが、芸術の世界は、器楽的な職人を除いて、子が二三流の親を超えて一流になることは無いです。天与のみの世界ですから、ある意味初代ならば青天井なのが二代目ならば最初から天井がある。

クライバーを含めて、ヤンソンス、ヤルヴィなど皆同じで、鳶が鷹を生んだなどとはなりえません。

趣味の世界は知識や情報などオタクの世界とも言えますが、芸術の受容とはそうした雑多なものを取り除いて初めて感受できるものと思います。業界に近ければ近いほど、率直な批判が出来なくなる訳で、本当はこうしたSNSの世界でこそつまらない情報に囚われない忌憚のない批評が展開することを希望します。まあ、その前に各々己の感性を磨かなければいけません。

やはり140字程度の一発ギャグの批評ではなにも語れないということで、掲示板等も全く同じです。「息子よりワーグナー指揮者としては優秀」ならばその根拠を語るべきでしょう。
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