Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

旧年中の動画と文化的時差

2005-01-08 | 文化一般
デジタルカメラは動画を撮るために入手した。予想通りヴィデオ撮影機代わりに使って大変重宝している。カメラ付きの携帯電話も増えているようだが、加入システムの関係で当分は使う事は無いだろう。写真撮影のときも比較的ハイクオリティーで写し、枚数が予想される時はノートブックに落とすようにしている。動画の場合も時間の長いものを写す事は限られているのであまり不自由しない。

面白い動きのある被写体や撮影者が動いている場合、動画は静止画とは違う情報を伝達出来るだろう。しかしそれにも勝るとも劣らず音の情報は多くをもたらす。これを臨場感と云うが、衛星放送で時々あるように音声情報と映像情報が時間差を持つとその反対に落ち着かない。普通の人は、ある限界を超えるとこの時間差を自然に修正して情報を追うことが難しくなる。光と音の速度差は必ずあるので、反対に時間差があまりに無いと異常に気が付く。

フランスのブルボン家とオーストリーのハブスブルク家の時世と衰退、その後の其々の市民社会の勃興と発展に文化的時差をみる事が出来る。アンシャンレジームというように時計の針を人為的に逆回転させたような社会が、このような文化的時差を生んでいるらしい。追随者リヒャルト・シュトラウス作曲、ホフマンスタール作のオペラ「薔薇の騎士」がマリア・テレージアの時代を扱いながら、100年後のヨハン・シュトラウス時代のワルツを模倣しているのはよく知られている。これは、この時代の文化的時差を芸術的にうまく表現している例でもありそうだ。

仄かな差こそが趣であり、大きな差は支離滅裂以外のなにものでもない。一年前の新年の花火と打ち鳴らす鐘の響きの動画を観て、どちらの感が強いだろうか。
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2 コメント

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TBありがとうございました! (Matuszynska)
2005-01-10 17:33:25
はじめて訪問させていただきました。

シュトラウスのオペラ「薔薇の騎士」について、なるほど~と思いました。マリア・テレジアの時代を舞台背景に、ヨハン・シュトラウスのワルツを模倣。なんか面白そうですね。いずれ機会があったら、「薔薇の騎士」を見直してみようかしら・・・と思います。



また訪問させていただきます。よろしくお願いいたします。







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ショパン、ポーランド (pfaelzerwein)
2005-01-11 03:53:37
Matuszynskaさん、コメントありがとうございます。ピアノのショパンがお好きなんですね。ポーランド文化にも興味があるようで、私にとっても身近な話題です。今後とも交差しそうですね。こちらこそ宜しくお願い致します。
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