Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

聖土曜日のレクイエム

2019-04-20 | 
聖土曜日の奇跡だった。マエストロ、御免なさいと言いたい。リカルド・ムーティが最初の「アイーダ」の録音で大成功して、結局そのLPを買いそびれてしまっていた。しかし、このナポリターノの本筋はヴェルディのそれも後期の作品群だった。だから他のレパートリーではとても追いつかない境地を聴かせてくれた。手元にはそのLPも無く、CD類もあまりない。デビュー以降それほど決定打となっているヴェルディの録音も知らない。

しかし今回、前回この曲を聴いたベルリンのフィルハーモニーでカルロ・マリア・ジュリーニが指揮した1986年のベルリナーフェストヴォッヘでの演奏の記憶と比較すれば明らかだった。あのジュリーニよりも遥かにヴェルディをものにしていて、細部まで知り尽くしているのは明らかだった。そしてあのフォン・カラヤン時代よりも遥かにフィルハーモニカーのフレクシビレィティーは比較にならないほど高い。

往路のオンデマンドの一回目の録音を聴いて直ぐにダイシンがコンツェルトマイスターと分かった。彼が率いると弦楽陣は一ランク上がる。例えばフィラデルフィアのキムとの差は明らかで、弦楽陣の表現力が完全に上回っている。シカゴ交響楽団の演奏で聴いた日本の人には悪いが、何もガランチャが歌う歌わないだけでなく、到底その管弦楽団の表現力は比較にならないほど高い。またカラヤン当時の管楽陣と比べても全く引けを取らない。当時木管にもライスターやコッホなどがいたと思うが、今もパウが吹かないでも決して悪くは無く、金管はむしろ今の方がいいと思う。

兎に角、あれだけの表現を出来る管弦楽団は座付でもなくシカゴやフィラデルフィアでないことは確かであり、ジュリーニ指揮の時にも感じた中低声部の素晴らしさは、ここに来て磨きが掛かり、高弦も完全に新たな次元に入っている。弦楽の表現力ではもはや世界一であろう。チェロ陣が弾いても胴が鳴らないあの精妙さには恐れ入る。カラヤン時代の12チェロよりもいい。

ホルンのドールなどが細心の注意で如何にベルカント表現についていくかに熱中していて、トラムペットの弱音の妙技やトロムボーンなど往時のシカゴを抜いてきている。もう少しだけ木管とのアンサムブルが出来上れば、全体のサウンドが出来上ると思う。もう一息である。

それにしても期待のガランチャが一回目に比較して声を押さえていて、その分レクラメの集中度が上がり、またテノールのメリの声が上に出て殆ど神懸っていた。今までパヴァロッティ以外はいいテノールも生で聴いていると思うが、イタリアの最高のテノールの声だった。あれだけで金を取れる公演だった。バスはバイエルン放送協会の合唱団と同様、充分な出来だっただけでそれ以上ではなかった。ガランチャが抑えた分ソプラノのイエオの朝鮮人らしい泣き節がイタリア文化にとてもマッチした。それにしてもメリの歌には指揮者も反応して歌わし切ったという感じで、中々ないことだと思う。

今回は予想通りカメラが入っていたのでラディオ中継と共に記録として残ると思う。恐らくムーティの指揮の記録としても残るだろう。一回目と比較すると最初は若干自由度が高く荒れ気味な印象があったが、管弦楽団とソリスツの音楽がお互いに干渉しながらより精妙な表現へと向かっていった。レクイエム・キリエが終わって拍手が起こりだしそうになったのもちょっと異常な感じだった。(続く)



参照:
聖土曜日の準備へと 2019-04-19 | 暦
幾つもの山が当たる 2019-04-18 | 文化一般

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