Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

手袋つけての館内移動

2020-06-10 | 文化一般
ドルトムントの券が一枚届いた。もう一枚を待っている。席は最初の齧り付きからもう一つ上のクラスの席になった。但し今までの席などから四席ほど横にずれた。もう一枚も同じような感じならばそれはそれで仕方ないだろう。そして日曜日の公演の写真を観察すると階段式なので視界は可成りいい。奏者と同じぐらいの高さになるか。通常に詰まっていれば音響的には一番いいところなのだろうが、人がいないと残響が増えて若干混濁しないだろうかと思う。

入場は書いてある通り二組に分けて、下と上を別けた組にしてあったようだ。珍しいのは入り口で手袋を渡されて、移動するらしい。手すりとかでの感染を避けたということだろう。ヴィースバーデンは各入口へのアプローチが別れていて入り口での消毒を基本にしていた。手すりに摑まるような人も少なかったのだろう。

支配人に言わせると、直前まで開催は危ぶまれていたという。理由は政治的な圧力で、態々開く必要があるのだろうかという疑問が呈せられたという。

月曜日はヴィーンからの中継を堪能した。バスのギュンター・グロイスボェックのリーダーアーベントだった。プログラムが同じでやはりヴィースバーデンと同じようにやりたいということで、土曜日にメールして、夜中にヴィースバーデンから快諾を貰った。そして支配人のラウフェンベルクが朗読の為にやって来て全く同じ様に公演を行った。それどころかアンコールのヴォ―タンの惜別の歌も同じで、繋ぎの話し内容も殆ど変わらなかった。

だから出来も比較出来た。ざっと流した感じでは前半はヴィーンの方が落ち着いてよかった。後半はヴィースバーデンの方が集中力が高く声の張りも決まっていた。アンコールもヴィーンでは安定感が無かった。会場も大きいが少し力んでいたのはなぜだろうか。来年四月の公演を予想しての予行だったからだろうか。

ヴィーンの国立歌劇場からの生中継は有料なので初めてだったが、なるほど流れが悪い。しかし音質だけを見ていると可成り良さそうで、巻き戻しの再放送でも上手く流すのにはそれなりの流通量が要る。

相変わらずピアノは下手で、バイロイトでの惜別の歌の為に依頼したのだろうが、もう少し音楽的に上手な人はいなかったのかと思う。その彼女の手を取るだけでなく抱いていたので、余程これはヴィーンの状況が変わってきているのだと思った。

しかし知らない内にこちらも無理やり売り子に指を握られるようなことがあって、余程女性陣はボディーコンタンクトを求めてきているのかと思った。ヴィーナーフィルハーモニカーの接近を観ていて社会が狂ってきているのを感じた。



参照:
Weitgehend unsichtbar, Michael Stallknecht, SZ
延期になったバイロイトの声 2020-05-19 | 音
奈落を平土間へと拡張 2020-06-03 | マスメディア批評

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 大胆不敵なヴィーナー | トップ | 薄氷の上での千羽鶴 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿