Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

奈落を平土間へと拡張

2020-06-03 | マスメディア批評
月曜日無人コンサート中継がよかった。目玉は、先日ヴィースバーデンでリサイタルを聴いて、更にメディが追っていて話題の中心にあるギュンター・グロイスボェックがロシアの歌曲を歌った。なによりも感心したのはフーバーのピアノ伴奏だが、ロシア語の判定は出来ないながらもあまり違和感が無かった。ピアノとその合わせが全てを変えてしまうようで改めてその意味を思った。

そして最後にはヴェルディ作曲「ドンカルロス」のフィリッポ王の「一人寂しく眠ろう」を歌った。ヴィースバーデンでもヴォ―タンの惜別の歌を歌ったが、歌曲の夕べでも最後には彼自身のオペラの世界を披露するのだろう。ミュンヘンでは宗教裁判官を歌う予定だった。声からしても久しぶりに本格的に深いバスだと思った。短期間にこの枠のトップに浮かび上がったのも良く分かる。

前座を務めた劇場の五重奏団の演奏も良かった。こちらは馴染みの顔ぶれというだけでなくその前に慰問出前演奏でのブレークしたSNSでの「アイネクライネナハトムジーク」の演奏がよかったので、一曲目のチェルハのこれまた「夜の数々」が期待された。チェロの代わりにコントラバスが入るので、四重奏曲の敷居の高さが無い分平素の劇場での合奏態度が問われるところだ。ツェルハと言えば数年前に音楽監督ペトレンコ指揮での新制作「ルル」完成版補完の作曲家で、ここでもその現場感覚というようなものが編成だけで無く感じられて、予想通りいい演奏をしていた。

なにが特にいいかというとペトレンコ指揮で散々に求められている拘りを野外であろうとも感じさせるからで、八シーズンも付き合うとその薫陶たるものがそこまで染み入るかと思わせるに充分だった。そこで今回の中継は珍しく全体を流した。ゲルハーハーの時もそうだが若干オペラ歌手の大音声へのマイクロフォンが問題で歪んでしまう。近づいてきてしまうのかもしれない。

そこで気が付いたのが、奈落の向こう側の平土間の座席が何列も取り除かれていて、奈落の蓋も平土間の高さに合わせてある。何を示すかというと、そこに楽団を配置して必要ならば客席との間に壁を作って、要するに奈落を表に出して拡張するという事だろうか?歌手には不利になるが舞台の前で歌わすようにすれば何とかなるかもしれない。七月にガラコンサートがあるような気がしているが、五百人ぐらいは入れても大丈夫ではないのか。歌があると限られるが最低複数回は公演して貰わないと僅かな人しか入れない。一時間半づつで前半後半で二回公演を二日続けるとか、方法はあるかもしれない。

ニューヨークのメトロポリタン歌劇場が暮れまでの公演を早々にキャンセルした。収益性の事もあるので当然かとも思うが、コロナ禍ではアメリカは不穏になると三月ごろから予測していた。今回は黒人絞殺事件は発端となったが、基本的には不満の爆発ということで予想通りだった。だから九月からの新シーズンもアメリカは出遅れると予想していた。上手に制圧できるのかどうかは分からないが、不透明さが今後も付き纏う。

同国人に対して軍を出動させるなどと、既にそんな権限が大統領にあるかなどの疑問が寄せられているが、トラムプは第二の天安門事件を起こしかねないので恐ろしい。ブッシュジュニアと異なり国内だけでやっているのならあまり関係ないのだが、そんなに簡単に治まるとは思わない。



参照:
中々エレガントな趣 2020-06-01 | 料理
耳を疑い、目を見張る 2015-05-27 | 音



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