Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

大胆不敵なヴィーナー

2020-06-08 | 雑感
昨年末に亡くなった指揮者ヤンソンス氏を偲ぶ番組を聞いていた。どうも当日ベルリンで指揮する予定だったようで、逝去後に偲ぶ演奏会になって、それもコロナでキャンセルされたという三重災いの為に古い録音やインタヴューを一挙に紹介した番組作りで四時間に及んだ。

最後の方は聞かなかったのだが、興味を引いたのはカラヤン指揮者コンクールファイナルで初めてフィルハーモニカーを振った録音である。その1971年にチュムーラという人に続いて二位になったようで、まさにその録音の「ダフニスとクロエ組曲」で緊張して思うように振れなかったと生前回顧して語っていたようだ。

もう一つ当時東独の独最古の放送交響楽団つまり現在ユロスキーが振っている楽団を振ったエグモント序曲も流れた。基本的には晩年まで変わらない。三曲目にショスタコーヴィッチの九番が手元にある全集からオスロでの録音として流れた。

先日言及したようにこの指揮者の音楽はとてもプロレタリア独裁の理想のように響くが、ショスタコーヴィッチとの繋がりのインタヴューも興味深かった。親父さんの指揮者の家にも来ていたようで見かけても子供だったので話したことはないと話していた。そもそも作曲家が社交的な人物でないからとも評していた。ユロスキーの父親をも訪ねていたというが、こちらの方がやはり作曲家に近い感じがする。

カラヤン財団が始めたコンクールで日本では1973年には小泉がシナイスキーと別けて優勝したので有名だが、既に三回目にはフィルハーモニカーは下りていて、WDRがお付き合いしたと書いてある。小泉も一度ぐらいはフィルハーモニカーを振ったのが放送されたと思うが、二位のスダーンは今でもちょこちょこと名前を聞く。

このようにあまり成功しなかったのは死後のカラヤン賞と同じ感じである。丁度その数年後インタヴューで、カラヤン自身の後任に名前を挙げていた筆頭はズビン・メータだった。やはり玄人筋の評価は最初から高かったのだろう。小澤と既にテンシュテットが挙がっていた。既に後進の養成に関しては指揮者コンクールからアカデミーの方へと話題が移っていた。ザビーネマイヤー事件も暫くして起こる。

ヴィーナーフィルハーモニカーの中継録画を観た。やはりとんでもない試みだった。何よりも距離感が取れていない。弦楽陣は通常と殆ど変わらず、管楽器陣は少し開けているだけで、両陣から感染が出ると思われる。勿論本番中に感染するとは言わないが、あんなことをしてリハーサルや演奏旅行などを繰り返していれば、直前に全員のPCR検査をしてその後隔離してもから感染リスクを抑えることはできない。

そもそもヴィーンの新感染状況は決して良くない。ミュンヘンよりは少し良くてベルリンよりは死亡者率も何もかも悪い。そこまで無理した割には演奏も都合が悪く、放送でも特に管楽器がハモラない。ORFの録音陣はマイクを立てて残響を活かそうとしていたが、嘗てDGがベーム指揮でやっていたような具合には行かない。楽団配置や演奏、収録などとても中途半端なことになっていた。

そして大きなリスクを背負った。ザルツブルクへの準備や来年のノイヤースコンツェルト準備の収録等をしているうちにヴィーナーフィルハーモニカークラスター騒動が起こる確率は決して低くはない。そこを乗り越えてもザルツブルクで発生する可能性も強い。そうなると秋からのシーズンは吹っ飛んでしまう。会場では現国立歌劇場支配人が拍手をしていたが、メトロポリタンと同じように年内休業にする諦めがあるのだろうか?



参照:
ザルツブルクの突破口婆 2020-05-26 | 女
ムジカヴィーヴァの経験 2020-06-04 | マスメディア批評

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