Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

スタリニズムに反しない創作

2023-03-22 | 文学・思想
新制作「戦争と平和」のプログラムで音楽監督ユロウスキーが話している。音楽的な内容よりもロシア文化人としての内容が殆どであるが、いつものようにそれなりに面白い。興味深いのは、トルストイの原作の極端な平和主義に対して、プロコフィエフのオペラがスターリン政権下でのスターリニズムにも反しない創作になったかの説明だ。

それは24歳若い二人目の奥さんメンデルスゾーンがモスクワの所謂赤の教授の娘で、追々そのテキスト内容が国粋主義的になったとしている。この説明から、今回の制作で最終景の合唱のテキストが歌わられずに、舞台上の楽団バンダのブラス音楽の旋律で取り替えられたた説明もあり、その対位法的な書法がそれに都合したということである。

この辺りの判断は、所謂音楽劇場指揮者とされるティテュス・エンゲルの仕事ぶりを昨年も目の辺りにしていたので、よりその方向へと傾倒してきているかに見える。

全体の構造がこれまた中継でも話していたように、キリル文字の一文字の使い方で「戦争と平和」が「戦争と社会」になって、そのコンテクストで捉えられるとなり、二部構成の第一部つまり平和若しくは社会の部分が初版通り演奏されて、第二部の初版を準拠してスターリニズムが切り取られたことになる。

ウクライナ侵攻によっても一旦は殆ど継続断念に近い状況だったらしい。そこで前半のナターシャ、アンドレイ、ピエールの焦点を当てることで、後半のその場面もカット無しに上演した。幸いプロコフィエフにおける作曲法がヴァ―クナーなどのように有機的な繋がりを持つものではなくて、場面場面が組み合わされるような方法、つまり元々仕事をしていた映画音楽の書法が取られていることから容易に為されたという事だ。

まさしくこうした手の入れ方がエンゲルの仕事の信頼性と真骨頂であり、音楽劇場指揮者の実力なのだが、ここでは幸いな逃げ道を見つけたことになる。勿論そこにはチェルニアコフの天才的な仕事ぶりがあって、音楽劇場として成功した。

但し、残念ながら話したがりのユロウスキ―がここではその肝心の所謂音楽的なフィレの部分を美しいとぐらいにしか言葉にして語っていない。ここは今回の公演で音楽的な評価として最も言語化しなければいけない所なのだが、現在のところ適当な表現を見かけない。

こちらも楽譜に戻ってしっかりと表現したいと思っているのに時間が見つからない。なぜそこの音楽がエロティックなのか、どのように書かれていて、なぜ今まではその面をプロコフィエフにおいて聴き洩らしていたのか、とても興味深く思っている。



参照:
個人とは反するその意志 2023-03-19 | 歴史・時事
舞台化への創意工夫 2023-03-04 | 文化一般

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