Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ロバート・スコットの南極

2016-01-22 | 文化一般
歌劇「サウス・ポール」初演に備えて、ロバート・スコットが残した記録を読んだ。子供の時に物語は読んだような覚えはあるが、そのもの記録を読むのは初めてだ。南極到達を四週間前に達成したアムンゼンと比較するまでもなく、とても的確な紀行文になっている。

これを読む前に、百週年を記念して2011年に独第二放送が制作したドキュメンタリーも観た。戦略的な甲乙など、この二つの遠征隊の性質の違いもよく分かり、そのリーダーの個性の相違もある程度分かった。それでも、このスコットの記録無しには、その比較も難しく、その文化的な価値は全く異なっていただろう。

面白いのは、大掛かりなスコットの遠征隊が、本人が遺言に敗因と書くようにその大掛かりゆえに、ポニーなどの準備が遅れ、またエンジンで走る雪上車が沈没したりエンジン停止したりする自体が、煩雑さと計画の遅れになり、二月過ぎの死の紀行となったのが、先陣争いと同時に敗因になっている。軍人とはいいながら、ロギスティックの困難さが結局は悲劇に結びついている。

ラインホルト・メスナーが語るには、双方が出発した海岸地帯は氷の付き方の問題以上に、もはや誰も彼らほどの熱意をもってこのルートを踏襲出来るものはおらず、双方ともその後二度と踏襲されていないという。それにしてもウェールベイの岩壁はノルウェーのフィヨルドなどを想起させて、南極点があれ程の高地にあるとはあまり気が付かなかった。あの状況ならばノルウェーの人たちが土地の利を活かして、そもそも優位だったに違いない。

子供の時に読んだ印象では、恐らくその後に読み更けたアルプスものの悲劇と混同してか、もう少し情念的な悲壮感にあふれていたと思っていたが ― 要するにデモーニッシュな死を省みない挑戦である、皆が指摘する茫然自失の先乗りされた敗北感以上に、どこまでも英国紳士を貫く叙述には感心した。それ故に読ませる記録文になっている。

なるほど、英国人の台本作家からするとアムンゼンの人物像は、あまりにも本能的で面白みがないものだろう。それでもバリトンで歌われて、一方スコットの方はテノールで歌われるので、オペラの世界でも深みの無い声なのでどうなるのか。

食事の違いが成果に大きな差があったとして、ペミカンが挙げられていた。脂とビタミンが含まれた食料はああした厳寒地ではとても重要だったろう。寒いだけならともかく、更に空気が薄いとなると、栄養はとても大切である。そしてあの当時の英国人とノルウェー人のスキーの扱いは全く異なっていたであろうし、グレッチャーなどの熟し方でも勝負にならなかったに違いない。

それでも、死体が発見された2012年から一年も立たないうちに、前書きとして学術的な成果が強調されているのも面白い。なるほどそうした動きは戦後のティベット遠征などまでも持ち越されていたが、実際には新たな地域を通ることも無く、大英帝国が望むような地下資源などの開発に結びつく成果があられたのかどうか。もしそうした成果が本当に目指されていたならば、何も一番乗りを逃したからといってそれほど落ち込むことは無かった筈である。実際に、学術調査に拘っていた隊員は限られていたようで、これまた遠征隊を煩雑にして悲劇に導いた要因になっている。

そして、スコットもそれではと思って、少しでもアムンゼンよりも実際の極点に近いところを測定している ― 実際はスコットは400M離れているのに対して、アムンゼンは200Mまで近づいていて、アムンゼンの方が正しい測量をしているようだ。太陽と磁石と測量技術しか測定方法はないのだろうが、アムンゼン隊がどれほど正しい極点に竹枠のテントを建てたのだろうか?アムンゼン隊は英国製の六分儀を使っていたとスコットが書いていて面白い。



参照:
聴覚では不可能な無理難題 2016-01-17 | 文化一般
21世紀に生きている実感 2016-01-10 | 文化一般
ペトレンコの「フクシマ禍」 2015-12-21 | 音

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