Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

21世紀に生きている実感

2016-01-10 | 文化一般
もう一つ体の調子が冴えない。風邪気味なのか寒さが堪える。朝食に真面なものが食せないのが大きいかもしれない。午後になると燃料が切れる。昼食を多めに摂ると、午後の効率がとても悪くなる。ここ暫く不順な天候が続きそうで思い遣られる。

倦怠感があると、音などに耳を傾ける意欲も薄れ、本当に篭りたくなるのだ。足がまだ張り気味だと思うと、一昨日の走りで、今直ぐに走るには充分に休息が取れていない。室内でのクライミングを再開しようと思ったが、ホールへ行くのもまだ億劫だ。結構一月は予定があって、三月まで一気に流れてしまうだろう。どうにかここ辺りで覚醒して、惰性には流されたくないものである。

歌劇「サウスポール」の初演に向けて作曲家ミロスラフ・スロンカがラディオインタヴューに答えている。それによると、大管弦楽団を群にして、二つの探検隊を平行に同時に描くのに合わせて、双方を網羅する管弦楽になっているらしい。面白いのは楽器の使い方で、異種の同一楽器でソリスト的な群が形成されるようで、これまた複雑な管弦楽団演奏になりそうだ。天井桟敷の席からは舞台奥は見えないので、楽器の使い方を具に研究するしかないだろう。可成り繊細なサウンドが聞けるようで楽しみである。探検隊の動画などを一通り目を通しておかないといけないか。アムンゼン率いるノルウェー隊はそもそも現場の人たちなのでヴァイキングの007といった塩梅になるようで、バリトンが割り当てられている。

一年半になるタブレット・ヨガが引き続き快適に動いている。もはやタブレットの無い生活などは想像できなくなって、仕事や物書き事務処理以外ではPCをあまり必要としなくなってきている。そして、最近は口述機能を出来るだけ使うようにしている。以前から欧米語のそれには馴染みがあったが、日本語も使い始めた。漢字変換などの問題はあるが、先ずは打ち込まなくてもよいので快適である。もう少しコマンドが出来るようになると嬉しい。こうした道具を扱っていると本当に21世紀に生きているのだという実感が湧いてくる。

四月に小澤征爾がベルリンに来ると知って、暮れにサイトを覗いてみた。安い席で40ユーロもしているのに驚いた。序があればと思ったが、捨てるには高価過ぎる。そしてなによりも、日本でと同じく休憩後の登場だけでは、移動や滞在時間などを考えると割に合わない。先日、DATのDACを試聴で繋げる時にエアーチェックのケルンでの演奏会の録音を頭出しした。ヴィーナフィルハーモニカ―との演奏会で、武満徹の晩年の曲が冒頭に演奏されていた。それを聞くと何ともげっそりした。小澤は批判的な初演者だったと思うが、あのような作曲ではどうしようもない。没後二十年とかになるようだが、その芸術的価値は当時の混沌としたポストモダーンと共に完全に消え伏せた。ラディオなどでは禅音楽としては流れるが、ペルトの曲のように公然で演奏さられるようなことはなくなるだろう。映画音楽は映画作品が残れば伊福部とは違うので言及されるだろうが、音響芸術としては評価は早くも下った。今からすると、故吉田秀和のように思わせぶりにその評価を見極める必要も全くなかったのだ。

来週は、ポストモダーンのリゲッティの曲を聞ける。好きな作曲家ではなかったが、ブーレーズ指揮の録音などを聞くと、やはり独自のあまりにも保守的な美学だったが、それでも完成度は高いと感じた。もう少し勉強してみないといけない。



参照:
ピエール・ブーレーズ追悼記事 2016-01-08 | 文化一般
鉛筆への文化的な熱い想い 2015-10-11 | 文化一般
ポストモダーンの歴史化 2015-01-19 | 歴史・時事
ゴムの仮装の日本文化 2014-06-29 | 文化一般
放射性塵で胸一杯! 2011-11-13 | マスメディア批評

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