九州遠征も最終日の5日目になりました。
阿蘇くまもと空港発の午後便に乗るために、福岡県から熊本県にレンタカーで南下しました。
鞠智(きくち)城は今から約1300年前に、大和朝廷が築いた山城です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/29/e59bd0c4e407e0bb7cc0a0611bfc445a.jpg)
当時、日本は、友好国である百済を復興するため援軍を送りましたが、663年の白村江の戦いで、唐・新羅の連合軍に敗北してしまいました。
このため、今度は日本が攻め込まれるおそれがあると考え、金田城(長崎県),大野城(福岡県),基肄城(佐賀県)などを設営し防衛に務めました。
鞠智城は、これらの城に食糧や武器、兵士などを補給する支援基地でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/fb/468d1d0dcf94c55bc2e5dc5afc4320c0.jpg)
現在は、国指定史跡になっており、無料の駐車場も用意されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/89/44482265e4b75e2d4455bd83a65c6b90.jpg)
長者館
地元の物産品やレストランが入っているようですが、営業を停止していました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/6f/6c2d59d0452355fb85e1f01070d2aa2f.jpg)
温故創生館
所在地:熊本県山鹿市菊鹿町米原443-1
開館時間:9:30〜17:00
休館日:月曜日,12/25~1/4
料金:無料
出土品の展示や解説ビデオ上映されています。
続日本100名城スタンプは入口で押すことができます。
阿蘇くまもと空港発の午後便に乗るために、福岡県から熊本県にレンタカーで南下しました。
鞠智(きくち)城は今から約1300年前に、大和朝廷が築いた山城です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/29/e59bd0c4e407e0bb7cc0a0611bfc445a.jpg)
当時、日本は、友好国である百済を復興するため援軍を送りましたが、663年の白村江の戦いで、唐・新羅の連合軍に敗北してしまいました。
このため、今度は日本が攻め込まれるおそれがあると考え、金田城(長崎県),大野城(福岡県),基肄城(佐賀県)などを設営し防衛に務めました。
鞠智城は、これらの城に食糧や武器、兵士などを補給する支援基地でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/fb/468d1d0dcf94c55bc2e5dc5afc4320c0.jpg)
現在は、国指定史跡になっており、無料の駐車場も用意されています。
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長者館
地元の物産品やレストランが入っているようですが、営業を停止していました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/6f/6c2d59d0452355fb85e1f01070d2aa2f.jpg)
温故創生館
所在地:熊本県山鹿市菊鹿町米原443-1
開館時間:9:30〜17:00
休館日:月曜日,12/25~1/4
料金:無料
出土品の展示や解説ビデオ上映されています。
続日本100名城スタンプは入口で押すことができます。
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温故創生之碑
防人とその家族、巫女、百済からの亡命貴族、そして鳳凰の群像
防人とその家族、巫女、百済からの亡命貴族、そして鳳凰の群像
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/69/94954eab0a2c45526d845e7a75029aca.jpg)
九州の古代山城はいずれもかなり大規模ですが、この鞠智城もかなり大きなものだったようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/0f/b1a243a3e01a177ebcf7d65c4c278386.jpg)
八角形鼓櫓
国内の古代山城(中世山城でも)では似かよった例を見ない、4基の八角形建物跡が見つかっています。
韓国の二聖(イーソン)山城でも同じようなものがあり、注目されます。
内部は多くの柱からできています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/0f/b1a243a3e01a177ebcf7d65c4c278386.jpg)
八角形鼓櫓
国内の古代山城(中世山城でも)では似かよった例を見ない、4基の八角形建物跡が見つかっています。
韓国の二聖(イーソン)山城でも同じようなものがあり、注目されます。
内部は多くの柱からできています。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/5e/391117bf8cc49d97c9e019a97a384e8f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/ef/481eca1588679d893b738f528262fa17.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/00/59bef416f78f0df3fee386ffa4d1da86.jpg)
米倉
高床式で校倉造りです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/74/480ee2d666e2cbadbd2974e0619845c1.jpg)
兵舎復元建物
防人の宿泊用の施設です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/aa/d1a786315814c9f9327e2a702e1dfce3.jpg)
知覧で見た特攻隊員用の三角兵舎を思い出しました。
時代はまったく変わりませんが、多くの若者を犠牲にするような戦いは避けなければいけません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/8c/28d80087c4b525fb3f2e35c8c5d5dcf7.jpg)
板倉復元建物
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/a5/78db0327d23c525c7a5946d4127fbb93.jpg)
武器庫だったと予想されます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/ef/edc30f6a2273188631bab3f433562943.jpg)
とにかく広い
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/27/051a2ffd4508c046946a849807e593fe.jpg)
展望広場休憩所
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/a9/b4a06ff8319d303e5a236fcf2bb27f27.jpg)
さらに下って、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/cd/8b013ae53dbb5c3f278fe40c2ef190f8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/a7/cc70cb89ed8b994fb6ef9b6f2baf32d0.jpg)
登って、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/f1/3490467d17e13a43d697efdd3a9a32e6.jpg)
灰塚展望所
展望所からの眺め
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/5a/4e447415817feeec1178b9b491d2b118.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/f4/91ea28fd65b2e8639e8245779088f9e3.jpg)
史蹟は広いのですがゴルフ場のようにキレイに整備されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/72/273c737064db391eca0426c97fab6841.jpg)
ゴルフ場よりも高低差があるのでこれは大変です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/6c/de241200d583fc1445ea37a1ef3be562.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/d5/dfd23e411f2f6f0f3c0f9653a5c72ee6.jpg)
展望台まで往復+施設観覧で、1時間20分かかりました。
歴史は繰り返します。
東アジアが緊張していますが、関与の仕方を間違えると大変な代償を負う可能性があることを肝に銘じておかないと行けないです。
国際関係・・・どの時点を起点としてモノを考えるかで言い分が違ってきますものねぇ~
こうしてみると法隆寺の五重塔は驚くほどの技術で建てられています。ほとんど同じ時代なのに・・・。
望楼ですが、後の天守閣のように威厳を表している気がしますあくまでも私見ですが。
海に囲まれ他国の侵略を受けずに住んできた日本と、絶えず支配する民族が代わってきた大陸の国では考えが違って当たり前だということを理解しなくてはいけないと思うのです。