淡路島を訪れるたびに「洲本城」という案内板を見て気にはなっていました。
ただ、コンクリート製のいかにも作り物といったサマの天守閣型展望台を見るととても寄る気になれずにパスしていました。
しかし、これは誤りだったことに今回気づきました。
洲本城の歴史は1526年(大永6年)三好氏の重臣・安宅治興の築城に始まります。
1581年(天正9年)織田信長による淡路討伐のときは討伐軍総大将羽柴秀吉に降り、洲本城は仙石秀久に与えられました。
江戸時代になり、姫路城主池田輝政の三男忠雄が領主になった際に洲本城は廃城となりました。
今回訪れた史跡はこの頃のもので「上の城」とよばれています。
なお、1631年から1635年にかけて由良城を廃し、洲本城に再び本城下町ごとの移転がおこなわれました(由良引け)。
この移転にともなう洲本城はふもとのに作られた平城であり「下の城」と区別されています。
山頂にある山城ですが、三熊山ドライブウェイ(無料)を使って大手門下まで車で行けます。駐車場もあります。
大手門
南の丸隅櫓
本丸の石垣が見えてきました。
りっぱな本丸石段
本丸虎口。敵兵の勢いを下げるため90度折れ曲がっています。
模擬天守。本来の天守を復元したものではありません。
1928年(昭和3年)に築造された鉄筋コンクリート製でもので、現在は、
展望台としての役目もしていたようですが、
この櫓跡に立つだけでも、
このような眺望を楽しむことができます。
本丸跡の売店。日曜なのに営業していません。桜の季節は営業するのでしょうか。
南の丸
梅園がありました。
いろいろな種類の梅の花が咲いていました。
本丸の搦め手口
少し離れた西の丸は公園になっていました。
粥蔵の跡です。
東の丸です。このあたりの石垣はもっとも古いものです。
東二の門を通過すると、
武者溜です。
一角には測候所が置かれていました。
日月池
日月の井戸の跡
馬屋郭。南に大きく張り出しています。
山城ですが、かなり規模の大きなものだったようです。整備の状況も良くなかなかの見応えがありました。
「妻よ、あれが洲本城だ」「ふ~ん」という会話が交わされました。
私も長い間、洲本城はぱちもんだと思っていましたが、こうして見せていただくとなかなか立派な物ですね!
第一回淡路島サミットが開催された、五色町にあるやつはぱちもんでしょうか?
そうそう、城と言えば山陽道やったか中国道やったかを走っていると、姫路あたりで右手にものごっつい洋風の城がみえてきます、めがねの三城でもないし、玉姫殿でもなく地元の金持ちのじいさんが道楽で建てたらしいです、またいっぺん見にいきましょか?!
素晴らしい 自分の目で見てみたいです。
>少し離れた西の丸は公園になっていました。
刈り込み好きなんですよ^^
金をかけずに時間をかけて徐々に揃えるMy庭園が欲しいです。
>タケさま
姫路の北にあるのは「太陽公園」です。
地元の社会福祉法人の代表者が私財を投じて建てた「白鳥城」です。
ドイツのノイシュバンシュタイン城を模したもので、本物を上回る大きさ。バカでかい公園内には万里の長城や兵馬俑、凱旋門、モアイなど・・・石の構築物がスケール不ぞろいに展示されてます。
結構、楽しめる施設ですので是非!?
とすれば 盛りだくさんの行程・段取りのよさに驚きます
そしていくらお城好きとはいえよく歩かれること・・
興味のない人からすれば、「ふ~ん」という反応になることは明らかですが、興味のある私でも模造天守を見て「ふ~ん」と思っていました。景色も良いので陽気の良い時はお勧めです。ただし、ふきっさらしなので風の強い日はやめた方がよいでしょう。
淡路城ですね。あれは建物の外観がお城風になっているだけで史実とは全く関わりありません。中身は個人が適当に収集した美術品が展示してある美術館としてもぱっちもん?だそうです。
洋風の城は見たことがあります。あれは昨年の蒜山の帰り、タロリン村へ向かう途中ナビ電源の故障により道に迷った時のことです。まちがえたあげくドイツまで来てしもうたとむちゃくちゃ焦りました(最後は嘘です)。
テントがひとつあれば日本中に別荘ができます。歳とともに名園を歩くのも好きになりました。これまた自分の庭だと思いこめば気分良いのですが刈り込みはできません。
西の丸の木は「お茶の木」でした。
地元のことは意外と知らないモノです。「え~そんなに有名なところだったの?小学校の時、よく遊んだ場所だったのに!」なんてこともよくあることです。
太陽公園の情報ありがとうございました。
はい、四国遠征2日目、徳島ラーメンを食べた後に行きました。この後、伊弉諾神宮を参拝して大阪のホテルへ行くと19:00だったのでちょうど良い日程だったです。
徳島城といい、洲本城といい、思った以上に大きな城で結構歩きました。