橋本屋吉次郎電子日誌

YAMAHA SR400・マツダ デミオ・ツーリング・城廻りについて・その他

サイドバッグサポートバー

2015-02-08 | SR400

SR400の積載量を増やすため、サイドバッグを購入することにしました。

でも、その前にすべきことがあります。
それは、サイドバッグサポートバーの取り付けです。

これによりサイドバッグと後輪との接触をなくし、安定させることができます。

数社から販売されていますが、Sym’z Craft(シムズクラフト)社製を選びました。

左右のバーとボルト・ナット・ワッシャー1セットおよび取り付け方説明書が梱包されていました。
 

早速取り付けます。
まずはシートを固定ボルトをはずしてこれにとも締めをします。
私は、セキュリティを考えて、POSH(ポッシュ)社製シートガードIIという特殊なボルトを使っていますが、問題はありませんでした。
 

さて、もう1カ所は「リアフェンダーのナンバープレート裏側にあるゴム栓」・・・なんじゃそりゃ?

真中にある黒いのです。
 
 

ねじ穴を保護するために黒いゴム栓がしてあるようでした。
 

念のためにナンバープレートをはずしてゴムを取りました。

あとは、左右のバーを重ねて、付属のボルトで締めます。

 

Sym’z Craft(シムズクラフト)社製を選んだ理由はデザインです。
サイドバッグサポートバーなんてパイプ1本あれば事足りるので、機能的にはどのメーカーでもよいでしょう。
気になったのは、サイドバッグを取り付けていないときの外見です。

その点、この製品は質感も高く違和感がありません。

取り付け前
 

取り付け後

 


取り付け前


取り付け後



重厚感が出て、レトロ感が増したようにも思えます。
他メーカーより少々値が張りましたが、選んで正解だったようです。
 

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美濃路を歩く その9(須ヶ口~清洲城)

2015-02-06 | 街道を歩く

須ヶ口まで来ました。



名鉄津島線を越えると、北西に向かっていた美濃路はさらに折れ、北北西に向かいます。

 


【元須ケ口一里塚の 道標】




正覚寺の山門前に置かれています。
 


【鍵曲り】
名鉄「丸ノ内」駅西あたりで美濃路はクランク状に曲がっています。
鍵曲りです。
 
 

丸の内?鍵曲り?・・・そう清洲城の城下町に入ったのです。

清洲は、1476(文明8)年に守護所が移されてから尾張の政治・文化・経済の中心地として繁栄しました。
しかしながら、1610(慶長15)年、徳川家康は清洲廃都、名古屋遷都を指令しました。
行政機能のだけではなく、多くの町人もともに移動し、6万都市はその姿を消しました。
これを「清洲越し」といいます。


このあたりは、以前の通勤路でした。
毎日この光景を見るうち、美濃路に興味を持ち始めました。
ただ、実際に歩いてみるまでには、、ずいぶん時間がかかりました。


【清洲桜醸造】
五条川沿いの造り酒屋
清洲桜醸造です。
 

看板商品である「信長鬼ごろし」のTVCMはとてもすばらしいので、是非全国の皆さんに見ていただきたいものです。



鬼ころし- 織田 信長 "Demon Slayer" 酒!

【五条橋】


五条橋です。
清洲城の門前にかかるところから御城橋とよばれていましたが、清洲越しの際に欄干ごと名古屋の堀川に移設されてしまいました。

橋元になにげなく設置されていた案内板
美濃路を歩くと、この手のエピソードに欠くことがありません。
 


五条川


橋の西たもとにある「清洲古城趾」の碑
右奥に現在の清洲城の模擬天守が見えます。

朝鮮通信使は美濃路を通行するのが慣例でしたが、彼らは清洲城を「関東の巨鎮」とも「天下の名城」とも讃えています。


【清涼寺と札の辻】




山門


本堂

 



沿道の建物1
太陽光パネルを設置した新しい民家ですが、古い町屋の形を取り入れています。
設計士さんのセンスを感じます。


沿道の建物1
建てられた当時はとってもモダンな建物だったでしょうが、今となってはレトロな渋さを放っています。


【清洲宿本陣跡】

 


【清洲公園】
現在の清洲城は、本来の位置から少しずれています。
もともとの城跡には清洲城公園が設けられています。
 


「織田信長である。」
「わしはここから桶狭間に出陣したのだ。」

残念ながら、清洲城跡は東海道本線・新幹線に分断されてしまいました。
 

ちなみに線路より南が清洲城公園、北が清洲古城跡公園となっています。
 


清洲城模擬天守、現在の(名誉)城主は元フィギュアスケート選手の織田信成氏(ホント)です。

さて、この日の行程はこれで終了です。
清洲城駐車場(清洲総合福祉センター)に駐めておいたバイクに乗って帰宅しました。
 



コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美濃路を歩く その8(西枇杷島~新川)

2015-02-05 | 街道を歩く


西枇杷島の美濃路です。
けっこう頻繁に車が通ります。 


昔の街並みの名残が感じられます。


うどん屋さんに寄ってみます。


きしめん定食 680円
「近年、きしめんの需要が激減」とニュースで言っていました。
もちもちでびろんびろんとしたワンタンにも似た食感ですが、腰があるつるつるした麺に人気が移っているようです。


屋根神様


ここにもそれらしいのが・・・


美濃路はここらで少し折れ曲がって北西に向かいます。


【瑞正寺】
江戸初期に千本松原(名古屋市中区橘町)から移転した刑場がこのあたりにありました。


山門


土器野の宝塔

 


清正公堂
加藤清正は熱心な法華の信者であっので、清正公(せいしよこ)さんと奉称し,所願成就を祈る信仰がおこりました。

 


【新川】
新川にかかる新川橋を渡ります。
 


新川は、1784(天明4)年から開削が始まった運河です。
この辺りはたび重なる庄内川の氾濫によって甚大な被害を被ってきました。
そこで、寺野村庄屋 丹羽義造は窮状の打開を尾張藩に訴えたが、かえって閉居処分の 処分を受けてしまいました。
庄内川は名古屋城の外堀の役目をしていたので対岸川の堤防をかさ上げするとお城側が切れる可能性が生まれるのです。

1779(安永8)年洪水の惨状を視察した藩主宗睦は、 庄内川の治水事業を命じました。
勘定奉行水野千之右衛門は、庄内川に沿った新しい川の開削を計画し、天明四年(1784)に 一斉に着工しました。
1787(天明7)年、四十万両の巨費を投じた新川が完成し 、流域住民は水禍を免れることができたのです。

 

ただし、それから210年ほど後の2000(平成12)年、東海豪雨によって再び、この地が被害を受けました。大変悲しい話です。


 



古い新川橋の欄干
津島街道道標を兼ねています。
津島街道はここから 分かれ、甚目寺観音、木田、勝幡を経て津島神社に至ります。

 

 


新川開削本陣跡は、


UFJ銀行になっていました。


このあたりの美濃路
 

ミニ屋根神様?
 

うだつも見られます。



  (続きます) 

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美濃路を歩く その7(枇杷島橋)

2015-02-04 | 街道を歩く


名鉄本線のガードをくぐります。

【枇杷島橋】
庄内川まで来ました。


以前かけられていた枇杷島橋のレプリカです。

 


現在の枇杷島橋です。
この橋を渡ります。

さらば名古屋市
 

左手にはJR東海道本線と新幹線が、

 

右手には名鉄本線が並行して走っています。
 


こんにちは清須市
2005(平成17)年、清洲町・新川町・西枇杷島町が合併して、清須市となりました。
「清洲」ではなく「清須」であることについて、市のHPでは、古来、両者が使われており、むしろ清須の方が古い表記であると述べていますが、
私の聞いた話は、清洲町の名に新川町の中心部である須ヶ口の文字を当てはめたというものです。
で、残された西枇杷島町は今でも「清須市西枇杷島町」と住所に残すことで納得したそうです。

枇杷島橋を越えると美濃路は西に向かい東海道本線と新幹線と交差します。
 

【西枇杷島問屋記念館】
西枇杷島本通り入口には枇杷島市場が開かれていました。
江戸の神田、大坂の天満と並ぶ日本三大市場として栄えたそうです。
 


問屋記念館は、山田九左衛門家の住居を移築復元し、青物問屋の様式を伝える建物です。

 

 



 
 

横に短く縦に長い町家造りです。




 

(続きます)


 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いつのまに・・・・?

2015-02-03 | SR400

ETCには、マイレージといって通行料金に応じてポイントが貯まり、そのポイントを還元額(無料通行分)と交換できるサービスがあります。

還元額は、ETCによる高速道路の通行料金の支払いに利用できます。

ETCマイレージサービスへのご登録は無料です。
また、本サービスのための年会費もかかりません。

詳しいことはETCマイレージのページでご確認下さい。
http://www.smile-etc.jp/

ポイントの還元方法はいろいろありますが、自動還元を申し込んでおくと煩わしい操作も要らず恩恵を得ることができます。

ただし、注意しなくてはいけないのは、ポイントには有効期間があるのです。
還元額に交換できる期間は、ポイントが付いた年度(4月~翌3月)の翌年度末までです。
加えて、1000ポイントに満たないポイントは、自動還元されないため、手動で還元手続きを行う必要があります。

このため、自動還元されている方でも、この時期に確認するとよいかと思います。

今回、2015年03月末日まで有効なポイント を確認し、500円分手動で還元手続きをおこなったところ、なんと還元額の合計が15,500円と表示されました!

いっ・・・いつの間にこんなに貯まったんだろう?

まてよ・・・

思い当たるフシがあります。

還元額の履歴を調べたら、




ありましたありました。

そうです。
SRにETC車載器を取り付けたときに応募した二輪車ETC車載器購入キャンペーンの還元金が入っていたのです。

すっかりわすれていました。
なんかすごく得した気分です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美濃路を歩く その6(押切~東枇杷島)

2015-02-01 | 街道を歩く

美濃路の旅、3日目です。

この日は名鉄 栄生(さこう)駅で下車して歩き始めました。

【白山神社】
 


鳥居
ずいぶん高いところにしめ縄がかけてありました。
大変だったでしょうね。


名古屋十名所とは?
調べてみました。
大正十三年、新愛知新聞社(現中日新聞)が選定した十名所で、
 熱田神宮・名古屋城・笠寺観音・闇ノ森・榎ノ権現・櫻田勝景・圓頓寺・久屋金刀比羅・山田元大将之社・天理教々務支庁
だそうです。
このうち榎ノ権現(えのきのごんげん)とはこの白山神社のことです。
また、闇ノ森(くらがりのもり)とは若宮八幡宮ですから、熱田神宮・圓頓寺とあわせて、4カ所今回の旅で訪れました。


狛犬

さらに奥に2対、計3対の狛犬が置かれています。
 


本殿

かつて、白山神社の前は、立て場でした。
立て場というのは、人夫が杖を立てて休息する所からいわれ、宿と宿の中間にあって、旅人のために茶店等が設けられていました。

神社の西側を流れていた笈瀬川に権現橋という石橋があったそうです。
現在、川も橋もなくなりましたが、かつての橋の欄干は白山神社の垣根の一部として使われています。
 


美濃路を歩いていると、信長の名は何回も出てきます。



名古屋市西区の美濃路です。
主要幹線道は新しく作られた国道22号線(名岐バイパス)および、その上を通る名古屋都市高速にかわったため、交通量は多くありませんが、中小企業の事務所や工場、店舗も見られ活気がうかがわれます。

街道沿いの町家の名残も感じられます。


 


【八坂神社】
 


鳥居


本殿


【西源寺】
 


本堂



西源寺会館
法要などに使われるのでしょうか。


【清音寺】
 


はじめて枇杷島の名の由来を知りました。


山門


本堂

(続きます)

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする