橋本屋吉次郎電子日誌

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美濃路を歩く その9(須ヶ口~清洲城)

2015-02-06 | 街道を歩く

須ヶ口まで来ました。



名鉄津島線を越えると、北西に向かっていた美濃路はさらに折れ、北北西に向かいます。

 


【元須ケ口一里塚の 道標】




正覚寺の山門前に置かれています。
 


【鍵曲り】
名鉄「丸ノ内」駅西あたりで美濃路はクランク状に曲がっています。
鍵曲りです。
 
 

丸の内?鍵曲り?・・・そう清洲城の城下町に入ったのです。

清洲は、1476(文明8)年に守護所が移されてから尾張の政治・文化・経済の中心地として繁栄しました。
しかしながら、1610(慶長15)年、徳川家康は清洲廃都、名古屋遷都を指令しました。
行政機能のだけではなく、多くの町人もともに移動し、6万都市はその姿を消しました。
これを「清洲越し」といいます。


このあたりは、以前の通勤路でした。
毎日この光景を見るうち、美濃路に興味を持ち始めました。
ただ、実際に歩いてみるまでには、、ずいぶん時間がかかりました。


【清洲桜醸造】
五条川沿いの造り酒屋
清洲桜醸造です。
 

看板商品である「信長鬼ごろし」のTVCMはとてもすばらしいので、是非全国の皆さんに見ていただきたいものです。



鬼ころし- 織田 信長 "Demon Slayer" 酒!

【五条橋】


五条橋です。
清洲城の門前にかかるところから御城橋とよばれていましたが、清洲越しの際に欄干ごと名古屋の堀川に移設されてしまいました。

橋元になにげなく設置されていた案内板
美濃路を歩くと、この手のエピソードに欠くことがありません。
 


五条川


橋の西たもとにある「清洲古城趾」の碑
右奥に現在の清洲城の模擬天守が見えます。

朝鮮通信使は美濃路を通行するのが慣例でしたが、彼らは清洲城を「関東の巨鎮」とも「天下の名城」とも讃えています。


【清涼寺と札の辻】




山門


本堂

 



沿道の建物1
太陽光パネルを設置した新しい民家ですが、古い町屋の形を取り入れています。
設計士さんのセンスを感じます。


沿道の建物1
建てられた当時はとってもモダンな建物だったでしょうが、今となってはレトロな渋さを放っています。


【清洲宿本陣跡】

 


【清洲公園】
現在の清洲城は、本来の位置から少しずれています。
もともとの城跡には清洲城公園が設けられています。
 


「織田信長である。」
「わしはここから桶狭間に出陣したのだ。」

残念ながら、清洲城跡は東海道本線・新幹線に分断されてしまいました。
 

ちなみに線路より南が清洲城公園、北が清洲古城跡公園となっています。
 


清洲城模擬天守、現在の(名誉)城主は元フィギュアスケート選手の織田信成氏(ホント)です。

さて、この日の行程はこれで終了です。
清洲城駐車場(清洲総合福祉センター)に駐めておいたバイクに乗って帰宅しました。
 



コメント (6)
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