橋本屋吉次郎電子日誌

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美濃路を歩く その16(萩原宿)

2015-02-26 | 街道を歩く

美濃路を歩く旅も6日目になりました。
名鉄尾西線の萩原駅にクルマを置いて歩き始めます。

【萩原商店街】


駅の北側にある萩原商店街
ここに萩原宿がありました。

近年、多くの駅前商店街でかつての賑わいが廃れ、閉店する店が増え、シャッター通りになっている光景が見受けられます。
郊外型大型量販店に対し個人商店ではなかなか勝負にならないようです。

この萩原商店街も閉店してしまった店や
 
 

営業しているのかどうかわからない店も点在していましたが、

 

まだまだ、元気な店舗もけっこう見られました。
なんだかうれしくなります。
 
 
 

そして、商店街の中にも宿場らしい建物や

 


趣のある建物(写真は萩原郵便局跡)が点在しています。
 


【正瑞寺】
正瑞寺は、萩原宿西の端にあります。
蓮如上人巡行の際に天台宗から浄土真宗に改宗した寺院で、このあたりに高札場があったといわれています。
 

本殿は改築中でした。
 
 


萩原宿はここで直角に折れ曲がり、南北に方向になります。


古い建物がちょくちょく見られます。
 
 


(左)馬頭観音、(右)地蔵菩薩で奥の建物は山車倉庫として使われています。


馬頭観音は1763(宝暦13)年に萩原宿の馬持ち12名が建立し、2008(平成20)年再建されました。


ベランダ?にも神様が祀られています。


【問屋場跡】
 


【本陣跡】


問屋場跡・本陣跡ともに碑が建てられているだけでした。

ただ、昔を忍ばせる建物はこの近くにも見られます。
 


萩原宿最北端にあった建物
以前は茅葺きだったのでしょう。
熱田から美濃路を歩いてきて初めて見かけました。


【萩原城跡】
問屋場・本陣跡の東あたりに、かつて萩原城がありました。
城主は、三次吉房、豊臣秀次の父です。
1590(天正18)年、秀次が尾張を領した際、吉房は10万石を与えられ、犬山へ移りました。
その後、1595(文禄4)年、秀次失脚に連座して領地を失い、讃岐へ追放されました。
江戸時代に入ると、徳川義直の御茶屋御殿が築かれたそうです。

現在はNTT西日本萩原電話交換所になっており遺構はありませんでした。
 
 


(続きます)


コメント (4)
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