松阪城は蒲生氏郷によって、天正16年に建てられました。
大阪城築城の5年後で技術的にも成熟期に達しており、加えて名人といわれている氏郷が手がけたとなると十二分に期待できます。
表門です。
城郭の基本で、敵のたやすい侵入を防ぐため、まっすぐ進めません。
左に曲がると二の丸跡に、右に曲がると歴史資料館にたどり着きます。
本丸まではさらに何度も曲がらなければ行けません。
石垣は野面積みといわれる大きさが不揃いなものです。
一見原始的に見える工法ですが、規則性がないぶん登られにくい実践的な積み方です。
見事な高石垣です。
二の丸には見事な藤棚がありました。
また、別の場所には梅林があり、どちらもきっと優雅に咲き誇るのだろうと予想されます。
梶井基次郎の碑ごしに松阪の街が見えます。
この門の向こうには、本居宣長旧宅と記念館があります。
中御門を通ると、
ようやく本丸にたどり着きます。
本丸の隅には天守閣の他、
月見櫓、
金の間櫓が置かれていました。
残念ながら松阪城の建築物は残っていませんが、石垣を見るだけでも堅固さと雄大さが容易に想像できます。
裏門を出ると、
城を守るための侍達の御城番屋敷が残っていました。
高いところから見るとこのように長屋になっていることがわかります。
紆余曲折の末、紀州からやってきたここの一族は明治以降もこの地で生活されているそうです。
現在でも表札が掲げられたり、バイクが置いてあり生活感が漂っていました。
その中でも空き家らしきところがあったので撮らせていただきました。
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石垣の規模からすとさぞ立派であったろうと思われるのに建物が無いのは残念ですねぇ~
でも鉄筋コンクリートの城ならば無いほうがましかも・・・
番屋敷にまだ住んで居られるのですか?凄い!
建物が現存しているのは奇跡なんですよね。国宝四城でも、松本城・犬山城・彦根城は天守閣くらいしか残っていません。姫路城はかなり残っていますが、本丸御殿は広場になってます。
おっしゃるように、鉄筋コンクリートの建物よりはこの方が感じるものが多くていいです。
日本百名城選定の時、御城番屋敷があるから松阪城は選ばれた由とのことです。行かれるときはここも見学することをお薦めします。
この屋敷、イイですねえ。木造家屋である日本の城は、ヨーロッパの石城に比べて焼失率が高く不利。それでも現代まで残っている数少ない城だからこそ価値があるということですよね。素晴らしいです。野石積みという言葉をすっかり覚えました。橋吉さんの記事で勉強させて頂いています。
ヨーロッパの建物ってすごいですね。TVで18世紀の著名人の生家なんて紹介されます。今でもごく普通に生活されています。
城が残っていないのは明治時代に封建制の象徴ということで破壊されたこともあげられます。文化財としての認識は低かったようです。
石垣はだんだん四角く切られた綺麗なものになりましたが、形が揃っている分、登りやすいのです。ちなみに野面(のづら)です(失礼)。
ただ単に、被写体がいいからだと思うのですが、どれもカレンダーにでもしたいような写真ばかりです。(本当は先生の撮った写真の隠れファンだったりします。)
最後の写真の家、いい雰囲気です。空家なら、格安で貸してもらいたいものです。
写真に関してはブログを開設するまではまともにスナップも撮れないほどでした。技術は今でもありませんが、多くの城をまわっているうちに一番美しく見えるアングルがわかるようになったのかも知れません。
私も御城番屋敷をみてここに住みたいなぁと思いました。