山中城は北条氏が造った山城です。
箱根峠に近い静岡県三島市山中に作られていました。
近くには旧道があります。
現在の山中城は中世の山城、とりわけ石垣ではなく堀と土塁を発達させた関東の造成法をみることができる貴重な史跡です。
変化に富んだ山の中に、地形を活かした広大な縄張りがあります。
パンフレットに記された見学コースに従えば、短いコースでも1時間、長いコースだと2時間かかります(ちなみに私はすべて見学しましたが、きっちり2時間かかりました)。
本丸です。いくつかの曲輪が設けられその周囲はこのような土塁が築かれています。
天守櫓の跡です。
兵糧庫を復元したものです。中は休憩室となっていました。
この日は幼稚園児達が見に来ていて、ここでは「ありじごく」の説明を聞いていました。
二ノ丸です。
櫓台です。
西ノ丸です。
ここにも櫓がありました。
北ノ丸です。
秀吉の小田原攻めに備えて急遽出丸が作られました。
御馬場曲輪跡
すり鉢曲輪跡。出丸の完成前に秀吉軍を迎えることとなったそうです。
曲輪の間は堀が巡らされていますが
この堀に山中城最大の特徴があります。
堀内での敵の動きを制限するために障子の桟のような仕切りを設けた障子堀という北条氏独特の構造です。
堀には橋がかかっていますが敵に攻められたときは、わざと破壊して落とすために木で作られていました。
この橋は半分は土橋ですが、半分は木橋となっています。
山城で心配となるのは飲み水です。
そこで、城内に何カ所も池が作られていました。
三ノ丸は、現在宗閑寺の境内となっていますが、そこにはこの城で戦死した武将の墓があります。
北条方と豊臣方が並んで葬られているのが印象的です。
史実によると、四万の豊臣軍に対して山中城の北条軍は四千であり、圧倒的な戦力の差のため半日で落城したとあります。
史跡を見てどうもこの事実に合点がいきません。
武装した豊臣軍は箱根を登るだけでも疲れているはずです。
原野と異なり、狭い谷に押しこめば大軍であればあるほど混乱するはずです。
地の利を利用してゲリラ戦に持ち込めば、勝つことはできなくともしばらくの間足止めすることは必ずできるはずです。この城はそれだけの防御力を持っているはずです。
おそらく、秀吉得意の凋落とか内通する者とかがいたのじゃないでしょうか。
山中城バス停前に売店があります。
ここは案内所も兼ねており、パンフレット・地図も置いてありますので見学する前に必ず寄りましょう。日本百名城のスタンプも設置されています。
ここでもらった地図は大変役に立ちました(それでも迷いましたが・・・)。
この売店の名物の寒ざらし団子です。
上新粉を冬の寒気にさらして作った団子で、抹茶塩と味噌が付けてあります。これでなんと300円、注文してから焼くので熱々です。
けっこう歩き回るのでこれはお勧めです。
山中城史跡案内所・売店
三島市山中新田410
10:00~16:00 月曜休み(祭日は営業で翌日休み)
また、北条氏が三島にまで勢力があったのも歴史が苦手な私には初耳でした。
この山中城ですか?すごい規模ですね。
これだけの城をいくら兵力が違うといっても、強力な武器がない時代に簡単に攻め落とすのはやはり無理だと思います。
と、一応感想は述べましたが、一番興味をひいたのは寒ざらし団子です(^_^;)
先般の記事でも気になっていましたが、山中城のお堀は面白いですね。
たっぷり楽しめそうなこの城跡は、一度は行ってみたくなりました。(もちろん、寒ざらし団子は必須でしょう!)
「ありじごく」はウスバカゲロウの事でしょうか?いかにも生息しそうな兵糧庫の軒下ですが、最近はお目にかかっていません。ただ、ウスラバカヤローなら周りに沢山います。(笑)
三島といってほとんど神奈川県との境のあたりです。そちらから向かうと箱根新道の終点を通り越して1号線を数km行ったところです。箱根を攻めたついでに行かれてみてはいかがでしょうか。
寒ざらし団子はけっこう食べでがありました。
中世の山城はあまり残っていません。中には勘違いして鉄筋コンクリートの天守閣のような建物を建てちゃっているところもあります。このような史跡を整備保存している(ここは国の史跡)ことに敬意を感じます。
ありじごくはウスバカゲローの幼虫です。以前は縁の下などにいたのですが、今や縁の下自体がなくなりつつあります。
この堀は11さん同様に以前の記事で気になっておりました、山の上に更に堀ですか?現在は水は抜いてあるのでしょうが、もちろん水が張ってあって更に水の中に障子の桟があると理解してよろしいのでしょうか?で、敵が堀に落っこちて、「ここは浅いぞ!あぁ~ブクブク・・・」と、言う仕掛けですか?橋吉さんお勧めで西国の城が有りましたらば教えて下さい!温泉とあわせて行ってきます!
ううううう、お団子ツーリング?
特にお堀の構造には興味をひかれました。
タケさんの疑問と同様で、水が張ってあるとして、その中で具体的にどう制限されるのか、ご存じでしたら教えてください。
山の中と言うこともあり、空堀であったと思います。それぞれの曲輪のまわりには堀が巡らせてあり、橋を落とすと島のようになるのです。敵は堀の中から攻撃することになりますが、左右に移動し背後につかれたりすることを防いだと思います。
西国のお薦めの城です。
・備中松山城(岡山)・・・見事な山城
・津山城(岡山)・・・石垣が綺麗
・大洲城(愛媛県)・・・復元天守だが、当時の工法そのままで作ってあります。
・高取城(奈良)・・・三山城のひとつ、秋になると紅葉が綺麗。
それと、
・千早城(大阪)・・・一度行きたいと思います。その際はご一緒にいかがですか。
近頃の梅雨は大雨になることが多く、油断できません。岸和田から三島は日帰りツーリングはツライでしょう。伊勢路はけっこういろいろおいしい餅があります。それを体験しに行きたいです。タケさんへもコメントしましたがそのうち、千早城(ついでに岸和田城)へ行ってみたいと思います。ご一緒されませんか。
この城は有名な大名が城主であったわけでもなく、歴史上大事な戦いがあったわけでもないのであまり知られていません。
山城ですからこれだけの堀に水をためることはできませんので空堀だったと思います。2番目の写真のような土塁の陰から石を落としたり、矢を射っていたと思います。その際、広がられると守りにくいので相手側の展開を妨害していたと思われます。