橋本屋吉次郎電子日誌

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勝連城

2016-04-09 | お城巡り(続日本100名城)

沖縄旅行3日目です。

勝連城は与勝半島の付け根の丘陵に位置します。
 

10代にわたり按司(あじ,地域の首長のこと)によって治められ、10代城主、阿麻和利(あまわり)の治世が最盛期です。
地の利を活かした中継貿易で経済力と軍事力を持ち、首里王府とは別の道を歩もうとしましたが、最終的に王府の軍勢によって滅ぼされ、衰退していきました。

高低差を活かした城づくりが特徴です。
 

四つの曲輪をもつ連郭式の城です。
 

一番低いところにある四の曲輪
 


防御田地
かつて付近この一帯は 「底なしの沼」と言われるほど、水量豊富な湿地帯でした。
侵入者があった場合、湿地帯に足を取られる “防御ライン” としての機能が想定されていたようです。
また、平時においては城の財政を支える農地として活用されていたことでしょう。


門口のカー
カーとは井戸のこと


スマホで案内を楽しむことができるようです。
お城巡りも変わってきました。

三月だというのにヒルガオが咲き、
 

バナナが生えています。
 

こんな表示もありました。
 


四の曲輪から見る右旋回の階段
勝連城の石階段は、急勾配で城壁に沿うように右側から旋回して上る構造になっています。
これは、侵入者の体力を消耗させ、右手側城壁より攻撃を加えることで、敵軍の機動力と
攻撃力を弱めるための工夫だといわれています。


ウタミシガー
旧暦元旦の「初拝(はつうがみ)」の際に、この泉の水量によって一年の豊作・凶作を占いました。


ミートゥガー
水汲みは若者の仕事であったので、女性が自由な行動を制限された時代でも、外出の口実になりました。
このため、この泉が男女の逢瀬の場であり、「ミートゥガー(縁結びの泉)」と呼ばれるようになりました。

美しい海見下ろすことができます。
 

この城も石灰岩を加工し、美しく曲線に積み上げています。
 
 
 


三の郭城門
かつては赤門があったそうです。

横の目地が揃った、切込ハギ布積みです。
 

二の曲輪にはいくつかの遥拝所が置かれていました。


ウミチムン
火の神様


ウシヌジガマ
ガマとは洞穴のことで、天災や戦のとき、ここに身を潜めて難を逃れたそうです。

 



殿舎跡
礎石の大きさや数・配置から推察するにずいぶん立派な建物があって用です。
大和瓦も発掘されており一部は瓦葺きだったようです。

この日は振替休日でしたが、保存修理工事がおこなわれていました。
作業員の方お疲れ様です。
 


一の郭
貴重品を保管する倉庫があったのではないかと考えられているそうです

駐車場に隣接して無料休憩所がありました。


勝連城跡休憩所   
所在地: 沖縄県うるま市勝連南風原3908
開所時間: 9:00~18:00
休日: 年中無休

コメント (2)
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