橋本屋吉次郎電子日誌

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岩倉城(尾張国)

2012-05-28 | お城巡り(その他)

岩倉城は、1479(文明11)年、織田敏広によって築城されました 。
当時の尾張は対立する2つの織田家によって分割して統治されていました。
敏広は北部を治める織田伊勢守系の当主です。

もう一方は、清洲城を居城し南部を治めていた織田大和守系でした。
こちらでは織田信秀が死去、信長が家督を継いだものの評判が悪く、弟の信勝を推挙する動きが発生します。
内部分裂と判断した伊勢守系は信勝を支援しますが、逆に信長に攻められてしまいます。

こうして1558(永禄元)年の浮野合戦で伊勢守系は敗北、翌1559(永禄2)年、岩倉城は落城し伊勢守系織田氏は滅亡しました。


城址は市街化されてしまっており、記念碑が残されているのにすぎません。


「岩倉城址」の碑
道路際に建っており、容易に確認できます。


「織田伊勢守城址」の碑


城跡は小さな公園のようになっていて


地蔵堂


不動明王像


日露戦争の記念碑がおかれている他


水飲み場やベンチも設置されていました。

なんと、道を挟んだ向かいにはトイレも作られていました。


復元予想図(現地案内板)
すぐ西を流れておる五条川を利用して堀が作られていたようです。


現在の五条川は有名な桜スポットとなっています。


城下町も形成されていたようです。(現地案内板)

岩倉駅東あたりには鍵形の道のあとが見られます。
これは敵の侵入を待ちかまえたり、行き止まりに見せかけるためのものです。

反対側から見てみました。

近くの神明生田神社の境内には、

 
山内一豊生誕記念碑がありました。

要約するとこういうことだろうと思います。

一豊の父、盛豊は織田伊勢守家の家老であり、岩倉城落城のおり、亡くなりました。
これは大河ドラマ巧妙が辻の冒頭場面となっています。

なお、一豊生誕に関しては、黒田城(一宮市木曽川町黒田)とする説もあります。
http://blog.goo.ne.jp/pf11/e/204dfe865ca7a107ffabbfed3925532b

ともかく、きっと地元の皆さんは誇りに思われていることだと思います。

コメント (14)
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