橋本屋吉次郎電子日誌

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小田原城

2010-06-13 | お城巡り(日本100名城)

小田原は、言わずと知れた城下町でもあり宿場町でもあります。
そもそもは北条氏(後北条氏)の城であり、往事は町全体を土塁と空堀で取り囲んだ構造になっていたといわれています。
現在のような石垣作りの城は1632年大久保忠隣による大改修以降ことです。
残念ながら、小田原城には現存の建築物はほとんどありませんが、少しずつ復元されて整備が進められています。

東側が正面入り口になっています。

馬出門です。平成21年に復元されました。
ここをくぐると馬屋曲輪です。


南東角には櫓の跡がありました。


ここから住吉橋を渡ると二の丸です。


平成9年復元の銅門(あかがねもん)です。銅板の装飾が名の由来です。


堀と二の丸の間には学橋(まなびばし)という赤い橋もかかっていますが、これは後の世につくられたものでしょう。あまりに簡単にアクセスでき、無防備すぎます。
以前は城内に学校があり、通学用につくられたのでこの名が付いたのだと思います。


二の丸は広場となっており、イベントの準備をしていました。


二の丸南東にある平櫓です。
平屋の櫓はめずらしいです。小田原城で唯一現存していた建築物でしたが、残念ながら関東大震災で倒壊してしまいました。現在のものは昭和9年に復元されたものです。


二の丸にある小田原城歴史見聞館です。模型や映像を見て予習をしておくとより楽しめると思います。


小田原市天然記念物にも指定されているイヌマキです。小田原城の建築物は再建されたものばかりですが、歴史を見守ってきただろう巨木がたくさん残っているのが印象的でした。

江戸時代には本丸を囲むように内堀がありましたが、現在は東側の部分が菖蒲畑となっているだけです。



本丸の正門に当たる常盤木門です。昭和46年の復興されました。


本丸御殿の跡は広場となっています。


現在の天守閣は、昭和35年(1960)に、市制20周年の記念事業として復興したものです。
江戸時代の設計図や模型を参考に、鉄筋コンクリートで外観復元したものですが、小田原市の要望により天守最上階に高欄が取り付けられ、本来の姿を忠実に再現するものではありません。


最上階から眺めた小田原市街です太平洋と山に挟まれた要塞都市として適した地形であったことがよくわかります。


手前の山が笠懸山です。ここに秀吉はひそかに石垣山城を設立し、ある日、林を伐採し突然姿を現したそうですが、こんなに近くですからさぞかし驚いたことでしょう。


本来大手門の近くにあった鐘楼が、裁判所横に移設されています。


小田原城の北側(旭丘高校となり)には城内臨時駐車場があります。
御用米曲輪の跡地であり、いずれは整備する計画があるので「臨時」なのでしょうか。
ここに自転車・バイクを駐輪できます。
入口のみ四輪と区別されており、なんと料金所を通らずにとめられます。


つまり、無料なのです。偉いぞ!小田原市!


                    小田原城天守閣・見聞館
                 9:00~17:00(入館は16:30まで) 
           休館日:12月第2水曜日、年末年始(12/31~1/1)
           天守閣・見聞館共通料金:大人600円(小中生200円)
           下記サイトに割引券があります。
     http://www.city.odawara.kanagawa.jp/kanko/Service/waribiki.html

コメント (8)
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