花と虫は、虫と花でもいいが、それぞれ依存しあいながら生きていて、そのどっちも利用して
いるのが、人だということになるし。人と、虫とか花はどっちが先に、この地球上に出て来たか、
というと、どっちだというのは意味がないとかいわれそうだ。虫の社会というのはあって、花もあれ
ば、でもどうなのか、虫の、花の社会だけというものは。あり得ない、そうゆうことはない。同じ
ように、生き物として生きていて、人だけずいぶん違う、とかいう。本当のようだ。虫は、食べない
が、食べる人もいるし、花は食べる。虫を利用する。いろいろ、受粉に、他だとミツバチなど。天敵
として、利用する。
もう少し近いところでは哺乳動物で、ペットとして、飼われるもの。昔はイヌは番犬だった。ネコ
は知らない。飼っているところはあった。でもネコがネズミを捕るとかいう意味で飼ってい
たのではなくて、同じく鳥かごに飼われている、小鳥を食べたりもネコはした。なんだかややこ
しい。
お寺とかに、ネコとかよくいるとかいう。それはもう少し都会じみたところの話しで、鄙のお寺
とかは、人はいるが、ネコは滅多に見かけない。飼い犬はいるかも知れないが、そうゆうところ
は少しだけ、木は多く、場合によっては、樹液を出すそうゆう木もある。それゆえ、私が暑いと思い
ながら、でも実際はさほど暑くはなかった。それでアジサイの花の色というのを探して、
例えば典型的な青い色のアジサイの花を近くに探して、というかわかっているからそこへ
とゆくわけだが、もうなぜか昔の色具合はない。昔の方がよかったのではないか。でも見た目の青い
アジサイはよかった。よかったが、もう少し先で、人の声がしてそれでこちらに向かってくるし、
余り知らないうちのアジサイの花を撮っているのも、同じようなことをやっているかただと理解は
あるが、普通に見ていて、いい感じはしないだろう。そうゆう考えは私にもあるから、人のこちらに
来る気配を感じて、その青のアジサイの花はもういいと思った。
不思議なもので、そうゆうことがなければ、結局そうゆう考えをしたから、木の多いそうゆう
ところに戻ったのだけど、そしたら、ゴマダラチョウとかいう、一回くらいは見たかも知れないチョウ
が飛んでいて、そのチョウはなぜか見慣れた、なんどもそのそばにいたことがある、またそこは
お寺でもあるから、よく来るのだが、そのチョウが木に止まったという幸運に巡り合った。
これは不思議かどうか、というと、そうでもない。結局多くの場所に同じ時間、人はいること
が出来ず、それゆえそうゆうことにもなるのだ。こうゆう花がないか、こうゆう色をしたアジサイは
ないか、というのは大体どこかにあって、でもどこにでも好きな時間そこに行くことは出来ないか
ら、そうゆうことも起こるのである。これはヒメジャノメに出会ったときもそう思った。
予想はしていたが、なんだかすごい雨雲が接近しつつあるようで、大粒の雨が降り始める。ま
た雷もゴロゴロいう。若干危なさそうな感じもある。大雨は、これは降り始めると、どうしようも
ないが、今は少し様子を見た方がいいようなので、さっさと切り上げるのがいいようだ。雨はすぐに
上がるかも知れないが。
蚊は飼っていない、でもあっという間にいくらか喰われてしまった。これは最初に書いてい
たもので、一番最後に持ってくるようにしていた。雨が降って蚊に喰われる、反対で、蚊に多いに喰わ
れ恐ろしそうな大雨がやってきそうな感じがある。
アジサイの花の色。
他に、よくいるともいえる、カメムシの様子。カメムシは面白い。
後は、ナミテントウ。ナミテントウもなかなか見つからない。

ここのいえの、ガクアジサイか、ヤマアジサイで、白い装飾花は一部
赤いインクで染められたようになり始める。

まだ色の出ない、アジサイ。

ガクアジサイ。

好ましい、赤い色。

いい色。
カメムシ。

ユラユラ揺れる、ヒメジョオンの花。戻ってきたところで、花に焦点は
合っている。

今度はお尻のほう。

下から、全身赤い、黒い、カメムシ。
ナミテントウだった。ナミテントウながら、なかなかいない。

これも、ユラリユラリ葉っぱは揺れる。それでか、ナミテントウも必死で
葉っぱにしがみ付いている。

もう一つナミテントウ。目玉はどこか。
雷がゴロゴロいう、雨も激しい。
いるのが、人だということになるし。人と、虫とか花はどっちが先に、この地球上に出て来たか、
というと、どっちだというのは意味がないとかいわれそうだ。虫の社会というのはあって、花もあれ
ば、でもどうなのか、虫の、花の社会だけというものは。あり得ない、そうゆうことはない。同じ
ように、生き物として生きていて、人だけずいぶん違う、とかいう。本当のようだ。虫は、食べない
が、食べる人もいるし、花は食べる。虫を利用する。いろいろ、受粉に、他だとミツバチなど。天敵
として、利用する。
もう少し近いところでは哺乳動物で、ペットとして、飼われるもの。昔はイヌは番犬だった。ネコ
は知らない。飼っているところはあった。でもネコがネズミを捕るとかいう意味で飼ってい
たのではなくて、同じく鳥かごに飼われている、小鳥を食べたりもネコはした。なんだかややこ
しい。
お寺とかに、ネコとかよくいるとかいう。それはもう少し都会じみたところの話しで、鄙のお寺
とかは、人はいるが、ネコは滅多に見かけない。飼い犬はいるかも知れないが、そうゆうところ
は少しだけ、木は多く、場合によっては、樹液を出すそうゆう木もある。それゆえ、私が暑いと思い
ながら、でも実際はさほど暑くはなかった。それでアジサイの花の色というのを探して、
例えば典型的な青い色のアジサイの花を近くに探して、というかわかっているからそこへ
とゆくわけだが、もうなぜか昔の色具合はない。昔の方がよかったのではないか。でも見た目の青い
アジサイはよかった。よかったが、もう少し先で、人の声がしてそれでこちらに向かってくるし、
余り知らないうちのアジサイの花を撮っているのも、同じようなことをやっているかただと理解は
あるが、普通に見ていて、いい感じはしないだろう。そうゆう考えは私にもあるから、人のこちらに
来る気配を感じて、その青のアジサイの花はもういいと思った。
不思議なもので、そうゆうことがなければ、結局そうゆう考えをしたから、木の多いそうゆう
ところに戻ったのだけど、そしたら、ゴマダラチョウとかいう、一回くらいは見たかも知れないチョウ
が飛んでいて、そのチョウはなぜか見慣れた、なんどもそのそばにいたことがある、またそこは
お寺でもあるから、よく来るのだが、そのチョウが木に止まったという幸運に巡り合った。
これは不思議かどうか、というと、そうでもない。結局多くの場所に同じ時間、人はいること
が出来ず、それゆえそうゆうことにもなるのだ。こうゆう花がないか、こうゆう色をしたアジサイは
ないか、というのは大体どこかにあって、でもどこにでも好きな時間そこに行くことは出来ないか
ら、そうゆうことも起こるのである。これはヒメジャノメに出会ったときもそう思った。
予想はしていたが、なんだかすごい雨雲が接近しつつあるようで、大粒の雨が降り始める。ま
た雷もゴロゴロいう。若干危なさそうな感じもある。大雨は、これは降り始めると、どうしようも
ないが、今は少し様子を見た方がいいようなので、さっさと切り上げるのがいいようだ。雨はすぐに
上がるかも知れないが。
蚊は飼っていない、でもあっという間にいくらか喰われてしまった。これは最初に書いてい
たもので、一番最後に持ってくるようにしていた。雨が降って蚊に喰われる、反対で、蚊に多いに喰わ
れ恐ろしそうな大雨がやってきそうな感じがある。
アジサイの花の色。
他に、よくいるともいえる、カメムシの様子。カメムシは面白い。
後は、ナミテントウ。ナミテントウもなかなか見つからない。

ここのいえの、ガクアジサイか、ヤマアジサイで、白い装飾花は一部
赤いインクで染められたようになり始める。

まだ色の出ない、アジサイ。

ガクアジサイ。

好ましい、赤い色。

いい色。
カメムシ。

ユラユラ揺れる、ヒメジョオンの花。戻ってきたところで、花に焦点は
合っている。

今度はお尻のほう。

下から、全身赤い、黒い、カメムシ。
ナミテントウだった。ナミテントウながら、なかなかいない。

これも、ユラリユラリ葉っぱは揺れる。それでか、ナミテントウも必死で
葉っぱにしがみ付いている。

もう一つナミテントウ。目玉はどこか。
雷がゴロゴロいう、雨も激しい。