光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

雨が降って花々は元気だが

2010-06-29 19:00:04 | 植物・花(夏)
  今日は雨。鬱陶しい雨で、こうゆう雨は嫌だ。嫌いということ、こうゆうときがいいときも
あるかも知れない。運動会、運動会は嫌いだ。そうゆうときがあったりもした。雨が降れば、運動
会はなしだ。運動会が楽しかったときもあったから、しかし幸福な時間は過ごせたということに
なる。なんだか罪深い話しでもある。そうゆうことを思い出すこともある、雨の一日で、それ以外
はほとんどない。もう少し明るい話題がないか探すがない。きのう中に済ませて置いてよかった
というようなことはある。

  雨はよく降ったが、雨の観察をしているわけにはゆかなくて、またピンポイントで雨の観察と
いうのもあまり意味はない。ほとんどないかも知れない。それでも雨粒が大きくなる。空が暗くなる
と、ここは特に洪水が起こるとかいうところではない、土砂すべりが起こりやすいというと
ころでもないけれど、心配にはなる。心配性で、心配症である。もっとも気の毒な病気であって、
気の持ちようだけが問題で、それを理屈でわかっていながら、どうしようもないと諦めきれな
い。それゆえ、心配をする。いえが流されることはないが、雨漏りはあるかも、雨漏りがある
と、漏電もある。その漏電遮断機は正常なようだが、いざ火事にでもなると、と考えることは自
由だ。なんだか心配ばかりしている。ドンと来いというとこれまた来るかも知れず来そうだ
し。

  心配事というと、いつも母に飲ませる薬について気を使う。いかに楽に飲んでもらうか、あ
まりいらないことをいわない方がいい。そう思うが、これはどうだとかいわないと、ときに駄々を
こねられるときもあって、これが面倒なのである。錠剤はこれは比較的楽で、ただ副作用が出
るから、それを緩和させるため、粉の薬も服用させる。ただの、ヨーグルトの粉のようなもの
で、腸内にもともとあって、かつ有効な働きをする菌を増やすものと理解している。これはただの
粉で、それゆえ飲みにくいらしい。父の晩年はもう薬を飲むこともできないという状態で、しばらく
生きていたが、これは入院とかのずっと前の出来事。人は段々とものを食べることも出来なく
なるし、大きなカプセル状の薬も飲み込めなくなる。このときはかなり苦労した感じがある。
  粉薬は飲みにくく、またその感触というものもよくはないのだろう。なかなか飲んでくれな
い。そうゆうことが毎日続いて、私も多少か人並みに薬を飲むが何と寝ぼけてしまってとしか
いいようがないが。
  特に眠っていて、薬のことを考えていたわけでもないけれど、目が開いて、きっと頭の中に薬
というものが残っていたのか、そこに置いてある、薬箱を開けるという、さらには一錠ずつプラの包
装を切り取って、はっと我に返って何をばかなことをやっていると思って、自分自身も驚いた。
これは危ない。夜に飲む薬は、飲んだ後はどこかに隠さないといけないだろう。こうゆうこと
が起こるのは、一つは多分、母がいかにスッと薬を飲んでくれるか、ということがいつも頭の中に
あるからだと思うが、これも忘れそうなときももちろんあった。

  薬でなくて、必要なものは多い。目薬、これは偶然薬だったが、これがどこかへと消えて
しまう。机の上に赤だの青だの、黒だののボールペンも並べているが、黒は細いのと太目と両方使っ
て、一方がなくなるというときが多い。どこかへと持っていって、そのままなのだ。何か紙に書いて
ということをやらないと落ち着かないというか、話しも進まず、この紙とペンはいつもいる。
  いるというと定規などもそうで、お財布もある。この中のお金がどうなるかという、そうゆ
う不安はいつもあるが、今はなくなった分は使ったのだというのと一致する。これに関して後悔す
ることは多いが、使ってしまったのだからもうどうしようもない。当たり前か。後悔は必ずす
る。なら心配など止めておけばいい。整合性がある考えだがそうもいかない。

  やはりこうゆうことを書くのはもう止めよう。雨は午後に止んだときがあって、そのときは
風は穏やかで、でも書いたように雨の量はひどく、どこを歩いてもビショビショとしていて、気温は
25℃くらいでものすごく暑い感じもないが、歩けば汗が出て、ムシムシ感というのも出た。とき
に雲の切れ間が出て明るさが戻ったが、同時に暑くもなった。
  どの花を見ても雨に打たれて元気そうで、お辞儀をしているものもあったが、しおれてはいな
い。そうゆう花を見て、雨の花もやっぱりいいものである、
  と思ったのは、もちろんそのときは雨が止んでいたからである。雨の花の、雨の植物の面白
さというのは、これは記憶された、バイナリなデータをモニタで復元して初めてわかるもので、
この無機質感というのはどうだろうか。雨で、汗でグチョグチョ実際はしているので、どう考えて
も爽やかさは、このお天気ではない。ないものが、あるように残るデジタルの世界の不思議さ
は癖にあるいは習慣にもなって、また依存性もあるのかも知れない。





  ごく普通の、ここにあるアジサイが、少し色を付ける。




  まだ色付きのないものもあって、でもこの雨でアジサイは大きく変化した。




  このガクアジサイの色合いは、豪華絢爛という感じだ。




  爽やかなアジサイの青色と紫色。




  ノリウツギと思われるものも、花の量が増えつつある。こちらは真っ白。




  ミニカメのモニタというのは、実際のところ滅多に見えることはない。
  これも、太陽光の反射もあれば、方向も違って適当である。




  紫色の花。ちょっと背の高い、植物であれ、なんだろうか。昔のファイ
  ルをしかたなく削除しているが、概して記憶に残っていてこのものも削
  除。しかし、ここでよみがえった。




  今ひとつ印象深い感じがない。テッポウユリというのは名前から物騒
  だが、花そのものはこれは蓄音機のラッパである。
  このときは日が出た。




  何か聞こえるかな、ってそうゆうことはないが、もしかここから聞こえ
  るものが鉄砲の音ならこれは不可解で、タイムトンネルならなおのこと
  不可解で恐ろしげでもある。




キンシバイ、と雨のカエデの色

2010-06-29 16:13:45 | 植物・花(夏)
  午前中はよく雨が降った。このままだと一日雨のようで
  雨の一日になるとこれは鬱陶しいが、どうやら、午後になって
  雨は止んだ。雨が止んだから、濡れないで、外を歩くことは
  出来た。それにしてもどこもかも、ビショビショしている。
  木々の枝葉も、花びらも地面も土も草も濡れていて、
  ついでに、靴まで浸水した。

  困ったときの何とかは、いくつか考えられるが、
  今日は雨のカエデ。
  カエデの葉っぱもみな緑かというとそうでもなく
  雨が降ると、雨のカエデの美しさもある。

  キンシバイという花があるが、これは撮っていて時間がたった。
  その後は忘れていて、今はどうなっているか。
  キンシバイは少し昔のもの。




  昔ながらの、キンシバイだと思う。まだ蕾も多く、咲き初め。




  少し拡大。花のぼんやりとした、美しさ。これの後がどうなったか。
  惜しいことをした。


  雨のカエデの葉の色。



  その一。カエデの緑色が多いけれど、雨が続くからか、黄色いものも
  ある。赤いというものもあるかも知れない。




  その二。




  その三。線香花火のようなイメージもある。




  その四。雨でモアッとした感じになる。




  その五。

 


  その六。同じようなものが並びましたが、少しずつ大きさとか位置を
  変えてみました。


  

ざんざ降り

2010-06-29 06:41:30 | 散策


  モンシロチョウにしては、ずいぶんと大きなものだな、と思って
  しばらく追いかけたら、この花に止まった。機会はこのときだけ。
  この紫の小さな花にも名前はある。それよりも紫色というのが
  入ると画面がどうしても不安定になる感じがある。
  老化だろうか。


  朝のお天気は、雨。雨は夜中がひどく、この音で目が覚めた。きのうは、隣の
地域、これは北東の方角で、山と海に近いところだが、こちらで滝以上の雨が降っ
て、土砂災害の危険性というのも出た。その土砂災害の危険性はないだろうが、
結構降った。今は小康。湿気、と熱気は変わらない。

  アメダスの6時の気温、23.4℃。気圧は1007.3hPa、湿度は100%。風は静謐と
あり、ほとんど垂直に落下する雨。室温は、25℃。特にクシャミは出なかった。

  朝は雨がひどいと、鳥の鳴き声も少なく、静かであってそれで起きる時間と
いうのも眠いようなで、まずは熟睡感がない。今はそういえば静かで、鳥の鳴き
声もしないが、あるいはかなり遠くから、ピーピーという鳴き声のようなものは
聞こえるが、ある時間やけに大きな鳥の鳴き声がして、それがなんだかわからず、
ようやくモズの鳴き声だとわかった。モズも夜中に鳴かないといけない何ごとかが
あったということか。

  蒸し暑い。雨が降っている。湿度は100%で、玄関のタイルは相変わらずツル
ツルしている。滑りそうで気を付ける。それでも危険だ。玄関は危ないところの
一つだ。外が雨、でも普通は建物の中は雨はない。それに似た現象というと、これ
は花瓶を引っくり返すとかいうことだろう。
  朝から頭のところに置いてあったコップをひっくり返した。これは大変、大
慌て。こうゆうことが朝からあると、先が思いやられる。まー何ごとも警告として
受け取るということ。それにしても雨に、洪水とは面白くはない。