人それぞれで、みなそれぞれ違う感覚、違う生き方、違う好み、それぞれ何かを持って
いる。それでも寒さというと、これが好きかといわれると、それこそ好きであるとは言った
覚えは多分ないようで、覚えてはいない。子供といっても、せいぜい小学生の、真ん中
くらいなもので、それであー寒いとかいう。汚いとかもあまり感じず、手を洗わずになん
でも食べたりする。そうゆう時代があって今はその反対で、優秀な小学生は、まずは手洗い
をする。それから、どうするか、そんなことは知らない。
いい加減、大きくなると、寒さはかなわんなと思いつつ、学校とか会社にもゆく。いか
にも寒そうな光景が、今日のTVのニュースであったが、それは札幌かの映像のようで、しかし
雪はなかったようだ。厚手のコートを着て、それから手袋も目だった。山だとどうか、山と
いえそうにない、でも山である、そうゆうところに雪があって、いよいよ冬が来たという
感じもした。もっともで、私も寒いと思いつつ、そのTVを見ていた。でもまだ、それほど
寒くもない時間というのがある。体感温度というのは、いえの中にいても、その他の建物の
中にいてもすぐに外の気温を反映しない。しばらくして、時間差でその寒さはやって来る。
どの程度の寒気なのか、それもわからないが、買い物もさっさと済ませることにした。
それでよかったようだ。雨が再び降り始めて、また風も極端に強くなって、北風と、低い
気温と雨。当然たたきつけるような雨が降って、その雨の中を歩くことはなかった。大きな
変化というのがくるときがあって、それが地図の中にすべてが示されるわけではない。だから
いくら、PCで、気象庁のホームページの「降水ナウキャスト」の画面を見ても、冷たさは
実感されない。
午前中はさほどひどい天気でもなかった。もともと、寒気さえなかったら高気圧の
張り出しがあるから、晴れる。高気圧で、風が吹くのはわかりやすいが、雨が降り、雨が
雪に変わるのは、寒気の影響。だから一筋縄ではいかないのが天気なのである。特有の
気象用語。冬型。太平洋側に住んでいたことも結構長い。
大体、紀伊半島でも、冬は、それこそ晩秋から、ほどほどの山でも雪が積もって、その
姿を見たような感覚がある。高野山でも、その頂上辺りは、それこそ冬は冷え込む。
まったくの、真冬の冷たさがある。葛城山という山があるが、あるいは金剛山もアイゼン
が必要な山、冬は、のようで、
それと同じように、奥多摩の低い山々でも、もっともそうゆうときは行かなかったが、
3本爪のアイゼンくらいは、あるいはもっと爪の多いものを付けて、みな登っていたようで、
こうなると、太平洋も日本海も関係なく、冬は寒いとなる。でも、見かけ上は太平洋側は、
晴れるから、気分が違う。もっとも
空っ風というのがあるから、これは体にはよくはないと思う。雨が降らない冬と
いうのも、これも大変なものだ。それこそ、カラカラで、晴れで放射冷却があると、都会
でも道は凍るから、同じような怖さがあるが、日本海側、少なくても北陸は、水気の
多い雪が降る。ベチョベチョしている。すべる可能性はないが?、水がはねっかえる。
当然水しぶきも上がる。いや、いろいろあるねー。
今回の寒気は今のところ、明日までがひどく、その後はぼちぼち平年の値に戻るようで、
まずは簡単な冬の挨拶程度で済むのではないかと思っている。何しろ、暖冬の予報が出て
いる。
冬が好きとか、いう人もいたが、さて、何十年もたって同じように冬が好きと言って
いるかどうか、それはわからないが、まー若いころは何とかなった。ある程度歳をとると、
これは大体冬も夏も過ごしにくく、ついでに、春も秋も、ややこしくて、と、年がら年中、
お天気にごねることになる。
幻想のコスモスでもないが、また夢の中にコスモスも現われないが、
コスモスもまだ咲いている。残像でもない。
風で、非常によく揺れる。大きな手前の花がそれである。
べたとした、感じのコスモス。
倒れそうで、その状態で花が咲いた。
ちょうどお日様の方向を向いていた。
青空を背景に、枯れ葉を持つ木。
青空に溶け込む、枯れ葉を持つ木。
小さな Xmas ツリー。白いのはモンシロチョウのようである。
いる。それでも寒さというと、これが好きかといわれると、それこそ好きであるとは言った
覚えは多分ないようで、覚えてはいない。子供といっても、せいぜい小学生の、真ん中
くらいなもので、それであー寒いとかいう。汚いとかもあまり感じず、手を洗わずになん
でも食べたりする。そうゆう時代があって今はその反対で、優秀な小学生は、まずは手洗い
をする。それから、どうするか、そんなことは知らない。
いい加減、大きくなると、寒さはかなわんなと思いつつ、学校とか会社にもゆく。いか
にも寒そうな光景が、今日のTVのニュースであったが、それは札幌かの映像のようで、しかし
雪はなかったようだ。厚手のコートを着て、それから手袋も目だった。山だとどうか、山と
いえそうにない、でも山である、そうゆうところに雪があって、いよいよ冬が来たという
感じもした。もっともで、私も寒いと思いつつ、そのTVを見ていた。でもまだ、それほど
寒くもない時間というのがある。体感温度というのは、いえの中にいても、その他の建物の
中にいてもすぐに外の気温を反映しない。しばらくして、時間差でその寒さはやって来る。
どの程度の寒気なのか、それもわからないが、買い物もさっさと済ませることにした。
それでよかったようだ。雨が再び降り始めて、また風も極端に強くなって、北風と、低い
気温と雨。当然たたきつけるような雨が降って、その雨の中を歩くことはなかった。大きな
変化というのがくるときがあって、それが地図の中にすべてが示されるわけではない。だから
いくら、PCで、気象庁のホームページの「降水ナウキャスト」の画面を見ても、冷たさは
実感されない。
午前中はさほどひどい天気でもなかった。もともと、寒気さえなかったら高気圧の
張り出しがあるから、晴れる。高気圧で、風が吹くのはわかりやすいが、雨が降り、雨が
雪に変わるのは、寒気の影響。だから一筋縄ではいかないのが天気なのである。特有の
気象用語。冬型。太平洋側に住んでいたことも結構長い。
大体、紀伊半島でも、冬は、それこそ晩秋から、ほどほどの山でも雪が積もって、その
姿を見たような感覚がある。高野山でも、その頂上辺りは、それこそ冬は冷え込む。
まったくの、真冬の冷たさがある。葛城山という山があるが、あるいは金剛山もアイゼン
が必要な山、冬は、のようで、
それと同じように、奥多摩の低い山々でも、もっともそうゆうときは行かなかったが、
3本爪のアイゼンくらいは、あるいはもっと爪の多いものを付けて、みな登っていたようで、
こうなると、太平洋も日本海も関係なく、冬は寒いとなる。でも、見かけ上は太平洋側は、
晴れるから、気分が違う。もっとも
空っ風というのがあるから、これは体にはよくはないと思う。雨が降らない冬と
いうのも、これも大変なものだ。それこそ、カラカラで、晴れで放射冷却があると、都会
でも道は凍るから、同じような怖さがあるが、日本海側、少なくても北陸は、水気の
多い雪が降る。ベチョベチョしている。すべる可能性はないが?、水がはねっかえる。
当然水しぶきも上がる。いや、いろいろあるねー。
今回の寒気は今のところ、明日までがひどく、その後はぼちぼち平年の値に戻るようで、
まずは簡単な冬の挨拶程度で済むのではないかと思っている。何しろ、暖冬の予報が出て
いる。
冬が好きとか、いう人もいたが、さて、何十年もたって同じように冬が好きと言って
いるかどうか、それはわからないが、まー若いころは何とかなった。ある程度歳をとると、
これは大体冬も夏も過ごしにくく、ついでに、春も秋も、ややこしくて、と、年がら年中、
お天気にごねることになる。
幻想のコスモスでもないが、また夢の中にコスモスも現われないが、
コスモスもまだ咲いている。残像でもない。
風で、非常によく揺れる。大きな手前の花がそれである。
べたとした、感じのコスモス。
倒れそうで、その状態で花が咲いた。
ちょうどお日様の方向を向いていた。
青空を背景に、枯れ葉を持つ木。
青空に溶け込む、枯れ葉を持つ木。
小さな Xmas ツリー。白いのはモンシロチョウのようである。