光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

日常生活の変化が日常

2009-11-25 18:49:00 | 散策
  今日は暖かく、特に暖房もいらないくらい。でも暖房をつけて、そのスイッチを切る、
という暖かさ。これが今どきの暖かさかというと、どうだろうか。暖かいときもあった
ようだが、忘れている。どのくらい時間がたったというのも忘れていて、昔だと、
2000年前後という時代が、一つの区切りとなるとすると、その前のことは、結構覚えていた。
そう思う。その後の変化も最初は序序でゆったりとした感じもあったが、そのときというの
が自分の体調がすぐれないというか、反対で地獄の生活に近いものがあった。そうゆうとき、
まだ両親は元気だったが、それでももういくらか老いの坂道も中程度まで転がっていて、
しかしまだ認知症という病気の名はなく?、その後に出て来たようだ。そうゆう運命は誰も
が知らないものだが、ほどほどに老いながら、ほどほどに生きていて、自分の方が苦しんで
いた。

  ここから、脱するというのが大変だったようで、これはしかし自業自得というもの
だろう。でも今は、その当時と比べて、多少は気分も体も何とか生きていける感じもある
が、それ以外の変化が大きく、また記憶もかなり怪しくなり、時代が今に近ければ近いほど、
あやふやな感じがある。これも、自ら老化して、その段階、あるいは階段をかなり下りて
きている。その証拠ではないか。
  今は、母までが認知症の症状をはっきりと呈していて、しかし本人は、そのことが
理解できなく、また段々と病気の進行する状況が手に取るようにわかるので、この先と
いうのが見えている。父の場合、認知症という考え方、というのも出始めた当時で、また
老人性痴呆症でちゃんと立派に世間でも通った。最初は、さほどでもなかったが、段々と
妙な感じになるのは、はっきりとして来た。夜中に、12時に朝だと思ってご飯を食べる
準備をし、実際に食べているのだ。

  ご飯の準備は出来るが、食べる時間に無理があった。認知症と、介護保険の役割と
いうのも、私の方がすぐに理解できずしかし父の晩年をちゃんと生活が出来るように、
本人も満足して生活ができ、残る家族もさほど苦労せず時間を過ごせたこと、は介護保険と
特に介護施設の方々のご苦労とお世話がなかったらあり得なかった。今思い出しても、
最初のときの自分の態度がいかに不遜で、かつおかしいというのがわかるが、これもこと
の重大さの認識が出来ないということだった。
  どっちが子供だったかというのがよくわかる例で、それで今頃、母の毎日の生活と
いうのとほどほどに向かい合っていると、いやになるときも多く、はっきりと憂鬱なことも
多いが、しかし本人がなかなか介護ということを理解してくれない。父の場合は、性格の
違いもあるが、途中から「いえ」にいるのが嫌で、夜中に介護施設の方へ出かけた
こともあった。

  父はもう少し長生きするはずだと、父の両親は割と長寿だったから、思っていたが、
あっけなく程ほどでいってしまった。親孝行は当然出来なかった。って、
  このようなことはいくらでも思うことも出来るが、もうこの辺で止めないといけない。
頭の痛い時間は続くが、これも宿命か運命か。
 
  日常生活というのは段々と変化して結局先人と同じような、ことを繰り返すようだ。
それでもかなりの時間はたってしまった。
  日常の生活の中で、その辺りの風景を撮る。何かありそうで、ない。なさそうである。
これはやってみないとわからない。毎日TVで少しニュースを見て、新聞は見る時間が減った。
読まないでそのまま、新聞回収用紙に入ってゆく。これだと世の動きもわからなくなる。
この辺りも昔のままのものがあって、しかし明らかに変化がある。人は段々と年老いて、
それでお年寄りが自分も含めて増える。どんどんと年を取る。おっかないがしょうがない。
街も年を取る。それから鄙も年を取る。田舎の風景を見ていると、いかにもくたびれている
感じがこのところする。昔よりは建物も、それから工場のようなものも増えているようだ
が、新鮮さはなく、映画のような暗さがあるのは、なぜだろうか。年取った、田舎だ。
そうゆう感じがひどくする。

  時代の変化は激しく、それを見て無口になるのも、しょうがないか。


  いくつかの、風景。



  朝の光。亡霊もいない。




  真っ赤なカエデは、ここで何年生きているか。




  枯れてゆくものと、そうでないもの。




  空中にある、飾りの花。こうゆうのは昔はなかった。今は結構多い。




  流行の塀にブロックに、花のベランダ。




  一番下、右側のカエデの葉が印象的。この木も長生きのはず。




  どこにでもある風景で、これが目を引く。カメさんの空間にしかないもの。
  こうゆうものを見ていると、賑やかかも。




  上の画像の右側を大きくしてみた。  

空中の、キカラスウリの実

2009-11-25 16:15:46 | 植物・花(秋)
  暖かな一日。午前にも遅く晴れ間が出て
  今も晴れ間が出て、午後の真ん中は曇っていたり。
  でも、暖かいし、雨も問題なかったし
  風もゆるゆるで、いい日和。
 
  雨があっさりと止んだ。天気予報は曇りとか書いたが
  その後に、曇り後晴れに変わっているのを知る。
  天気の回復は早い。今日から明日にかけては
  好天のようだ。


  少しだけ、いつもはあまり行かない、そうゆうところ
  でなにか、今頃に珍しいものはないか探す。
  枯れそうで枯れない何かがないか、
  枯れてタネになったものはないか、
  探す。
  雑草の花があって、いつもと変わらないが、
  こんなところに、キカラスウリがある、と
  思えたのは幸いだった。




  木の枝高く、ぶら下がるキカラスウリが一番いい。




  木の枝があって、それにぶら下がるからいいが、やりにくい。
  キカラスウリもいい環境だと、高級感があるかも知れない。




  真ん中辺り。密集。緑も濃い。




  その緑のウリにも、皺がよる。悲しげかも知れない。




  ちょっと大きすぎたか、豪快さのあるキカラスウリ。




  カラスウリも面白いが、大きさが小さめ。こじんまりして、
  しかしあちこちにある。


冬らしくない、暖かさ

2009-11-25 06:47:26 | 星空・天体・宇宙


  朝の窓。冷えると水滴が付く。不思議の一つ。



  朝のお天気は、雨で、ただし降っているかどうかわからない。すべてが濡れているようで、雲もはっきりせず空一面、薄暗い。雨のようで、曇りのようである。暖かいようで、これが危ない。静かで音がしないのも不気味だが。風はないか穏やか。アメダスの6時の気温、10.2℃。気圧は、1017.4hPa、湿度は97%。室温は、13℃。

  暖かなようだ。眠っていて起きるときがあるが、そのときに寒さを感じると、一枚カーディガンを着る。ものすごく古く、だからシナシナで、角張っていない。誰のものかわからない。昔、母に聞いたときがあるが答えは、叔母のなになにちゃんのものとか言っていた。でももちろん戦前のものではない。比較的最近で、しかし昭和のものかも知れない。  
  暖かいというのが、これが「くせもの」である。何だか鼻がグズグズするがまだ風邪だという感じはない。そう簡単に風邪も引けないもので、これになると原因がウイルスでなかろうと、面倒なことになる。逆いいうと、普段何気なく体調が悪いがどうにか持っている、というのも風邪かも知れない。これが声に出るときがある。

  少し前、日曜のお昼のラジオ番組のパーソナリティの方の声がはっきりとした鼻声で、お気の毒にというか、仕事はサボれないし、日曜の生放送だし、どうしたものかなど心配するが、どうしようもない。翌週しかしもう鼻声がおさまっていたようで、よかったというかお元気そうである。
  ラジオというと地元の局のものも聞く。これを聞かないと、なんにもわからなくなる、というわけではないけれどなかなか個性あふれる人が出ておられるので、これを小さな音で聞く。結構忙しいのが局のアナウンサ。その方の放送は、そういえば週明けの月曜から聞いていたようで、しかし声の変調は感じなかった。が、
  きのうは少し声が変で、鼻声でもあるといえる。そう感じた。鼻アレルギ、他の言葉でいうと、花粉症というのもあって、その方はひどい症状が出ると自らおっしゃるから、そちらの症状かも知れず、しかし風邪の感じもする。

  暖かくても、やりにくく、寒すぎてもだめで、だんだんと体がさらにガタガタになってゆく。