今日は暖かく、特に暖房もいらないくらい。でも暖房をつけて、そのスイッチを切る、
という暖かさ。これが今どきの暖かさかというと、どうだろうか。暖かいときもあった
ようだが、忘れている。どのくらい時間がたったというのも忘れていて、昔だと、
2000年前後という時代が、一つの区切りとなるとすると、その前のことは、結構覚えていた。
そう思う。その後の変化も最初は序序でゆったりとした感じもあったが、そのときというの
が自分の体調がすぐれないというか、反対で地獄の生活に近いものがあった。そうゆうとき、
まだ両親は元気だったが、それでももういくらか老いの坂道も中程度まで転がっていて、
しかしまだ認知症という病気の名はなく?、その後に出て来たようだ。そうゆう運命は誰も
が知らないものだが、ほどほどに老いながら、ほどほどに生きていて、自分の方が苦しんで
いた。
ここから、脱するというのが大変だったようで、これはしかし自業自得というもの
だろう。でも今は、その当時と比べて、多少は気分も体も何とか生きていける感じもある
が、それ以外の変化が大きく、また記憶もかなり怪しくなり、時代が今に近ければ近いほど、
あやふやな感じがある。これも、自ら老化して、その段階、あるいは階段をかなり下りて
きている。その証拠ではないか。
今は、母までが認知症の症状をはっきりと呈していて、しかし本人は、そのことが
理解できなく、また段々と病気の進行する状況が手に取るようにわかるので、この先と
いうのが見えている。父の場合、認知症という考え方、というのも出始めた当時で、また
老人性痴呆症でちゃんと立派に世間でも通った。最初は、さほどでもなかったが、段々と
妙な感じになるのは、はっきりとして来た。夜中に、12時に朝だと思ってご飯を食べる
準備をし、実際に食べているのだ。
ご飯の準備は出来るが、食べる時間に無理があった。認知症と、介護保険の役割と
いうのも、私の方がすぐに理解できずしかし父の晩年をちゃんと生活が出来るように、
本人も満足して生活ができ、残る家族もさほど苦労せず時間を過ごせたこと、は介護保険と
特に介護施設の方々のご苦労とお世話がなかったらあり得なかった。今思い出しても、
最初のときの自分の態度がいかに不遜で、かつおかしいというのがわかるが、これもこと
の重大さの認識が出来ないということだった。
どっちが子供だったかというのがよくわかる例で、それで今頃、母の毎日の生活と
いうのとほどほどに向かい合っていると、いやになるときも多く、はっきりと憂鬱なことも
多いが、しかし本人がなかなか介護ということを理解してくれない。父の場合は、性格の
違いもあるが、途中から「いえ」にいるのが嫌で、夜中に介護施設の方へ出かけた
こともあった。
父はもう少し長生きするはずだと、父の両親は割と長寿だったから、思っていたが、
あっけなく程ほどでいってしまった。親孝行は当然出来なかった。って、
このようなことはいくらでも思うことも出来るが、もうこの辺で止めないといけない。
頭の痛い時間は続くが、これも宿命か運命か。
日常生活というのは段々と変化して結局先人と同じような、ことを繰り返すようだ。
それでもかなりの時間はたってしまった。
日常の生活の中で、その辺りの風景を撮る。何かありそうで、ない。なさそうである。
これはやってみないとわからない。毎日TVで少しニュースを見て、新聞は見る時間が減った。
読まないでそのまま、新聞回収用紙に入ってゆく。これだと世の動きもわからなくなる。
この辺りも昔のままのものがあって、しかし明らかに変化がある。人は段々と年老いて、
それでお年寄りが自分も含めて増える。どんどんと年を取る。おっかないがしょうがない。
街も年を取る。それから鄙も年を取る。田舎の風景を見ていると、いかにもくたびれている
感じがこのところする。昔よりは建物も、それから工場のようなものも増えているようだ
が、新鮮さはなく、映画のような暗さがあるのは、なぜだろうか。年取った、田舎だ。
そうゆう感じがひどくする。
時代の変化は激しく、それを見て無口になるのも、しょうがないか。
いくつかの、風景。
朝の光。亡霊もいない。
真っ赤なカエデは、ここで何年生きているか。
枯れてゆくものと、そうでないもの。
空中にある、飾りの花。こうゆうのは昔はなかった。今は結構多い。
流行の塀にブロックに、花のベランダ。
一番下、右側のカエデの葉が印象的。この木も長生きのはず。
どこにでもある風景で、これが目を引く。カメさんの空間にしかないもの。
こうゆうものを見ていると、賑やかかも。
上の画像の右側を大きくしてみた。
という暖かさ。これが今どきの暖かさかというと、どうだろうか。暖かいときもあった
ようだが、忘れている。どのくらい時間がたったというのも忘れていて、昔だと、
2000年前後という時代が、一つの区切りとなるとすると、その前のことは、結構覚えていた。
そう思う。その後の変化も最初は序序でゆったりとした感じもあったが、そのときというの
が自分の体調がすぐれないというか、反対で地獄の生活に近いものがあった。そうゆうとき、
まだ両親は元気だったが、それでももういくらか老いの坂道も中程度まで転がっていて、
しかしまだ認知症という病気の名はなく?、その後に出て来たようだ。そうゆう運命は誰も
が知らないものだが、ほどほどに老いながら、ほどほどに生きていて、自分の方が苦しんで
いた。
ここから、脱するというのが大変だったようで、これはしかし自業自得というもの
だろう。でも今は、その当時と比べて、多少は気分も体も何とか生きていける感じもある
が、それ以外の変化が大きく、また記憶もかなり怪しくなり、時代が今に近ければ近いほど、
あやふやな感じがある。これも、自ら老化して、その段階、あるいは階段をかなり下りて
きている。その証拠ではないか。
今は、母までが認知症の症状をはっきりと呈していて、しかし本人は、そのことが
理解できなく、また段々と病気の進行する状況が手に取るようにわかるので、この先と
いうのが見えている。父の場合、認知症という考え方、というのも出始めた当時で、また
老人性痴呆症でちゃんと立派に世間でも通った。最初は、さほどでもなかったが、段々と
妙な感じになるのは、はっきりとして来た。夜中に、12時に朝だと思ってご飯を食べる
準備をし、実際に食べているのだ。
ご飯の準備は出来るが、食べる時間に無理があった。認知症と、介護保険の役割と
いうのも、私の方がすぐに理解できずしかし父の晩年をちゃんと生活が出来るように、
本人も満足して生活ができ、残る家族もさほど苦労せず時間を過ごせたこと、は介護保険と
特に介護施設の方々のご苦労とお世話がなかったらあり得なかった。今思い出しても、
最初のときの自分の態度がいかに不遜で、かつおかしいというのがわかるが、これもこと
の重大さの認識が出来ないということだった。
どっちが子供だったかというのがよくわかる例で、それで今頃、母の毎日の生活と
いうのとほどほどに向かい合っていると、いやになるときも多く、はっきりと憂鬱なことも
多いが、しかし本人がなかなか介護ということを理解してくれない。父の場合は、性格の
違いもあるが、途中から「いえ」にいるのが嫌で、夜中に介護施設の方へ出かけた
こともあった。
父はもう少し長生きするはずだと、父の両親は割と長寿だったから、思っていたが、
あっけなく程ほどでいってしまった。親孝行は当然出来なかった。って、
このようなことはいくらでも思うことも出来るが、もうこの辺で止めないといけない。
頭の痛い時間は続くが、これも宿命か運命か。
日常生活というのは段々と変化して結局先人と同じような、ことを繰り返すようだ。
それでもかなりの時間はたってしまった。
日常の生活の中で、その辺りの風景を撮る。何かありそうで、ない。なさそうである。
これはやってみないとわからない。毎日TVで少しニュースを見て、新聞は見る時間が減った。
読まないでそのまま、新聞回収用紙に入ってゆく。これだと世の動きもわからなくなる。
この辺りも昔のままのものがあって、しかし明らかに変化がある。人は段々と年老いて、
それでお年寄りが自分も含めて増える。どんどんと年を取る。おっかないがしょうがない。
街も年を取る。それから鄙も年を取る。田舎の風景を見ていると、いかにもくたびれている
感じがこのところする。昔よりは建物も、それから工場のようなものも増えているようだ
が、新鮮さはなく、映画のような暗さがあるのは、なぜだろうか。年取った、田舎だ。
そうゆう感じがひどくする。
時代の変化は激しく、それを見て無口になるのも、しょうがないか。
いくつかの、風景。
朝の光。亡霊もいない。
真っ赤なカエデは、ここで何年生きているか。
枯れてゆくものと、そうでないもの。
空中にある、飾りの花。こうゆうのは昔はなかった。今は結構多い。
流行の塀にブロックに、花のベランダ。
一番下、右側のカエデの葉が印象的。この木も長生きのはず。
どこにでもある風景で、これが目を引く。カメさんの空間にしかないもの。
こうゆうものを見ていると、賑やかかも。
上の画像の右側を大きくしてみた。