ほどほどの雨が降っていて、北風で、雨が北の窓もたたくので、もしかしたら雨の一つ
も入ってくる。それをたしかめないで、雨のプール、水溜りが出来ることがあるが、
あまりきれいな話しではない。雨の雫はさほど汚れてはいないと思うものの、まずはタオル
とか、雑巾に成り下がってしまったものでも、拭けば白ければ黄色か黒くなるのは、間違い
ないようで、そうゆうタオルがなぜかそのままになって、ほったらかしである。雨もいろいろ、
そのうちの状況を知らせてくれる、贈り物のようであるけれど、これも適度でないとだめで
ある。いえが流された、浸水したはやり過ぎ。
今日までが暖かく、明日からどうなるか、11月の頭だが、なんだか先も見えていて、
特に変化はないが、やらんといけない「お金に関する計算」など、その他、年賀はがきを
書くこと、などが思い浮かぶが、それまでにやらないといけない、と思えることは多いよう
で、思い浮かばない。となりは何をする人というのは、傍観するということのようで、特に
疑いもなく、普段はちゃんとお隣さんとしてのお付き合いは、ある。最低限で、お会いすれ
ば、今日はいいお天気でと挨拶する。しかし、簡単なようで、お付き合いもおかしくもなる。
となりの人は何を思っているのかしらね、みたいなことはあるので、この辺が毎度のことで、
苦しいというか嫌ーな感じがする。まーあまり書くことでなく、せいぜいとなりの木の枝が
伸びてじゃまとかいうことだが、これも大きな問題で、なんでかしら、昔はみな塀はなく、垣
だった。
それはもういいか。
寒くなるというと、これはどうしたものか。気象庁の予報によると、暖冬ということで
ある。これはありがたいようで、しかしあくまでも予報である。一度にどっかと降る雪が
ある。だんだんと雪の降る量も少なくなる、御時世であってしかしそうは思うとおりに
いかないというのが現実で、これは困ったものだ。
雪かきは例年のことだが、同じ雪とはいえこれが重い。多少はやれるが、息も上がる。
これに慣れるというのは恐らくなく、日ごろの体の使い方による。例年、かなり高齢と思わ
れる方が、道路の反対側へ、まったく自分のうちの方の雪がなくなるまで、えっちら雪かき
をしている光景というのを見ることもある。普段から、鍛えているとしか考えられない。
それに比べて、ちょいと草むしりはないが、箒で枯れ葉をはいたとか、あるいは草刈の
後の、残ったものを一箇所に寄せ集めて、ひーひーいうという、自分がある。これには
本当に困る。だから、高々、重くて2、3kgという買い物の荷物でも、ほんの10分くらいの
距離を歩くだけだが、何度か右と左とで、持ち替えたりもする。悲しいかな、それくらいに
力がない。それから考えるに、20cm、30cm、一晩で降る雪はこれは恐ろしい。雪は降っても
木に積もる場合もあるが、それが上から落ちて来る、というのを考えても恐ろしい。そう
ゆう思いをするのが、11月というか晩秋でもあって、まー暖冬予報だから青息程度ですんで
いる。今のところである。
で世の中、先の話しが多い。政治の世界、予算とかいうもの。それから、身近なもの
では、TVの世界。もうお正月である。2010年のTVが作られている。えらい先の話しやないか、
という感想で、もう何年、何十年も前にもそう思った。もう来年の元日の日の新聞も、第二部
以降はほとんど出来上がっているのではないか。年賀はがきは買った。さて、いつ書くか。
来年のことを書かないといけない。これはある意味で、新聞やら、TVやらに似ている。その他
の雑誌とかも同じで、来年度の2月まではみな、2009年のこと。いかにも遅い、という感じで、
これだとネットの勝ちのようだが、そうはいかないところというのもあるはずである。ネットは、
さかさかと消えていってしまうからで、それを穿り返すというのが、極端にむつかしい。
来年か、それを思うよりも、いつも明日はあるかとか、最近は思うことが多い。明日は
いつも明日で、永遠に明日だが、それが来ないときが来るというのも、これも間違いのない
ことである。でも、今日はある。そうゆうことで、まずは一安心をする。
今でも、柿の実が残る木は多い。柿くえばとくるが、柿の実はなぜかあまり
食べない。
青空に、柿。
空き地に、シロツメクサを今も見ることの出来るのも不思議な光景で
緑が濃く、花も咲くものもある。空き地で、多分最初は何もなかった。
よく探すと、ときに、シジミチョウや、セセリチョウや、ヒメアカタテハや、
それから蛾もいる。
キカラスウリの黄色。これはきれいな方である。
緑のものも、黄色くなると同時に、その表面は傷んでくる。
キカラスウリの絡まる、ナンテンの木の実もいい色になって来る。
も入ってくる。それをたしかめないで、雨のプール、水溜りが出来ることがあるが、
あまりきれいな話しではない。雨の雫はさほど汚れてはいないと思うものの、まずはタオル
とか、雑巾に成り下がってしまったものでも、拭けば白ければ黄色か黒くなるのは、間違い
ないようで、そうゆうタオルがなぜかそのままになって、ほったらかしである。雨もいろいろ、
そのうちの状況を知らせてくれる、贈り物のようであるけれど、これも適度でないとだめで
ある。いえが流された、浸水したはやり過ぎ。
今日までが暖かく、明日からどうなるか、11月の頭だが、なんだか先も見えていて、
特に変化はないが、やらんといけない「お金に関する計算」など、その他、年賀はがきを
書くこと、などが思い浮かぶが、それまでにやらないといけない、と思えることは多いよう
で、思い浮かばない。となりは何をする人というのは、傍観するということのようで、特に
疑いもなく、普段はちゃんとお隣さんとしてのお付き合いは、ある。最低限で、お会いすれ
ば、今日はいいお天気でと挨拶する。しかし、簡単なようで、お付き合いもおかしくもなる。
となりの人は何を思っているのかしらね、みたいなことはあるので、この辺が毎度のことで、
苦しいというか嫌ーな感じがする。まーあまり書くことでなく、せいぜいとなりの木の枝が
伸びてじゃまとかいうことだが、これも大きな問題で、なんでかしら、昔はみな塀はなく、垣
だった。
それはもういいか。
寒くなるというと、これはどうしたものか。気象庁の予報によると、暖冬ということで
ある。これはありがたいようで、しかしあくまでも予報である。一度にどっかと降る雪が
ある。だんだんと雪の降る量も少なくなる、御時世であってしかしそうは思うとおりに
いかないというのが現実で、これは困ったものだ。
雪かきは例年のことだが、同じ雪とはいえこれが重い。多少はやれるが、息も上がる。
これに慣れるというのは恐らくなく、日ごろの体の使い方による。例年、かなり高齢と思わ
れる方が、道路の反対側へ、まったく自分のうちの方の雪がなくなるまで、えっちら雪かき
をしている光景というのを見ることもある。普段から、鍛えているとしか考えられない。
それに比べて、ちょいと草むしりはないが、箒で枯れ葉をはいたとか、あるいは草刈の
後の、残ったものを一箇所に寄せ集めて、ひーひーいうという、自分がある。これには
本当に困る。だから、高々、重くて2、3kgという買い物の荷物でも、ほんの10分くらいの
距離を歩くだけだが、何度か右と左とで、持ち替えたりもする。悲しいかな、それくらいに
力がない。それから考えるに、20cm、30cm、一晩で降る雪はこれは恐ろしい。雪は降っても
木に積もる場合もあるが、それが上から落ちて来る、というのを考えても恐ろしい。そう
ゆう思いをするのが、11月というか晩秋でもあって、まー暖冬予報だから青息程度ですんで
いる。今のところである。
で世の中、先の話しが多い。政治の世界、予算とかいうもの。それから、身近なもの
では、TVの世界。もうお正月である。2010年のTVが作られている。えらい先の話しやないか、
という感想で、もう何年、何十年も前にもそう思った。もう来年の元日の日の新聞も、第二部
以降はほとんど出来上がっているのではないか。年賀はがきは買った。さて、いつ書くか。
来年のことを書かないといけない。これはある意味で、新聞やら、TVやらに似ている。その他
の雑誌とかも同じで、来年度の2月まではみな、2009年のこと。いかにも遅い、という感じで、
これだとネットの勝ちのようだが、そうはいかないところというのもあるはずである。ネットは、
さかさかと消えていってしまうからで、それを穿り返すというのが、極端にむつかしい。
来年か、それを思うよりも、いつも明日はあるかとか、最近は思うことが多い。明日は
いつも明日で、永遠に明日だが、それが来ないときが来るというのも、これも間違いのない
ことである。でも、今日はある。そうゆうことで、まずは一安心をする。
今でも、柿の実が残る木は多い。柿くえばとくるが、柿の実はなぜかあまり
食べない。
青空に、柿。
空き地に、シロツメクサを今も見ることの出来るのも不思議な光景で
緑が濃く、花も咲くものもある。空き地で、多分最初は何もなかった。
よく探すと、ときに、シジミチョウや、セセリチョウや、ヒメアカタテハや、
それから蛾もいる。
キカラスウリの黄色。これはきれいな方である。
緑のものも、黄色くなると同時に、その表面は傷んでくる。
キカラスウリの絡まる、ナンテンの木の実もいい色になって来る。