麦畑も、刈り取りの時期、麦秋を迎えて、それで、この麦はどうなるのか、といくつか候補を挙げてみたが、ここでの話しではないが、近い街、というか、市であるが、その地域の麦はやはり、何がやはりか不明だが、これがビールに変わるという。その地域で生産される、麦は、いくつかの段階を経て地ビールになるようで、なるほどねーなど思うが、
ビールも高くて手が出ない。生産者の方と、この辺りは感覚が違う。安いビールはない。税でどれだけかさばるか。で、第三とか第四とか、発泡だのというものを飲むこと、も今はない。どーも暑いといっても、ビールという、あるいは、発泡酒というところまでは気温は上がらない。もし上がっても、何となく、麦茶で済ませるような気分にもなる。
いくらかの雑草を刈ると、またその向こうに雑草はあるが、草も生える意味があって、しかしその向こうという、第三の関係となるところまでは考えてはなく、ほどほどに弱ることにもなるが、これは何のことだかよくはわからず、どうなるかは、その時点で考えないといけない。いろいろむつかしい問題はある。草は生えているといけないが、ものを燃やすのは特にお咎めはない。そうゆうところでもある。また、道路でも、土が落ちていく場合もあるが、これもどうってことはない。その他にも、何かがあったようだが、今は思い出せない。ここは、何とかだから、というのは、ときに大きな影響力があって、それに「はむかう」のは意味はない。
それで、ハルジオンは今は、なぜかここでは春から結構咲いていて、この花は毎年出る。それに変化はない。だが、その花の勢いはというと、さほどでもないなという思いがある。他の空き地とか、だと結構ある。あるいは野の道、田んぼの道も。で、草しか生えない田んぼはというと、ハルジオンはまったくといっていいほど、生えていない。ハルジオン全盛の時代もそろそろ、終わるのか、でも、もともと使われていない田んぼで、ハルジオンは少なかったようだ。
それで、ここにはハルジオンが、たくさん生えてきて、白いもの、赤みのあるもの、白から赤いものに変わるものと、いろいろ出た。まだ咲いている。でどうだろうか。その横でもないが、それに寄り添うように、少し遅れてまたすくすく背伸びして、生えてきたものがあるが、ようやくこれが何か、疑問にも思えたが、答えはヒメジョオンしかないのではないか。もしこれがはずれると、恥ずかしいが、その姿かたちは、単純な雑草であるけれど、しばらくの間、これは何かと考えていたけれど、その蕾も出て、これはヒメジョオンではないか、とほぼ確信を持つようになる。
もう5月もおしまいで、来週の月曜日は、6月で春でもなくなってしまうようでもある。そうなると、きょねんも咲いていた、ヒメジョオンも出て来てもおかしくはない。草刈りで、草が生えないというところもあるが、それ以外の理由で、つまり薬の効果がまだ残っているというところもあるが、そこから、ちょうど境界辺りの地面からヒメジョオンは出て来ている。恐らく、まだどんな丈夫なというか薬に強い草のタネを播いても、ここからは芽が出ないと思われる。それはどうしようもないが、もうしばらくしたら、草の一つも生えてくるのではないか、という思いはある。
ここでは、そろそろハルジオンは、終りで、その次のヒメジョオンが大きくなりつつあり、またその花芽も出てきて、その花を見ることになると思える、ことを書いてみた。草の管理というのは、大変であって、これは一番というのがない。出来ないこともある。それから、もう咲かないハルジオンの時間というのも、そのうちにあるかも知れない。またヒメジョオンについてもそうゆうことが言えるのではないか。どうなるかはわからないが、植物の繁茂する時間というのも、そうは長くはないような、気もする。
バラは、特に呼んではいないようだが、よく目立つし、ついつい吸い寄せられる。絵に描いたような、バラ。
緑は生き物のようで、花の明るい桃色は、絵筆で書いたような、時代がそう錯覚させるのかも、知れない。
赤ひげ。赤いヒゲナデシコ。ボケ具合と、手ぶれ具合もあって、これは花の部分は生き物のようである。
ジャガイモの花。大根の花とか、いろいろ思い出されるものも。
ジャガイモはことしは、あちこちで見る。また花も同じように今頃咲いている。
アジサイの花。花は、あちこちで見ているが、まだ咲いているのはない。この花、赤い色にも二つあって、一つは花の色のようで、もう一つの赤いのは、もしかしたら、アリマキ。そうゆう小動物もいる。
シモツケの花だと思う。赤い花が咲くようで、昔はコデマリとそっくりだと思ったが、今の感じはそうでもない。ピラカンサの花は一部もう実にもなっている。
ビールも高くて手が出ない。生産者の方と、この辺りは感覚が違う。安いビールはない。税でどれだけかさばるか。で、第三とか第四とか、発泡だのというものを飲むこと、も今はない。どーも暑いといっても、ビールという、あるいは、発泡酒というところまでは気温は上がらない。もし上がっても、何となく、麦茶で済ませるような気分にもなる。
いくらかの雑草を刈ると、またその向こうに雑草はあるが、草も生える意味があって、しかしその向こうという、第三の関係となるところまでは考えてはなく、ほどほどに弱ることにもなるが、これは何のことだかよくはわからず、どうなるかは、その時点で考えないといけない。いろいろむつかしい問題はある。草は生えているといけないが、ものを燃やすのは特にお咎めはない。そうゆうところでもある。また、道路でも、土が落ちていく場合もあるが、これもどうってことはない。その他にも、何かがあったようだが、今は思い出せない。ここは、何とかだから、というのは、ときに大きな影響力があって、それに「はむかう」のは意味はない。
それで、ハルジオンは今は、なぜかここでは春から結構咲いていて、この花は毎年出る。それに変化はない。だが、その花の勢いはというと、さほどでもないなという思いがある。他の空き地とか、だと結構ある。あるいは野の道、田んぼの道も。で、草しか生えない田んぼはというと、ハルジオンはまったくといっていいほど、生えていない。ハルジオン全盛の時代もそろそろ、終わるのか、でも、もともと使われていない田んぼで、ハルジオンは少なかったようだ。
それで、ここにはハルジオンが、たくさん生えてきて、白いもの、赤みのあるもの、白から赤いものに変わるものと、いろいろ出た。まだ咲いている。でどうだろうか。その横でもないが、それに寄り添うように、少し遅れてまたすくすく背伸びして、生えてきたものがあるが、ようやくこれが何か、疑問にも思えたが、答えはヒメジョオンしかないのではないか。もしこれがはずれると、恥ずかしいが、その姿かたちは、単純な雑草であるけれど、しばらくの間、これは何かと考えていたけれど、その蕾も出て、これはヒメジョオンではないか、とほぼ確信を持つようになる。
もう5月もおしまいで、来週の月曜日は、6月で春でもなくなってしまうようでもある。そうなると、きょねんも咲いていた、ヒメジョオンも出て来てもおかしくはない。草刈りで、草が生えないというところもあるが、それ以外の理由で、つまり薬の効果がまだ残っているというところもあるが、そこから、ちょうど境界辺りの地面からヒメジョオンは出て来ている。恐らく、まだどんな丈夫なというか薬に強い草のタネを播いても、ここからは芽が出ないと思われる。それはどうしようもないが、もうしばらくしたら、草の一つも生えてくるのではないか、という思いはある。
ここでは、そろそろハルジオンは、終りで、その次のヒメジョオンが大きくなりつつあり、またその花芽も出てきて、その花を見ることになると思える、ことを書いてみた。草の管理というのは、大変であって、これは一番というのがない。出来ないこともある。それから、もう咲かないハルジオンの時間というのも、そのうちにあるかも知れない。またヒメジョオンについてもそうゆうことが言えるのではないか。どうなるかはわからないが、植物の繁茂する時間というのも、そうは長くはないような、気もする。
バラは、特に呼んではいないようだが、よく目立つし、ついつい吸い寄せられる。絵に描いたような、バラ。
緑は生き物のようで、花の明るい桃色は、絵筆で書いたような、時代がそう錯覚させるのかも、知れない。
赤ひげ。赤いヒゲナデシコ。ボケ具合と、手ぶれ具合もあって、これは花の部分は生き物のようである。
ジャガイモの花。大根の花とか、いろいろ思い出されるものも。
ジャガイモはことしは、あちこちで見る。また花も同じように今頃咲いている。
アジサイの花。花は、あちこちで見ているが、まだ咲いているのはない。この花、赤い色にも二つあって、一つは花の色のようで、もう一つの赤いのは、もしかしたら、アリマキ。そうゆう小動物もいる。
シモツケの花だと思う。赤い花が咲くようで、昔はコデマリとそっくりだと思ったが、今の感じはそうでもない。ピラカンサの花は一部もう実にもなっている。