光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

虫もなかなか現われない、連休の日々

2009-05-04 19:00:16 | 虫、その他
  道を歩いていて、目に付くものは、最初は建築中の建物で、それも精密に観察できればと思うが、そうゆうことは普通は不可能である。それでたぶん建築依頼主の方よりは、そのそばに住んでいて、毎日にそのそばを通るとなると、チラッと見ることは可能で、たとえば雨の日とか、もしかして台風のときとかもあったりして、それでも毎日通るところだからチラッとは見ることも出来る。
  建物の出来る様子というのは見ていて楽しいものがある。特に自分に関係なく、しかし、マンションのような巨大構造物だとこれはわからない。で、適度な日本家屋や、それに似て、瀟洒な建物も続々立つと、見ていてこれほど楽しいものはない、と思う。こうして、建物というか、家屋は建てられるのか、というか作られるのか。大体、外側が出来上がるまでが、見ていて楽しい。そのうちに、箱の大まかな構造は出来て、これでもう雨が降ろうが、風が吹こうがどうにもならない、大丈夫という状態になると、もう見ていて楽しいことはないが、これからが結構時間のかかるもので、そっちの方が全体の工事期間の三分の二くらいを占めるのではないか。
  建物の中の状態に、秘密が隠されていて、それは何がどうなるかは、わからない。それで、いえの中のものも出来上がると、その三分の二の時間を要した工事もきれいに内蔵されて、外からは見えないようになるようで、この辺りは、工事の当事者しか知らない出来事ということになる。
  ときどきやけに立派な建物、日本家屋を建築中というものを見る。それで、ラジオなど聴いていると、その家屋というのも出来立てだと新鮮でまったくの満足であふれるが、それにさらにさらに、蓄積されるものもあるという。だが、それをやっても、またそうゆう建築関係の仕事の方は言われる。まー、日本の家屋だと、20年たつと、これは価値がまったくないのですねー。なんか聞いていて、薄ら寒くなる話しだ。連休は、新築家屋見学はいかがといいつつ、このような話しをされるのは、まだまだ良心的なのかも知れない。

  昔の家というと、どのくらい持ったのだろうか。ここの昔の家は、最後はもちろんぼろぼろであったが、それでも一応家屋で、普通に人が暮らしていた。今でも皆さんで、うちを建てるという地域もあるから、いいのか悪いのかわからない、即断できないが、どうゆう「うち」がいいかというのは答えはないということだろう。
  近場で連休を過ごすというと、まーいえの建築中のものの見学もあるが、はっきりいって立ち止まることはない。最初くらい、いえの骨組みが出来る、ときくらいである。

  プラプラ歩いていても、今どきであるが、ときどきチョウが飛んでいるくらいで、そのチョウにもいろいろで、せいぜい大きくてアゲハくらいだが、それ以外はモンシロチョウ。それくらいで、そろそろもう少し虫も出てきてくれていいような気もするが、それがわからないのである。蚊とかはいる。大きな蛾が壁に止まって、それが保護色でしかしよくわかる。小さい蛾もいる。もっとわかりやすい。ときどき、小さな虫はそれもなんだかわからないものはいるが、なんでか知らないが、それ以外の虫は現われないのである。
  でも、花を見ていると、その花のそば、と言うか、花そのものの中に虫はいるが、花が小さくて、よって虫も小さい。人の目だと、特に老眼だと何にもわからない状態である。花虫というが、花が咲く頃、虫もいろいろに出てきて、それで作物などは受粉が可能にもなる。そうゆう意味でも虫の一つも出てきていいが、せいぜいモンシロチョウくらいで、さらには後は蛾である。どうしたものかと思う。蜘蛛もあるもの、雲の様な巣を張る蜘蛛は結構いる。しかし、きれいな精密で幾何学的な、そうゆう巣を作る蜘蛛も出て来ていない。小さな蜘蛛もいることはいるが少なめで、これはこれでいいか。

  もう少しゆくと、あまり見よくない虫とかの写真もあるので、嫌いな方は、この先に注意してください。

  わかりにくい虫だと、毛虫がいる。これが蛾になるか、チョウになるか。それと、どうだろうか。きのうではない、一昨日のボタンの葉に、クロウリハムシが一匹いて、これがボタンの葉のご馳走を食べようとしていたが、果たして口に合うか。チョウだとタテハチョウ、これも目に付かない。小さなチョウだとシジミチョウがいるが、そうゆうものもいない。これ以外にときどき結構きつい色をした、カメムシの類のものもわかりやすいが、これもまだお目にかかっていない。
  春に鳴くセミとかいるらしいが、これはいないだろうと思う。こうゆうものを探しにゆくには、もしかしたら植物園よりも動物園に行った方がいいような気もするが、これはこちらの動物園が、ちょっと山手にあって、その緑の濃さはもう十分に植物園を超えている。

  虫も大発生するときがある。これはすごく、また悲惨で、あまりこうゆうのは結構だが、でもそうゆうことも起こりそうな、そうゆう気候になっているのかも知れない。いるかいないか、どっちかというもの。
  でも、こうゆうことを思えるだけの時間は幸せかもねー。




  あまり感じのよくない、ハエ。また、ツツジに止まっている。何をしているか、わからないが、




  何か、口の先っぽから出てきたような。脚だとちょっと太いという感じで、毛もない。なんだろうか。




  モンシロチョウが止まりそうで、すぐに逃げる。もも色濃いハルジオン。花アブの一匹もいない。




  白ツツジ、でも白い方で、緑が少しあるかというもの。オシベ、メシベもどうにか合焦している。

  黒い蜂か、アブのようで、よくはわからないもの。




  壁に止まり、それから前脚、だと思う、を上にあげた。なんだか脚を激しく動かしている。痒いのか、妙なものがいるのか。




  前脚を下げた状態。




  首を横に曲げて、それから前脚をまた上に、万歳するようにあげる。繰り返す。見ていて少しだけ笑える。

ボタン(牡丹)散見

2009-05-04 15:52:56 | 植物・花(春)
  雨が降りそうかどうか、そうゆうことはなさそうで
  でも、わずかだけ期待はしている。
  気温は高くも低くもなく、ちょうど昼寝によさそうで、
  コクリしそう。
  
  雨は降りそうになく、結構気楽な気分で、外も歩くことが出来る。
  車の数は、というと、これはどうか、この辺りだと少し少ない?。
  賑やかなご家族は、なにかやっている。

  サングラスは必要はないが、しかし曇りでも紫外線は多そうで、
  これでも長く外にいると結構肌は赤くなりそうなお天気。
  日焼けが気になるかたは、それなりの直射日光を遮る必要がありそう。

  きのうのボタン(牡丹)。ボタンの花としては、少しだけ時期が遅いようで
  しかし写真を見ると、これがデジの写真のマジックか、
  またボタンの持つ輝きか、なかなかに美しく、
  感謝と感激。




  このボタンの花は少し遠く、止めようと思ったが、まー記念にと思って。
  すると、これが意外と写りはよいようで、逆に近すぎても、 
  こんな涼しさは、なかったかも。いいことばかり書いてみる。




  以下は長い玉を使うと、一応余裕の像が得られる距離。皆、
  道から見えるものを、上もそうだが、撮っている。




  「へーえ」というか。




  なんというか、溜め息の出ること。




  シワシワになる品種かどうか。これは水不足か、少し時間がたった?。


  

  光が足らない状態で。でも、これもなかなかいい。大体やっぱりしわがある。

  えらい「いいもの」を、見せていただいたという感じが強い、
  ボタンの花々でした。

曇り空で、雨が降るかどうか

2009-05-04 06:47:47 | 散策
  朝のお天気は、曇り。雲の濃淡で、太陽が顔を出したり、出さなかったり。晴れもこれだけ続くと、農作物とか影響が出るし、たまには雨で、うちでゆっくり、とか出来ないので、何とか雨が降らないか。もう降っているところもあるので、期待したい。アメダスの6時の気温、14.4℃、気圧は1019.3hPa、湿度94%。この湿度は高いようで、きっと田んぼの水とかの影響もあるのだろう。室温19℃、暖房いらず。

  2日続けて、短い距離を歩いたら、2日ともかなり汗をかいた。汗かくとまっ気色悪い感じもあって、そのままではいられずあっさりと水浴びをするが、それ以外に体に溜まった悪いものも出ていってくれないかとも思う。水浴びも贅沢な感じがしないでもない。水を使いすぎている。水道から水が出て当たり前で、その水もきれいと評判である。やっていることに最後は矛盾を感じて、これからもう少し水の量を減らす。さらに、石鹸ももういらない気もする。こうして、浄化された気分も、半分に薄まるが大体そうゆうことになっている。
  なんか朝からしょうもないことを書いている。今日は何で旗日なのか、何の日かと思うが、特に何かがあるというわけでもないようで、いいかげん連休にも飽きた。TVとか見るといつもと違うので調子も狂う。やっぱりなんかもたもたした感じのことを書いている。

  きのう歩いていると、注目している花、ヒゲナデシコが咲いていて、やっぱりなーと思う。そうむつかしい花でないし、タネさえ播けば花も咲くよな気がするが、その大体、お花とかが咲いている辺りというと雑草は少ない。こうゆう調節を根本的に出来ないのが顕著だと自分のことを判断する。雑草とヒゲナデだとやはりヒゲナデは負けてしまいそうで、もう一度そのヒゲナデなどの花が咲いているところを思い出すと、やはり草のたぐいはない。それで、ポツポツ赤いもののビロードのような色の花が咲いていた。その他にあまり見かけない花もあって、歩いていける距離のところだけど、滅多にゆかず、でも、なかなかなさそうなものが発見出来てまだまだ何かがありそうなところだとも再確認した。すると、この辺りにもそうゆう可能性はある。

  ここの2年目の「ヒゲナデシコ」に、水。それと弱弱しいヒゲナデからは、弱弱しく、花芽が出て来て、小さく感激。感激の程度もこれでいい。このヒゲナデ、去年の秋ころタネから芽が出たものを移したことがあった?と思うが、ほとんどがうまくゆかなかった。それに、どう見てもこれは去年咲いたものから出てきたみたいで、でもわからない。他の鉢のものは、これは間違いなく2年目のヒゲナデシコで、色も濃いが、花芽はまだ。ま、こうゆう小さな出来事を見て、小さく感動することが出来ると、落ち着いた一日も過ごせるようだが、しかし修行の世界はまだまだ待ち続けるようである。