ようやくお天気は回復して、しかし、GWの間も長く晴れが続いて、その後に急に妙なお天気になったから、決して夕日も久しぶりというほどのものでないのだが。なぜか知らないが、朝の日の出は多少の元気をくれるようで、夕日を見ると、感傷的になるのはうまく人も出来ている、と思う。うまくこの太陽の色は、悲しみの色にも似ていて、まるでこれは映画でもある。そんなこと、子供でもあるまいにとも思う。それに似て、子供でない、老化をしての病気、病があるが、どうしてこうなるのか、これもただ様々な考えがあって、それでそれ以上のものは出てこない。どうしたものか、途方にくれることはない?。これはいつでも自分がそうなることも、想像できる。
夕日というと、それこそ今でこそ明るすぎて、もういい加減暗くなってくれてもいいのではないかと思うが、そうはいかない。まだ夏至には時間もあるが、それで一体いつごろまで太陽は輝いているのだろうか。午後の7時でもまだ明るい。
冬至で、午後の4時半だと真っ暗で、これはその後の明るさの回復につながらず、ようやく日の出の時間も早くなるのは、これは年が明けないといけない。妙な感じだが、そうゆうことになっている。これと反対のことも起こるようで、ここでは説明が出来ない。朝も早くから明るく、夜もなかなか日も落ちないから、どう一杯という感じも待ちどうしい。
きのう本屋さんに寄って、結局購入したのは、星空、天文関係の雑誌だけで、それの表紙を見ると、皆既日食の話題が出ている。へーとか、本当かとも思うが、その皆既日食を見ることの出来る地域というのが惜しいかな、この国、列島の国の大部分はその範囲から外にあって、一部のみ皆既日食というものが観測出来るようで、すでにもう完全な予報が出来上がっている。皆既日食とは何ぞやという気分であるが、そうゆうような予想を間違いなく出来ることに、まずは不思議とそれと科学の進歩というものと、それとそれを理解できる方がいて、その予報はこのあともずっとなされるであろうし、それから、この現象を楽しみにして、そのことを旅行の日程に入れる方もいるし、その日食そのものを目的にそこに旅立たれる方もいて、これにも少しだけ、驚く。
まー、日食にもいろいろの楽しみがある。皆既まで時間がある。最初に太陽が欠ける。歓声が上がる瞬間だが西が先か東か先かどっちだろうか。一旦欠け始めると、なんだか少し寂しい。寂しいのも当然で、もしかしたら刻々暗くなるのがわかる。お昼のはずだが、それはやがて真っ暗になる。この辺りはどうかわからない。
皆既日食といものを今までに見たような気がするが、これが自分の目で見たのが、何かの写真とか図鑑に映画かというと可能性もある。でも、ガラスに煤を塗ってというようなことをやったような気があるが、これもずいぶんと昔のことであろう。
皆既日食があると、その太陽が月に完全に隠されるところではなくても、その上下に位置するところだと、少しだけ月によって隠される太陽が見えるはずだが、大体太陽が明るすぎて、そのことにも気が付かないようなことは想像は容易である。でも皆既日食を見ることの出来るところからさほど離れていないと、結構太陽も隠れてしまう、そのところはどの辺りか、こうゆうことがわかれば、特にあわてて皆既日食の起こる場所に行かなくても、部分日食は見ることが出来るから、これだけでも結構に面白いことと思う。7月22日だという。まだまだ時間はある。それで、少しはどの辺りで、見ることが出来るのかというところから調べてもまだまだ間に合う。でも、そこに行くことはどうも、むつかしいようで、よくはわからない。
皆既日食があれば、皆既月食があるが、このような現象は一体どのくらいの頻度で見ることが出来るのか、というのは結構に興味深い出来事である。興味深いこともそうだけど、よくそうゆうことを予想出来るなという驚きが、また頭を持ち上げてくる。この先のいくつかの日食だとか月食の予想はもうわかっているようで、これはかなり先の時代までわかっているような感じがある。だが人は、そう長生きは出来ないから、なかなか次を悠長には待てないという気持ちもある。皆既日食こそもっとも興味深い天文現象であるともいえると思う。
だから昔からの記録も残っているのだろう。また、多くの人がこの不思議なまた神秘な現象を見て、どう思ったのか、これも時代によりけりだが、大体おったまげるのがいいところというものだろう。かなり昔の時代、紀元前の時代から、こうゆうものの予想をするということをやったという人もいる。こうゆうことを、テキストで読んだ記憶があるが、たぶん間違いない。その当時の科学知識も相当進んでいたことがわかる例で、今の時代が特にどうのこうのいうことも、この問題に関する限りはないようである。このこと知ってそう思った。
さて、もう少し時間がたてば、この国のあるところでは、皆既日食を見ることが出来るがまさか、当日雨が降るとか、また寝過ごしたということはないでしょうねー、私としてはほどほどに覚えていそうで、アー忘れていたとか思いそうで、でもどの程度この辺りで欠けるのか、まったく見えないのかそのくらいは知っていないとと思う。これに関してはまだまったく情報を見ていない。
GWの時間のお散歩写真。
アネモネの花がまだ咲いていて、この花の時間もことしは長い。
よく歩いている道の、そうゆうところからも、またボタンの花を見ることは出来た。
このボタンはかなり大きく、支えが必要であってもう一つ花があるが、同じボタンの株から出ているのか不明。
少しだけ、花の中の様子がうかがえる。それにしても大きい。
雨のアヤメ。この色というと、ドイツアヤメということになるらしい。
一般に今頃咲くのはアヤメで、これとカキツバタが多いらしい。カキツバタは水辺に多いというのが、決め手のようだが、
さて今までここに出してきたこの種の花のうち、大体ハナショウブと書いているのは間違いのようである。間違いでした。アヤメか、それか水辺ではないが、カキツバタ。ハナショウブは、時期がもう少し遅れるそうです。
この色のアヤメのほか、いろいろな花がある。これからも出てきそうな、ドイツアヤメの蕾がたくさん、ほかにシャクヤク。楽しみなところであって、ただ、道からは見にくく、どうしたものか。
夕日というと、それこそ今でこそ明るすぎて、もういい加減暗くなってくれてもいいのではないかと思うが、そうはいかない。まだ夏至には時間もあるが、それで一体いつごろまで太陽は輝いているのだろうか。午後の7時でもまだ明るい。
冬至で、午後の4時半だと真っ暗で、これはその後の明るさの回復につながらず、ようやく日の出の時間も早くなるのは、これは年が明けないといけない。妙な感じだが、そうゆうことになっている。これと反対のことも起こるようで、ここでは説明が出来ない。朝も早くから明るく、夜もなかなか日も落ちないから、どう一杯という感じも待ちどうしい。
きのう本屋さんに寄って、結局購入したのは、星空、天文関係の雑誌だけで、それの表紙を見ると、皆既日食の話題が出ている。へーとか、本当かとも思うが、その皆既日食を見ることの出来る地域というのが惜しいかな、この国、列島の国の大部分はその範囲から外にあって、一部のみ皆既日食というものが観測出来るようで、すでにもう完全な予報が出来上がっている。皆既日食とは何ぞやという気分であるが、そうゆうような予想を間違いなく出来ることに、まずは不思議とそれと科学の進歩というものと、それとそれを理解できる方がいて、その予報はこのあともずっとなされるであろうし、それから、この現象を楽しみにして、そのことを旅行の日程に入れる方もいるし、その日食そのものを目的にそこに旅立たれる方もいて、これにも少しだけ、驚く。
まー、日食にもいろいろの楽しみがある。皆既まで時間がある。最初に太陽が欠ける。歓声が上がる瞬間だが西が先か東か先かどっちだろうか。一旦欠け始めると、なんだか少し寂しい。寂しいのも当然で、もしかしたら刻々暗くなるのがわかる。お昼のはずだが、それはやがて真っ暗になる。この辺りはどうかわからない。
皆既日食といものを今までに見たような気がするが、これが自分の目で見たのが、何かの写真とか図鑑に映画かというと可能性もある。でも、ガラスに煤を塗ってというようなことをやったような気があるが、これもずいぶんと昔のことであろう。
皆既日食があると、その太陽が月に完全に隠されるところではなくても、その上下に位置するところだと、少しだけ月によって隠される太陽が見えるはずだが、大体太陽が明るすぎて、そのことにも気が付かないようなことは想像は容易である。でも皆既日食を見ることの出来るところからさほど離れていないと、結構太陽も隠れてしまう、そのところはどの辺りか、こうゆうことがわかれば、特にあわてて皆既日食の起こる場所に行かなくても、部分日食は見ることが出来るから、これだけでも結構に面白いことと思う。7月22日だという。まだまだ時間はある。それで、少しはどの辺りで、見ることが出来るのかというところから調べてもまだまだ間に合う。でも、そこに行くことはどうも、むつかしいようで、よくはわからない。
皆既日食があれば、皆既月食があるが、このような現象は一体どのくらいの頻度で見ることが出来るのか、というのは結構に興味深い出来事である。興味深いこともそうだけど、よくそうゆうことを予想出来るなという驚きが、また頭を持ち上げてくる。この先のいくつかの日食だとか月食の予想はもうわかっているようで、これはかなり先の時代までわかっているような感じがある。だが人は、そう長生きは出来ないから、なかなか次を悠長には待てないという気持ちもある。皆既日食こそもっとも興味深い天文現象であるともいえると思う。
だから昔からの記録も残っているのだろう。また、多くの人がこの不思議なまた神秘な現象を見て、どう思ったのか、これも時代によりけりだが、大体おったまげるのがいいところというものだろう。かなり昔の時代、紀元前の時代から、こうゆうものの予想をするということをやったという人もいる。こうゆうことを、テキストで読んだ記憶があるが、たぶん間違いない。その当時の科学知識も相当進んでいたことがわかる例で、今の時代が特にどうのこうのいうことも、この問題に関する限りはないようである。このこと知ってそう思った。
さて、もう少し時間がたてば、この国のあるところでは、皆既日食を見ることが出来るがまさか、当日雨が降るとか、また寝過ごしたということはないでしょうねー、私としてはほどほどに覚えていそうで、アー忘れていたとか思いそうで、でもどの程度この辺りで欠けるのか、まったく見えないのかそのくらいは知っていないとと思う。これに関してはまだまったく情報を見ていない。
GWの時間のお散歩写真。
アネモネの花がまだ咲いていて、この花の時間もことしは長い。
よく歩いている道の、そうゆうところからも、またボタンの花を見ることは出来た。
このボタンはかなり大きく、支えが必要であってもう一つ花があるが、同じボタンの株から出ているのか不明。
少しだけ、花の中の様子がうかがえる。それにしても大きい。
雨のアヤメ。この色というと、ドイツアヤメということになるらしい。
一般に今頃咲くのはアヤメで、これとカキツバタが多いらしい。カキツバタは水辺に多いというのが、決め手のようだが、
さて今までここに出してきたこの種の花のうち、大体ハナショウブと書いているのは間違いのようである。間違いでした。アヤメか、それか水辺ではないが、カキツバタ。ハナショウブは、時期がもう少し遅れるそうです。
この色のアヤメのほか、いろいろな花がある。これからも出てきそうな、ドイツアヤメの蕾がたくさん、ほかにシャクヤク。楽しみなところであって、ただ、道からは見にくく、どうしたものか。