光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

シランと、白いシランと

2009-05-09 18:55:37 | 植物・花(春)
  初夏の暖かさがあって、こうなると日焼けとか、暑さ対策が気になるころ。時代というか年代というか、老化というか、無理かっても出来ない今があると、水も持ち、日傘も持ち、タオルに少々のお金も持って、散歩というか、花をめでにいかないといけなく、一応ペットボトル、水道水の入っているものを持って出かけることにした。これからは、暑さとの闘いというか、どうしてこの暑さの中を歩くかということを考えないといけないが、

  だんだんと太陽は高くなって、影が出来る、その影も小さく、細く、しかし濃くなって、そのありかを探すこともひとつの対策となる、あそこの道は、東西だから多少は影が出来る、南北だと時間の関係もあるが、影は出来にくい。際際のところで歩く道を考える。いずれにしろ、首に水を浸したタオルを巻いてということもやらないといけなく、その程度も一回で済むか、途中止まって、ペットボトルの水をタオルに浸すというようなこともやらないといけないだろう。
  日傘というのも有効で、特に車が来るところでは目立った方がいい。そうゆう配慮をこちらからやらないといけない。夜は灯りをつける。自転車だって、ライトで道を照らすというより、ここに自転車が走っていますというようなことを、相手に知らせる意味が強い。大体毎日走っている道だと、勘も働く。しかし真っ暗だと、その道もあるところはわからず、また車から見ると、そのライトも朧だろう。だから車のライトがあんなにまぶしいのであって、自転車にも人にもそれ相応の灯りは必要となる。これは、日傘とは関係のないほうの話になった。

  春も終りで、夏が近い、田んぼに水。水にアメンボ、これは近くの保育園の子供の声。アメンボがいる。おうとるがな、あっている、という意味である。田んぼの水の上というと、アメンボがいる。オタマはなかなか見つからない。でも、アメンボさんはいてすいすい泳いでいる。昔はやっぱりカエルの子供のほうがわかりやすかった。
  田んぼも広くなると、というかいくつかの田んぼの続くところに水が入ると、ちょっと壮大な、というか、爽快な景色を見ることも出来る。この大きさのプールはなく、また池というのも今頃は見ないから、浅いという感じはあるが、無論ここに落っこちると、無残というか最悪命にも関わることにもなる、その広さは水があるというだけで、感じ方は違う。ただの崖と、そこを川が流れて、それから巨大な滝があるというものに似ているような、これはしかし少し大仰かも。一応は平らだから、吸い込まれるようなスリルはない。でも、無論この中にこけるというと、散々なことになるのは間違いがない。

  明るい光と、暖かさで新しい花が咲き、先に咲いた花は惜しいようだが枯れてゆく。また木の植物で、たとえばジンチョウゲなど突然枯れてゆくようなものもあって、これはどうしたことだろうか。ジンショウゲ自体が大きくなりすぎた。考えにくいことで、なぜ枯れてしまうのかは不明のまま。いくつかの花はまだ咲かない。咲かない代表だとシャクヤク。この花の芽はもう十分大きいが、ここからが長いようで、しばし待つ勇気がいる。
  わからない花も出てくる。先に咲いてしまうとそっちに興味が移る。これはこれでありがたい。赤いというか、紫というか、赤紫が一番のようだが、シランの花が咲き始めて、その時間が少し止まっていた、あるいはあるものが早く咲きすぎた。
  シランと、シャクヤクではしかしシランの方が早く咲く気がする。このシランの花、がようやく咲き始めるようで、この花はあちこちにあって、いくつか候補が頭に浮かぶ。で、シランという名だが、白いシランだってある。そうゆう例はすでにいくらか、ある方のページで見ることもある。

  すると、白いシランが咲いていても、それがこの辺りであってもおかしくはない。八重のヤマブキにも白いものがある。そのように思える花もあった。それで、ことしになってよくいくようになった、というところにまずは、赤紫のシランは先にその赤目の蕾、赤紫の色を呈していた。もうしばらくすると、花。また一つシランの咲くところが増えたが、なんとそこに白いシランの花が咲いていて、いよいよ本物を見ることも出来て、きょうの最大の収穫といえるかも知れない。
  ショウブとハナショウブとはまた違う。しかし、アヤメとか、カキツバタに似るもので、キショウブというものがあるが、たぶんこの花も咲き始めたようで、これは方向転換をして、時間がないから、幸いかな咲き始めの一つに出会えた。小さくひっそりと咲く。その花の近くから、蜂のブーンという音がして、これはクマバチかがそばにいるなと思うのが普通だけど、その正体は緑色をしたカメムシ。カメムシの羽音、あるいは翅の音というのも聞いた。それだけで済んだようで、妙な臭いはしなかった。

  いくつかのシラン、白いシラン。




  最初に、水の入った少し広めの水田、迫力は足りないが、かなり広く遠いところまで、水が行き渡っている。少しだけ、水の恐怖感を味わえる。




   お馴染みの、赤紫色の、シラン。ここのところは結構何でも出てくるところであって、虫だってよくいる。不思議な場所である。




  これからだと、シランもまだ咲き始めたところという感じ。
  そのうちに、カメムシも出てくる。小さなアヤメも咲いているが、時期が少し遅い。




  ちょっと変化を求めて、これはなんという花かわからないが、下を向いている。で、下からという感じで、太陽光で透き通る、青い色をした背の低めの花。




  うーん、たしかに白い。白いシラン。遠くに赤紫のものがある。わずかに紫の色が出ている。




  真っ白で、星のように5枚の花弁というのか、が出ている。




  これからの白いシラン。
  まだまだ水が足らないようで、もう少し雨が降れば花もしっとりとした感じが出そうで、ここ以外にももう少し大きな集団で白いシランの咲いているところもあった。

浮かび上がるカエデ

2009-05-09 16:31:55 | 植物・花(春)
  お天気は予報どおり、大体晴れ。快晴かというと、そうでもなく
  雲も出ている。雲もあって、それ以外に、モヤッとしたもの
  田んぼのあるところに特有のものかも知れないが
  そうゆうものもある。恐らく同じ県であっても場所に
  よって見える空やら、地平の感じはかなり違う。
  3000m級の山もあるが、こうゆうところは想像も付かない。

  田んぼに水が入る。段々と多くなって、今はもう
  入るところは皆入った感じで、そこがしかしそのまま
  というところもありそうで、こうゆうところは
  稲は植えられず、大豆か麦か、ということになるのだろう。
  麦はまだ青いものが多く、少し黄色くはなっている。
  こうゆうところもある。

  同じようなところを何度も撮っていると、もういいかと思うか
  たまにまとめて、どっかと出すか、二つに一つで、
  そのままというのが一番多い。
  ここは、好きなというのが適当な、同じカエデの生長、変化の様子。




  回りが暗いと、明るい葉っぱを持つカエデが浮かび上がる。一番、
  いい感じ、印象的で、この位置からのこのカエデが好みというか
  いいのである。




  これをほぼ目線とカエデが同じ高さというところで見ると
  このようで、高低も結構ある。
  単調なようで、立体的である。




  かなり暗くても、ブレないよう、露光時間は短めにする。するとなおさら
  このカエデが浮かび上がるようで、立体感がある。




  ようやく、回りが見える明るさ。
  このカエデの形は、四国のようで、また佐渡島のようにも見える。




  左下の方を見ると、このカエデの枝が伸びてゆくのがわかるが、この辺りも
  好きなところ。右側にも大体同じものがある。




  全体的にさらに大きくなって、枝がまた伸び、カエデの葉っぱが辺り
  一面広がる。どんどん広がればと思う。
  この先も、このカエデを見続けてって、これはいつもやっていること。
  特に書くようなことでもないが、またいつか。

晴れの朝で、露

2009-05-09 06:42:47 | 散策
  朝のお天気は、ほぼ快晴。5日の子供の日は晴れで、たぶんそのときに、日の出に近い太陽を見ているが、その後は大体曇りだから、これでいくと久しぶりの朝の太陽、もう十分に高く明るい太陽を見ることになる。やっぱり朝は、太陽があったほうがいい。でもたまに雨がいい。欲張り。風もなく、しかし地上に近付くにつれて、靄が濃い。アメダスの6時の気温、12.9℃。これくらいまで下がると、露も瓦に付く。気圧は、1012.4hPa、湿度96%。室温は18℃。明るい。

  晴れの朝だと何といっても明るさがある。木々の影になって暗いところもあるが、その木々も久しぶりの太陽で、輝いている。目の前に今頃小さな花をたくさん咲かせる大きめの木があるが、この木も今は朝日に照らされて、その花の白い蕾がやたらまばゆく見えるが、この光景はなかなかいい。しばらく見とれている。

  きのうの夕刻の空に、ほぼ満月に近い月があって、あとしばらくすると、この月と、太陽が一直線に並ぶのだなーと多少感慨深げに見ていた。それからも、夜中もちょっと低めのコースを移動する月の姿が見えて、ほんのりと辺りも明るく、雲か靄かが薄くかかっていたかも知れないが、でもお天気は完全な曇りではないこともわかった。今は田んぼに水も入って、地上辺りの水蒸気の濃度は高く、大体いい景色、遠くの山々、それに夜の星は見えにくい状態が続く。星を見るのにあまりいい環境とはいえないが、それだからといって星好きの人が少ないかというと、そうでもないと思う。今はどこかへ出張ということもあるし、星を見るのが好きというかたと行動力とは、比例しているというのはあるかも。怠けものだと、これは耳が痛い言葉。

  ツツジの花がコンクリートの上に、ツバキと同じように、花が完全にそのままで落ちてしまって、花の散り方にもいろいろあるなと思う。ツツジは今見るとずいぶんと地味な花に見えてしまうが、大体どこのご家庭のお庭にもあるから、決して人気がないということでもないのだろう。ここのツツジのもともとはどこにあったかというのが、垣のものは昔からで、それでいいが玄関から先の少しというのは昔はなかった。これが大きく横に伸びて、来年というか、いずれ枝も切らないといけない。

  切られる運命にある、ハルジオン。ハルジオンも最低限だけ刈ることにする。そのハルジオンの薄い桃色の花に、真っ赤に近いエンジ色の翅を持つ、ベニシジミチョウがきのう初めてやって来て、目が輝いた。小さいが、この濃い赤味がかった、橙色のような、赤茶色のような翅はまことによく目だつ。そのチョウがあまりに小さいからかよけいにまばゆくも思えるものがある。羽化したてか、そばに寄るとすぐに逃げた。これでいい。やっぱり雑草の一つもないと、虫もチョウも寄ってこない。