光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

白い花のいろいろ

2009-05-22 18:56:32 | 植物・花(春)
  なんと、今は雨になって、すでに暗く、人工の灯りをつけている。こうゆう記憶も、お天気は悪いとか、異常気象だといいながら、あまりない。朝が暗くて、その後夕方になって、朝のような明るさ、暖かさがあったという、記憶は割りと鮮明で、その反対になって、今ごろ雨の予報は果たして出ていたか。でも、涼しくもなく、ほどほどの暖かさもあり、また風も弱くなって、今はもしかしたら湿気の補充にちょうどいいかも知れず、しかもやけに静かである。

  花の色にもいろいろで、歌にもあるけれど、大体何が出るかわかっている。この辺りでもう面白くはないような予想が出来る。自分でそんなことを思う。端境期である。野菜も、果物も、魚に肉に、お米に豆に、それから何があるか、お酒かも知れない。新酒というのはいつごろ出来るか、よくは知らないが、あまりにそうゆうところに縁がなさ過ぎて、今は当然ながら、そうゆう機会もないが、利き酒とかの何かがあっても、いけない。いけないのが99%。いけるわけもないが、しかし残りの1%でいけるとなっても、いかない。利き酒ではなくなるし、それなら、普通のものでいい。若干素直でない。

  5月の後半も、後半で、おしまいに近い。歩いていると、家庭菜園とやらも見る。もう菜の花はない。タンポポもきれいに刈られたか、タネとなってどこかにある。葱とか、コマツナとか、ホウレンソウに、サヤエンドウというと、これは早春のもので、今はサヤエンドウも立派なものがなっている。後は食べるだけ。野菜は新鮮なものが一番だと、まずは思う。朝の取れたてがいいが、経験は少ない。昔のここでも実がなった、ミニトマトくらい。
  半分はプロというそうゆう方のやられている、畑というのを見ると、今から苗が大きくなるところ。イネと同じか、みな植えられる時期は遅くなっているような気がする。でも早いといっても5月の連休の後くらいから、苗の植え付けが始まるようで、そのときは少ないと思った。トマトだとかナスの、苗もなかなか見かけない。それを大体2週間くらい遅れて、見かけることになる。今からだと、早くても7月にならないと、実の一つもならないだろう。

  同じ植物であるが、観賞用の花、とか木々は結構見かける。植物あるいは園芸愛好家というか、植物でも花とか、葉っぱとか「見てどうのこうの」、という方は多いようで、その横に、キュウリだの、ナスだの、コマツナだの、ホウレンソウにミニトマトの苗を植えてある、プランタがあっていいと思うが、これがない。苗も安くはない時代で、しかし、花とか、きれいな木々もびっくりする値段がある。
  食べ物でもあって、見ても楽しいというのがあればと思うが、大体野菜の花も見ていて楽しい。色合い、形、匂いに、加えて寄って来る虫にチョウがいるから、チョウはもちろん虫だけど、これはあまり歓迎されない?。

  いつも買い物しているお店で、色合いのいいトマトも出ている。トマトだといつでもあるといえそうで、この辺りでは4月の後半か。どこのものが多いというと、岐阜に、それと愛知県が多そうで、後者がより多い。暖かいといわれる、それと近くであるというのが条件の一つで、それ以外はあまり見かけない。トマトは好物だし、いかにも栄養もありそうで、しかも甘みはさほどないから、これくらいいい食べ物はないと思う。最近は、高カロリということで、糖質が嫌われる。しかし、果物だと甘くないとだめといった感じで、イチゴやら夏みかん、それに似る柑橘など、好きな方は困るのだろう。その点、さほど甘くもなく、ほどほど水分とミネラルに、ビタミンがあるトマトは、たくさん食べたいものの一つで、これを2つも食べたからといって悩むことは少ない。
  きょうは色のいい、愛知産のトマトが出ていた。安くはない。が、これに代わるものもなく、買い求めた。
  地物のトマトというと、路地ものでもあるかも知れないが、かなり先。多くは県外のものがお店に並ぶ。
  これさえ出てくれば、それと値段がほどほどであれば安心感がある。野菜特有の匂いで、この系統のものを食べられないという方は、本当に残念である。食べ物の匂いとか、臭いはあまり、気にならない。でも、姿かたちが、鳥であるというものだと、さすがにのどを通ることはない。人それぞれ、それで、ようやくおいしそうなトマトも出てきたので、まずはよかったということになる。

 
  トマトの花は黄色い。キュウリはというと忘れた。ナスだと紫で、野菜の花の色も、いいもの。
  これと関係なく、白い花。




  あるところの、垣と思われるものは小さな葉を持つ、丸く広がる、黒っぽい緑をして、枯れているのか、冬は思えるが、そうではなく、今頃になって、小さな花を咲かせる。




  どこにでも咲いているようで、久しぶりに見る、この花。黄色い色が入っている。




  この隣に、青いよくある、アヤメの花があって、その横にこの白いアヤメのようで、カキツバタかという、白いものがある。ハナショウブ?。




  ここのシャクヤク。曇り空。薄いクリームの花弁は白く見える。そろそろ終りかも知れない。




  白い、大き目の花を持つ、シャクヤク。この花のすぐ後ろに、もう一つ花があって、松にシャクヤク。




  これがここに咲く、他のところにももちろんあることがわかった、白い花を付けるもの。この花の数がこれまでになく多く、すでにこの花が、ぱらぱらと散る。ずっとここにどのくらいあるのか不明だが、こんな白いのを見るというのも記憶に薄い。  

朝の青い空

2009-05-22 16:21:12 | 散策
  朝は結構暖かという感じだったが、
  その後のお天気の回復というのはなく、曇り続き、
  ときどき小雨もあるので、やっぱりなんだか
  天候の変化が激しく、その推移は異常ではないか、
  そうゆう風に思ってしまう。

  異常気象という言葉はあまり聞かなくなって、
  地球温暖化をどうして食い止めるか、ということに
  注目がいっている。しかしやっぱり二酸化炭素は出さないと
  生活は出来ないし、この気象の異常さというのも
  なくならず、よけいひどくなる一方で、
  どうしようもないか、という感じが強い。

  朝は風で、目も開く、そうゆう強い風が吹いている。
  この時間、もう「日の出」は過ぎていて、朝の明るさが
  青色に見えて、特徴的であると思う。
  こうゆうものは肉眼では、あまり見えない。




  朝のこの天気は、曇り空だが、その曇り空が青い。青空の青とは
  かなり違う。




  南西の空は、明るくここはもしかしたら、晴天域が白く見えているのかも。




  西の空。雲が長く、つながっている。




  少し時間がたった。東の空、雲が切れて太陽も顔を出す。




  東の空にも、雲の帯が見える。青い色はさほど変化はない。




  太陽が雲から出てきた。さらに、時間が経過した。
  青空の青と、朝の青があって、どっちがどれかな。




  これは今朝の、ものではないが、朝日が白い花を照らす。
  この白い花が、今朝の強い風で、もう散り始めている。

強風の朝、花は散って

2009-05-22 06:51:07 | 散策



  朝のお天気、雨は上がって、しかし強い風。いつごろからか、雨と風で、夜から朝までやかましいというかうるさいというか、それでも眠っていて、朝になると、雲も美しく、また太陽も出るときがある。雨は少なめだが、降ったようで、それよりも小さな、白い花がもう散り始めて、一部の地面は白い。アメダスの6時の気温、22.5℃、気圧は1008.2hPa、湿度は42%。どうも雨が降ったというのは、いつのことやら。室温は、21℃。外のほうが気温は高い。

  雨はともう一度、辺りを眺めて水たまりを確認する。水たまりはある。この風は、きっと九州で大雨とTVのお天気情報でいっていたから、その雨が降った後の、乾いた空気が今頃にこの辺りにやって来ているのだろう。雷雨とかもいっていた。梅雨前線に近いから、雨も陽性である。
  朝の各地のTVの映像を今思い出すと、大体曇り空で、しかし明るさは十分で、視界もきいていた。風はTVでは、なかなかわからない。ここからも、ある程度遠くを見ることが出来るが、揺れているのは近くの木、木の枝だけで、それ以外は、特に見ていて、揺れるものはなく、また空の雲の動きも、あるようで、ないようで、それよりも、この雲の様子、変化の様子、雲の形を見ていると、楽しくもなって来る。
 
  ハルジオンの一部が枯れ始める。理由というのもわからない。密集しすぎかも知れない。枯れないハルジオンもあって、どうなっているのか。カラスノエンドウは自動的に枯れてゆくという。この表現も不正確なようで、枯れるというより、一回の生涯を終えるというのが、正しいようだ。草も芽吹きもあれば、最後は、段々と自然に近い形に戻る。生き物が生き物でなくなる時間が来る。ハルジオンは、生命力の強さではダントツのようで、その花が茶色くなるのが、時期尚早と思える。

  あれれというと、見たことある妙な形、俵のようで、古生代の生き物のようで、あまり小判には似ていない、コバンソウではないか、という草がきのう目に入った。枯れるものもあれば今から出てくる、草もあれば、どうもこの花、草は今までなかったという感じのものも出てくる。コバンソウというのも、いろいろありそうで、なに、何コバンソウかわからないが、この草もきのう見ただけで3箇所はあった。コバンソウか、これのほうが本物のお金のような感じがある。紙のお金、紙幣というと、印刷されたただの紙だから、これに価値があるというのも、考えてみると不思議で、石とか貝殻のほうがもっともらしい。もっとも、今はお金はいらない時代で、数字だけ見ていればいいらしい。もっとも不安なものでもあると思うけれど。

  風で、一気に咲いた小さな花が落ちて、それ以外にもいろいろ飛んで来るもの、飛んでゆくものがあって、飛んでは来ないが、飛んでゆくのがお金ということになる。