滅多に本屋さんに行かなくなって、しかしあまりそのことを不憫にも思わなくなってずいぶんと時間がたつが、これはもともとあまりに本を読まなかったということがある。もともとそうゆうたちでなく、なくても過ごせるもので、大体うちには本はなかった。不思議なうちであると思う。でも、それが幸いして本を読めとかいわれなくて済んだ。姉は読書家だったから、世界子供文学全集など買ってもらっていて、そのものがまだここにあるが、これもお化けと、一緒にいる。もう少しひどい状態にあるが、それはさすがに書く気もない。
少し昔話しになると、そこに住んでいたら、歩けば本屋さんというところだったし、でも見ているものは、雑誌とかが主であってその内容がどうゆうものか、これも書かなくても大体わかる。そうゆう風に出来ているようで、その方面ばかりという本屋さんも、だんだんと増えてきた時代でもあって、これも今思うに懐かしい。
大きな街の、名の知れた駅の近くに、まず大きな本屋さんがあって、それも2、3箇所あると、休日でもそこを巡ると、定期も使えるから交通費もいらない、しかし結構に疲れた。で、そうゆうところでも雑誌とか見ていて、それをやった後、多少文学とかの棚にゆく。そこにゆくとまずは本の持つ重厚性に圧倒される感じがあって、それで目も疲れるし、クラクラもした。どうにもこうにも本というものと縁というか親和性はなかったようだ。当時、本屋さんのブランドがまだ有効な感じがあって、どこもかしこも知っているわけでもないから、有名どころの本屋さんの本がやはり多い。版元とかもいう。そうゆうことを知り始めたときでもある。
本屋さん巡りでせいぜい疲れて、それで買うものというと、一応は買った。新刊の、文庫での本邦初訳とかいう、フレーズもあったときで、何のことかわからなかった。これは学生からの延長線であって、もともと本を読むこともない人間だと、買ってそのまま置いておくというのが多い。それも一つには、自分がどうゆう生き方をしてきたかという問題もあると思う。
今でも本というと、PR誌2誌で、その今の出版状況を知る。まずは新聞に本屋さんのCMが載ることなく、それ以外に見るというと書評であるが、これこそ見開きのもので、なくてもいいが、4ページくらいはあっていいと思う。だが見開きでおしまいであって、あとはベストテンくらいだが、これはこれでいいような気もする。記事は読む気もあるけれど、ベストのタイトルがいくら並んでも、見ていてなんとも思うものはない。それなら、無駄であるし・・・、こんなこと書いてはいけないような気がしてきた。ベストテンもやっぱり気になるものである。ただ、書評のページは増やして欲しいという気はかなりある。
月に一回か、ときに2回、街の大き目の本屋さんに寄ることが出来る。で、そこにいくのも少し楽しみであって、でも半分くらいはもうくたびれている。隅から隅まで目を皿にして見渡すわけにはゆかない。こうゆう能力は、一段と落ちた。大体視野が狭くなる、回りに本があることや、人がいる、お客さんがいることはわかる。その他おみやげ物屋さんも多いこともわかるし、そのお店に何かいいものはありますか、というような話しもときに聞こえる。そりゃそうであって、そうでないとお店もやっていけない。でも、本屋さんのコーナの中に入ると、本はあるが何があるか、こうゆうものはほとんどわからない状態。あまりにたくさんのものがあるようで、でも興味があるのは限られる。
もう少しいうと、世の中様々な興味を持っている方がいるということ。その中に自分もいるが、さて興味のない、政治だの、古典だの、経済だの株の投資だの、占いだのとなると、あってもなくてもよく、でも政治の今を知るにせいぜい新書程度は見ておかないといけない。それで、真正面入り口辺りにやっぱりというかそうゆうものが並んでいる。これが平積みだといいが、棚に背を向けて並べられると、どうしようもない。これ以外に、それそれの専門のコーナもある。また、文学だ、それと文庫だというものと、単行本のベストみたいなのが並んでいるところもあってそちらは、スペース的には2、3倍はある。でもそこを見ることなく、帰ってくるのがいいところ。
新聞に全国紙があって、これの書評に出たというものを並べてくれたら、など夢のようなことを思う。行くのは一ヶ月に一回なのに。それでも、書評に出た本など書いてあれば、そこにゆくというか見る。全国紙はどのくらいか、最低でも5、6新聞はある。これがあれば、どうなるか。地方紙もあるし。
どうでもいいようなことを書くと、たとえば私がこの何ヶ月かで買ったという新書の一部が、どうゆうわけか、また並んでいた。どうも、私は売れ筋という新書を買っているようで、これはどうゆうことかというと、平積みであって、それと関心もあった。こうゆうものは、また出てきて、しかしその数は少なすぎる。読書家だと、この100倍くらいは軽く本を買っているだろうから、そうすると本ももっと売れるような気がするが、どうだろうか。多方面のものをすべて見ることは出来ないが、たまには違ったものも出てこないか、こうゆう感想もある。
ごつい感じもする、ヒゲナデシコ。優等のお墨付き。ここのこの花、咲くかどうか。
空中にある花、再び。外の壁にかけられていて、ちょうど見やすい。
何でもあります。この設計図は誰が書いたのだろうか。
淡いバラ?。バラというと、草よりも木という感じだが、これはどちらかというと、草に近いバラである。なんども出ていて、まだある。
これを見ていると、バラだなという感じが強い。どちらかというと、硬質というより、柔らかな感じがする。
蕾の様子。これからも、花は出てくる。バラというと「棘」だけど、そういえば棘のことはどうだか、忘れている。
少し昔話しになると、そこに住んでいたら、歩けば本屋さんというところだったし、でも見ているものは、雑誌とかが主であってその内容がどうゆうものか、これも書かなくても大体わかる。そうゆう風に出来ているようで、その方面ばかりという本屋さんも、だんだんと増えてきた時代でもあって、これも今思うに懐かしい。
大きな街の、名の知れた駅の近くに、まず大きな本屋さんがあって、それも2、3箇所あると、休日でもそこを巡ると、定期も使えるから交通費もいらない、しかし結構に疲れた。で、そうゆうところでも雑誌とか見ていて、それをやった後、多少文学とかの棚にゆく。そこにゆくとまずは本の持つ重厚性に圧倒される感じがあって、それで目も疲れるし、クラクラもした。どうにもこうにも本というものと縁というか親和性はなかったようだ。当時、本屋さんのブランドがまだ有効な感じがあって、どこもかしこも知っているわけでもないから、有名どころの本屋さんの本がやはり多い。版元とかもいう。そうゆうことを知り始めたときでもある。
本屋さん巡りでせいぜい疲れて、それで買うものというと、一応は買った。新刊の、文庫での本邦初訳とかいう、フレーズもあったときで、何のことかわからなかった。これは学生からの延長線であって、もともと本を読むこともない人間だと、買ってそのまま置いておくというのが多い。それも一つには、自分がどうゆう生き方をしてきたかという問題もあると思う。
今でも本というと、PR誌2誌で、その今の出版状況を知る。まずは新聞に本屋さんのCMが載ることなく、それ以外に見るというと書評であるが、これこそ見開きのもので、なくてもいいが、4ページくらいはあっていいと思う。だが見開きでおしまいであって、あとはベストテンくらいだが、これはこれでいいような気もする。記事は読む気もあるけれど、ベストのタイトルがいくら並んでも、見ていてなんとも思うものはない。それなら、無駄であるし・・・、こんなこと書いてはいけないような気がしてきた。ベストテンもやっぱり気になるものである。ただ、書評のページは増やして欲しいという気はかなりある。
月に一回か、ときに2回、街の大き目の本屋さんに寄ることが出来る。で、そこにいくのも少し楽しみであって、でも半分くらいはもうくたびれている。隅から隅まで目を皿にして見渡すわけにはゆかない。こうゆう能力は、一段と落ちた。大体視野が狭くなる、回りに本があることや、人がいる、お客さんがいることはわかる。その他おみやげ物屋さんも多いこともわかるし、そのお店に何かいいものはありますか、というような話しもときに聞こえる。そりゃそうであって、そうでないとお店もやっていけない。でも、本屋さんのコーナの中に入ると、本はあるが何があるか、こうゆうものはほとんどわからない状態。あまりにたくさんのものがあるようで、でも興味があるのは限られる。
もう少しいうと、世の中様々な興味を持っている方がいるということ。その中に自分もいるが、さて興味のない、政治だの、古典だの、経済だの株の投資だの、占いだのとなると、あってもなくてもよく、でも政治の今を知るにせいぜい新書程度は見ておかないといけない。それで、真正面入り口辺りにやっぱりというかそうゆうものが並んでいる。これが平積みだといいが、棚に背を向けて並べられると、どうしようもない。これ以外に、それそれの専門のコーナもある。また、文学だ、それと文庫だというものと、単行本のベストみたいなのが並んでいるところもあってそちらは、スペース的には2、3倍はある。でもそこを見ることなく、帰ってくるのがいいところ。
新聞に全国紙があって、これの書評に出たというものを並べてくれたら、など夢のようなことを思う。行くのは一ヶ月に一回なのに。それでも、書評に出た本など書いてあれば、そこにゆくというか見る。全国紙はどのくらいか、最低でも5、6新聞はある。これがあれば、どうなるか。地方紙もあるし。
どうでもいいようなことを書くと、たとえば私がこの何ヶ月かで買ったという新書の一部が、どうゆうわけか、また並んでいた。どうも、私は売れ筋という新書を買っているようで、これはどうゆうことかというと、平積みであって、それと関心もあった。こうゆうものは、また出てきて、しかしその数は少なすぎる。読書家だと、この100倍くらいは軽く本を買っているだろうから、そうすると本ももっと売れるような気がするが、どうだろうか。多方面のものをすべて見ることは出来ないが、たまには違ったものも出てこないか、こうゆう感想もある。
ごつい感じもする、ヒゲナデシコ。優等のお墨付き。ここのこの花、咲くかどうか。
空中にある花、再び。外の壁にかけられていて、ちょうど見やすい。
何でもあります。この設計図は誰が書いたのだろうか。
淡いバラ?。バラというと、草よりも木という感じだが、これはどちらかというと、草に近いバラである。なんども出ていて、まだある。
これを見ていると、バラだなという感じが強い。どちらかというと、硬質というより、柔らかな感じがする。
蕾の様子。これからも、花は出てくる。バラというと「棘」だけど、そういえば棘のことはどうだか、忘れている。