光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

本屋さんの楽しみと、立ち読み

2009-05-07 18:50:49 | 散策
  滅多に本屋さんに行かなくなって、しかしあまりそのことを不憫にも思わなくなってずいぶんと時間がたつが、これはもともとあまりに本を読まなかったということがある。もともとそうゆうたちでなく、なくても過ごせるもので、大体うちには本はなかった。不思議なうちであると思う。でも、それが幸いして本を読めとかいわれなくて済んだ。姉は読書家だったから、世界子供文学全集など買ってもらっていて、そのものがまだここにあるが、これもお化けと、一緒にいる。もう少しひどい状態にあるが、それはさすがに書く気もない。

  少し昔話しになると、そこに住んでいたら、歩けば本屋さんというところだったし、でも見ているものは、雑誌とかが主であってその内容がどうゆうものか、これも書かなくても大体わかる。そうゆう風に出来ているようで、その方面ばかりという本屋さんも、だんだんと増えてきた時代でもあって、これも今思うに懐かしい。
  大きな街の、名の知れた駅の近くに、まず大きな本屋さんがあって、それも2、3箇所あると、休日でもそこを巡ると、定期も使えるから交通費もいらない、しかし結構に疲れた。で、そうゆうところでも雑誌とか見ていて、それをやった後、多少文学とかの棚にゆく。そこにゆくとまずは本の持つ重厚性に圧倒される感じがあって、それで目も疲れるし、クラクラもした。どうにもこうにも本というものと縁というか親和性はなかったようだ。当時、本屋さんのブランドがまだ有効な感じがあって、どこもかしこも知っているわけでもないから、有名どころの本屋さんの本がやはり多い。版元とかもいう。そうゆうことを知り始めたときでもある。
  本屋さん巡りでせいぜい疲れて、それで買うものというと、一応は買った。新刊の、文庫での本邦初訳とかいう、フレーズもあったときで、何のことかわからなかった。これは学生からの延長線であって、もともと本を読むこともない人間だと、買ってそのまま置いておくというのが多い。それも一つには、自分がどうゆう生き方をしてきたかという問題もあると思う。

  今でも本というと、PR誌2誌で、その今の出版状況を知る。まずは新聞に本屋さんのCMが載ることなく、それ以外に見るというと書評であるが、これこそ見開きのもので、なくてもいいが、4ページくらいはあっていいと思う。だが見開きでおしまいであって、あとはベストテンくらいだが、これはこれでいいような気もする。記事は読む気もあるけれど、ベストのタイトルがいくら並んでも、見ていてなんとも思うものはない。それなら、無駄であるし・・・、こんなこと書いてはいけないような気がしてきた。ベストテンもやっぱり気になるものである。ただ、書評のページは増やして欲しいという気はかなりある。

  月に一回か、ときに2回、街の大き目の本屋さんに寄ることが出来る。で、そこにいくのも少し楽しみであって、でも半分くらいはもうくたびれている。隅から隅まで目を皿にして見渡すわけにはゆかない。こうゆう能力は、一段と落ちた。大体視野が狭くなる、回りに本があることや、人がいる、お客さんがいることはわかる。その他おみやげ物屋さんも多いこともわかるし、そのお店に何かいいものはありますか、というような話しもときに聞こえる。そりゃそうであって、そうでないとお店もやっていけない。でも、本屋さんのコーナの中に入ると、本はあるが何があるか、こうゆうものはほとんどわからない状態。あまりにたくさんのものがあるようで、でも興味があるのは限られる。
  もう少しいうと、世の中様々な興味を持っている方がいるということ。その中に自分もいるが、さて興味のない、政治だの、古典だの、経済だの株の投資だの、占いだのとなると、あってもなくてもよく、でも政治の今を知るにせいぜい新書程度は見ておかないといけない。それで、真正面入り口辺りにやっぱりというかそうゆうものが並んでいる。これが平積みだといいが、棚に背を向けて並べられると、どうしようもない。これ以外に、それそれの専門のコーナもある。また、文学だ、それと文庫だというものと、単行本のベストみたいなのが並んでいるところもあってそちらは、スペース的には2、3倍はある。でもそこを見ることなく、帰ってくるのがいいところ。

  新聞に全国紙があって、これの書評に出たというものを並べてくれたら、など夢のようなことを思う。行くのは一ヶ月に一回なのに。それでも、書評に出た本など書いてあれば、そこにゆくというか見る。全国紙はどのくらいか、最低でも5、6新聞はある。これがあれば、どうなるか。地方紙もあるし。
  どうでもいいようなことを書くと、たとえば私がこの何ヶ月かで買ったという新書の一部が、どうゆうわけか、また並んでいた。どうも、私は売れ筋という新書を買っているようで、これはどうゆうことかというと、平積みであって、それと関心もあった。こうゆうものは、また出てきて、しかしその数は少なすぎる。読書家だと、この100倍くらいは軽く本を買っているだろうから、そうすると本ももっと売れるような気がするが、どうだろうか。多方面のものをすべて見ることは出来ないが、たまには違ったものも出てこないか、こうゆう感想もある。




  ごつい感じもする、ヒゲナデシコ。優等のお墨付き。ここのこの花、咲くかどうか。




  空中にある花、再び。外の壁にかけられていて、ちょうど見やすい。




  何でもあります。この設計図は誰が書いたのだろうか。




  淡いバラ?。バラというと、草よりも木という感じだが、これはどちらかというと、草に近いバラである。なんども出ていて、まだある。




  これを見ていると、バラだなという感じが強い。どちらかというと、硬質というより、柔らかな感じがする。




  蕾の様子。これからも、花は出てくる。バラというと「棘」だけど、そういえば棘のことはどうだか、忘れている。

大きくても、コデマリ

2009-05-07 16:30:59 | 植物・花(春)
  小雨降り続く時間も終わってしまって、
  もう少し降ってくれればなーと、まことに無念な思い。
  ちょい雨、もいいけれど、今までの雨が少なすぎたから、
  降るなら、適度な量で、長い時間降って欲しい。
  そうはいかないのが、お天気というものだけど。

  だけど、舗装された道に轍があるとそこに水は溜まる。
  その水を避ける方もいればそのままの方もいて、これは何のことかと
  いうと、車を運転されているかたのこと。
  見ていると、轍を避けているかたが多いようで、それの理由の一つに
  どうもそのコースがちょっと偏っているというのがありそう。
  で、そこが一番走りやすいところだとは思えないようだった。
  それでも、轍が出来るのは、理屈だと
  その上を走っている車が多いからだろうが。

  それとも水を跳ねるのが嫌なのかも知れないが。
  雨の観察はおしまい。

  
  再び、コデマリ。大きめのもの。ギョッとする感じで引き返す
  そうゆう迫力があって、コデマリの木がここまで大きくなるのに
  かかった時間を思う。どのくらいか、不明だが。

    


  全体が入り切らない。そのくらい大きい。その大きさというと、
  しかし数字では表わせない。も一度見てこないといけないな。




  風があった日で、この大きなコデマリの枝が揺れる。迫力満点。




  少しずつ拡大する方向。蕾も多く、いい時期かも知れない。




  どこがどこで、というのが自分でもよくわからない。




  大きなコデマリの、部分地図みたいのが出来上がった。
  もう一度行くチャンスがあるか、というより花が咲いていてくれるか。




  小さいコデマリの、接写。
  真っ白けになってしまった。  

降っているのか、降っていないのか、という雨

2009-05-07 06:44:25 | 散策
  朝のお天気は、珍しく雨で、よくわからない雨でもある。でも瓦も、路面も濡れている。きのうから、ずっとそうで、夜もときどき、瓦が濡れたように光っていたから、雨は降っていて、しかし弱い。これはもしかしたら、記録に残らない。風はほとんどなく、また明るさは、これはカメさんでわかって、暗め。灯りも付けている。アメダスの6時の気温、14.9℃、気圧は1009.3hPa。湿度100%。どうゆうこと。それからやはり降水量は、ずっとゼロ。室温、18℃。

  天気予報だと、雨はきのうの夕刻に上がってその後は晴れ。今朝も晴れだった。しかし予報は見事はずれて、今も雨。この雨、きのうだとぽつぽつ頭に当たり、それがはじき返されるものがあったが、今の雨は、霧のようで、小糠雨のようで、糠雨のようで、よくわからない。小糠雨、降っているのかよくはわからない雨で、しかし最後には全身が濡れてしまう、そのような雨のようで、この雨はどうか。
  TVの天気情報によると、濃霧注意報が出ている。西の空は地表近くまで霧雨が降っているようで、また視界はない。ある点から先は、白いだけ。霧が迫ってきているとも思える。レーダだと、雨雲はないところにここは位置していて、しかしやっぱり路面は濡れて、瓦も鈍く光っている。木々の、草の葉っぱにも大きな水玉が付着している。きょうはきっと一日雨で、午後はもっと降るかも。

  この雨でないような、しかし葉っぱには水滴を作る雨で、植物は呼吸をしている。それで、雨に濡れた葉はキラリ光る。この一番わかりやすいものが、ヒオウギズイセンのもので、何でこうなるのかわからない。ヒメヒオウギズイセンかも知れず、この葉っぱは見ていてただの草であって、ここからまた赤いエビのような花が出てくるとは、誰も気が付かない。だからさっさと刈り取られてしまう。ここにいろいろな虫が止まり、またその葉を齧る。
  テントウムシもいろいろいるが、よくいるナナホシテントウなどがこの葉にいる。どうゆうものかというと、幼虫であってこれは気色悪い。さらにこれがサナギになるが、その方が少し見よい。でもテントウムシの幼虫はこのややこしく長い名を持つ花が好きかというとそうでもなく、どのような葉っぱにもいるときはいる。そのテントウムシも今はどこにもいない。どこかにいて、それがわからない。

  霧雨か、小糠雨か。もう咲き終わるツバキ。これから盛んに咲く、色の濃いツツジ。それと、ハルジオン。賑やかで、しかしきょうは花も閉じて、シンミリしている。まったくのしんみりとした雨で、これは出鼻をくじくかな。