暑いというお天気だが、それが正しいというか、いまは、もうムッとする感じもある。そうゆうお天気だが、このお天気の変動の激しさに参っているというか、いまも早々クシャミ連発でいいことはない。晴れている。風はほどほどで、暖かい。この書き方は、早春とか、春の感じになる。蒸し暑いまでは遠く、この暖かさがちょうどよく、しかしクシャミ。ひどくないか?と思う。
それで、ここにある昔にもらったものの、シャクヤクの花が早くも咲いて、この時間が本当に早いかどうかはわからないが、他のところのものは、一部もう咲いていたし、これはこの辺りのシャクヤクが、みな咲くような幻想にもとらわれる感じもある。片方で、いやーな感じのする受け答えがある。これはうちの中の問題ではなく、まーどうしようもないようなことだが、こうゆう感じも、なんだかいらだたしさを増す。でも、ここはがんばって、シャクヤク探しにゆくというか、半分は運動で、半分は暖かさを求めて、あるいは暑さに慣れるで、もしたくさんシャクヤクが咲いていると、これは大変な気がする。
だが、実際はというと、そうゆうものではなかった。結論は、ほとんど咲いていない、まだ咲かないというもので、これでよかったような気もした。それでも、結構時間だけはたつから、あわてること。時計を見つつ行動する。
シャクヤクは、ま、どこにでもあるからいいようで、その姿はかなり敏感というか、神経質な面もあるようで、言い方が悪いかも知れない、結構気候とか時間とか、それと虫とか病気のもと、微生物にも敏感なようで、あまりきれいかどうか、心配しない方が楽しめる。でも、そこが肝心と急ぐ心地もあるから、人の考えていることはおかしい。
暑いという感じがなかった。ただ、その他の用件でいい感じではなかった。体が少し重いし、頭の痛みも出るような、そうゆう感じである。少し変則的に、ここにある大量のシャクヤク、というところからゆく。反対でも同じで、つまりは一本道でいける。ゆくと、絵には一番いいシャクヤクの開き立て、と完全に開いたものがあるはずだが、ない。一言、ないなでおしまい。ただこれは不正確で、たくさんあるなか、一本だけ、一輪のみ半分くらい咲くのがあった。これはどうしたこと。日当たりの条件もよく、大体書き込みを見ても、シャクヤクの項目はものすごく出て来るし。
しかしないものはない。ここは少し早歩きになる。咲いてない可能性が多いとなると、咲いている可能性のあるところを目指すのが正しい。時間はいつもと同じで、思ったより時計は進む。やっぱり歩くだけの散歩が楽だが。そうして、ここにはあるのでは、というところに着くと、
これが当たって、咲いていた。でも、シャクヤクの花は咲くまでが長いから傷みがでる。なんどもそう思う。風で傾いたものもあって、これもこの花の特徴のようで、でも大きな株だとそうゆうことはないようである。いくらか、写真を撮る。
さて早く切り上げないといけない。そのための時計である。でも、ここがあるがどうか、2、3分で済むはず。勝手なことを思う。そうゆうところも、やっぱり大体同じで、咲いている方が少ないが、咲きたてはある。
汗をかくそうゆう日でもあってこの暖かさがいいというのはおかしなものだ。もっとも、厚着はしてはいないが、薄ら寒い世の中であるから、せいぜい気温だけの暖かさを感じていないと身も持たない。どうにか帰ってきて、なんだかただバタバタしただけの、味気ない散歩であり、またシャクヤク探しになった。シャクヤクの花も大変だが、生きてゆく人も大変でゴタゴタが付きまとう。
まだまだいいほうである。外出も出来るし、マスクも必要ないと思う。毎日、マスクではなー。なんだか妙な感じで新聞を見て、「もう疲れた」という記事も並列して載っている。同じような気分だ、とふと思う。
最初から、シャクヤクでなく、赤いバラで、このバラも、葉っぱにうまく合焦している。ちょうど真ん中が葉っぱだったという赤いバラ。
バラの葉っぱを愛でて、その次はバラの花芽。バラの花芽は特にいい感じがする。
シャクヤクのたくさんありそうな、というところの一輪。これだけ、開いていて、後はまだで、いつ咲くか。
咲いていた、というシャクヤクの一つ。これは色は白がほとんど、少し紅色か赤紫が花弁の先に出る。大きな玉で、もっと大きくなるとお辞儀をしそう。
見ごろかなー。いい感じの色になる。実際はこの写真は白すぎて、もう少しクリーム色があると思う。しかし全体的に、この色で、特に階調的な色の出具合はないと思う。
開き立て、あまり細かく見ないと、まさに真っ白。
この程度の、シャクヤクの咲き方で、さて一体いつころに他の花は咲くか、たくさん咲いたら、咲いたで追っかけるのも大変。
それで、ここにある昔にもらったものの、シャクヤクの花が早くも咲いて、この時間が本当に早いかどうかはわからないが、他のところのものは、一部もう咲いていたし、これはこの辺りのシャクヤクが、みな咲くような幻想にもとらわれる感じもある。片方で、いやーな感じのする受け答えがある。これはうちの中の問題ではなく、まーどうしようもないようなことだが、こうゆう感じも、なんだかいらだたしさを増す。でも、ここはがんばって、シャクヤク探しにゆくというか、半分は運動で、半分は暖かさを求めて、あるいは暑さに慣れるで、もしたくさんシャクヤクが咲いていると、これは大変な気がする。
だが、実際はというと、そうゆうものではなかった。結論は、ほとんど咲いていない、まだ咲かないというもので、これでよかったような気もした。それでも、結構時間だけはたつから、あわてること。時計を見つつ行動する。
シャクヤクは、ま、どこにでもあるからいいようで、その姿はかなり敏感というか、神経質な面もあるようで、言い方が悪いかも知れない、結構気候とか時間とか、それと虫とか病気のもと、微生物にも敏感なようで、あまりきれいかどうか、心配しない方が楽しめる。でも、そこが肝心と急ぐ心地もあるから、人の考えていることはおかしい。
暑いという感じがなかった。ただ、その他の用件でいい感じではなかった。体が少し重いし、頭の痛みも出るような、そうゆう感じである。少し変則的に、ここにある大量のシャクヤク、というところからゆく。反対でも同じで、つまりは一本道でいける。ゆくと、絵には一番いいシャクヤクの開き立て、と完全に開いたものがあるはずだが、ない。一言、ないなでおしまい。ただこれは不正確で、たくさんあるなか、一本だけ、一輪のみ半分くらい咲くのがあった。これはどうしたこと。日当たりの条件もよく、大体書き込みを見ても、シャクヤクの項目はものすごく出て来るし。
しかしないものはない。ここは少し早歩きになる。咲いてない可能性が多いとなると、咲いている可能性のあるところを目指すのが正しい。時間はいつもと同じで、思ったより時計は進む。やっぱり歩くだけの散歩が楽だが。そうして、ここにはあるのでは、というところに着くと、
これが当たって、咲いていた。でも、シャクヤクの花は咲くまでが長いから傷みがでる。なんどもそう思う。風で傾いたものもあって、これもこの花の特徴のようで、でも大きな株だとそうゆうことはないようである。いくらか、写真を撮る。
さて早く切り上げないといけない。そのための時計である。でも、ここがあるがどうか、2、3分で済むはず。勝手なことを思う。そうゆうところも、やっぱり大体同じで、咲いている方が少ないが、咲きたてはある。
汗をかくそうゆう日でもあってこの暖かさがいいというのはおかしなものだ。もっとも、厚着はしてはいないが、薄ら寒い世の中であるから、せいぜい気温だけの暖かさを感じていないと身も持たない。どうにか帰ってきて、なんだかただバタバタしただけの、味気ない散歩であり、またシャクヤク探しになった。シャクヤクの花も大変だが、生きてゆく人も大変でゴタゴタが付きまとう。
まだまだいいほうである。外出も出来るし、マスクも必要ないと思う。毎日、マスクではなー。なんだか妙な感じで新聞を見て、「もう疲れた」という記事も並列して載っている。同じような気分だ、とふと思う。
最初から、シャクヤクでなく、赤いバラで、このバラも、葉っぱにうまく合焦している。ちょうど真ん中が葉っぱだったという赤いバラ。
バラの葉っぱを愛でて、その次はバラの花芽。バラの花芽は特にいい感じがする。
シャクヤクのたくさんありそうな、というところの一輪。これだけ、開いていて、後はまだで、いつ咲くか。
咲いていた、というシャクヤクの一つ。これは色は白がほとんど、少し紅色か赤紫が花弁の先に出る。大きな玉で、もっと大きくなるとお辞儀をしそう。
見ごろかなー。いい感じの色になる。実際はこの写真は白すぎて、もう少しクリーム色があると思う。しかし全体的に、この色で、特に階調的な色の出具合はないと思う。
開き立て、あまり細かく見ないと、まさに真っ白。
この程度の、シャクヤクの咲き方で、さて一体いつころに他の花は咲くか、たくさん咲いたら、咲いたで追っかけるのも大変。