朝は眠いながらも、目が開いて、それこそ眠りすぎな感じがあるが、眠い時間とそうでない時間があって、眠れないのも困るものだが、眠いというのも困る。なんだか眠ったり起きたりというと、赤ん坊のような感じでもあって、意識もはっきりしていない。そのような時間もあるが、きょうは間違いなければ、月曜で、朝も一番にゴミを捨てにいったが、まっすぐに歩いていないようで、しかしそれが普通のようでもある。
田舎道でもそうでなくても、落とし穴のようなところはある。用水の上というか、蓋の部分もみな閉まっているわけではなく、長いところだと、3、4cmは開いているのである。これも不思議といえば不思議で、人はやっぱり下を向いて歩かないといけない。下を向いて、なるべくまっすぐに歩かないとと思いつつ、その跡をたどると、曲線であって、たぶん1mくらいの幅がある。これも、年齢だから仕方ないか。起きたてで、眠くて、後からでも十分間に合うが、きょうは先にした。これは失敗だったような気がする。このところ、十分に明るくなってからゴミは捨てにいっていた。秋口で、寒いなと思うころは、きっと血管もきゅっと締まって、もう少し体もしゃきっとする。
久しぶりで、「洗濯機が動かない」という声がしたので、その頃はもう意識も多少ははっきりしていて、洗濯機の蓋を閉めて、と大きな声、もなかなか出なくて、中くらいの声で叫んだ。2、3度叫んだようだが、その後特に問題はなかったようだ。まるで人事だが、こうゆうこと、普段はなんでもないような出来事だったり、特に疑問にも思わず、たとえば私もPCを触っているが、さてあるときいつか、PCが動かない、と叫ぶ、たぶん心の中で、そうゆうときが来るかも知れない。
今だって、そう簡単に冷蔵庫だって氷も出来ないようだし、まずは水が入っていないといけなく、またその装置のスイッチというのも普通にわかるようではないように出来ている。ときに、ガチャガチャという音が突然聞こえる。まったく泥棒が鍵を開けるのと同じ音が辺りで響く。しかしそれは冷蔵庫の氷の落ちる音、といい聞かせる、自分に。電話だって耳をそばだてている。電話にも重要なものもあるからで、ときにラジオの音で、静かに鳴るか鳴らないかという程度だが、交響曲がかかっていても電話の音のように聞こえる何かがある。TVから電話の音が聞こえると、むっとする。TVじゃないか、もう一人の自分がいう。でも、TVと電話が大体近い位置にあるから、そうゆう勘違いも起こる。昔はそんなことはなかったけれどねー。
ジトッとする暑さに気が付いて、これはいけないから、Yシャツだけにした。外に出るのは出られないよりも、何倍かいい。やはり、外の空気も吸いたいものだし何しろ刺激が違う。感覚が鈍るこのごろ建物の中と外は大違いで、自分自身が試される。その点、自然というか外界というか、もう箱も何もないところで生きている生き物の本能というのはすごく研ぎ澄まされていると思える。ツバメだってそう簡単に巣には入らないし。そんなことを思いながら、アチチという外の空気の中を歩いて、半分ばてた気もした。相当に暑い。モヤシのような生活というとモヤシに悪い。モヤシだってシャキッとしている。それに劣るくらいの感じで熱風の中を歩く。高々、7、8分だ。どうしたものやら、アチアチと感じるのは自分だけでなくて車のドアを開ける人も同じようだったけれど。
買い物。ものがあるありがたさ。それでも、最近はしょっぱいものはまったくだめで、ほとんど薄味のものがいい。だから生野菜がいいようで、魚も生といきたいけれど、そうゆうものも少なく、それなら豚肉かと思う。豆腐とかはたくさん求める。納豆、にヨーグルトも。それに今回は安くはないトマトも買った。命には代えられない。この大仰なこと。
歩いて帰って来て、息切れもしそう。草もいよいと背丈を伸ばして、その中に「鬼百合」が出てきているのを見る。もう1週間くらい前からわかっていた。これは残さないといけない。つぶやくように一人思う。
それにしてもきょうは暑く、またいよいよ本格的な夏というか、暑さも到来して半分は意気消沈している。
用水が1mくらいの高さから流れ落ちる。これはたぶん水の量を調節しているもので、上の方が重要で、ある高さ以上になると、このようにより水位の低いほうへと流れるようにしてある。
早いツツジだと4月の半ばに満開。でも、これは太平洋側かな、で、この白ツツジはまことに美しく、また見事に今頃咲いている。
見慣れない花も、また大きく、一部は横になってきた。
白いシラン。このシランが2㎡かというくらい、もう少し広い?で群生。でも、水が足りない。きょうも赤紫のシランを見ていたが、カラカラでかわいそう。
サヤエンドウ。キヌサヤ。風でよく揺れていた。
これも、透過光で、下から見上げるように見てみたい。それを何回か繰り返して、帰って見てみるといくつかは写っているようである。
田舎道でもそうでなくても、落とし穴のようなところはある。用水の上というか、蓋の部分もみな閉まっているわけではなく、長いところだと、3、4cmは開いているのである。これも不思議といえば不思議で、人はやっぱり下を向いて歩かないといけない。下を向いて、なるべくまっすぐに歩かないとと思いつつ、その跡をたどると、曲線であって、たぶん1mくらいの幅がある。これも、年齢だから仕方ないか。起きたてで、眠くて、後からでも十分間に合うが、きょうは先にした。これは失敗だったような気がする。このところ、十分に明るくなってからゴミは捨てにいっていた。秋口で、寒いなと思うころは、きっと血管もきゅっと締まって、もう少し体もしゃきっとする。
久しぶりで、「洗濯機が動かない」という声がしたので、その頃はもう意識も多少ははっきりしていて、洗濯機の蓋を閉めて、と大きな声、もなかなか出なくて、中くらいの声で叫んだ。2、3度叫んだようだが、その後特に問題はなかったようだ。まるで人事だが、こうゆうこと、普段はなんでもないような出来事だったり、特に疑問にも思わず、たとえば私もPCを触っているが、さてあるときいつか、PCが動かない、と叫ぶ、たぶん心の中で、そうゆうときが来るかも知れない。
今だって、そう簡単に冷蔵庫だって氷も出来ないようだし、まずは水が入っていないといけなく、またその装置のスイッチというのも普通にわかるようではないように出来ている。ときに、ガチャガチャという音が突然聞こえる。まったく泥棒が鍵を開けるのと同じ音が辺りで響く。しかしそれは冷蔵庫の氷の落ちる音、といい聞かせる、自分に。電話だって耳をそばだてている。電話にも重要なものもあるからで、ときにラジオの音で、静かに鳴るか鳴らないかという程度だが、交響曲がかかっていても電話の音のように聞こえる何かがある。TVから電話の音が聞こえると、むっとする。TVじゃないか、もう一人の自分がいう。でも、TVと電話が大体近い位置にあるから、そうゆう勘違いも起こる。昔はそんなことはなかったけれどねー。
ジトッとする暑さに気が付いて、これはいけないから、Yシャツだけにした。外に出るのは出られないよりも、何倍かいい。やはり、外の空気も吸いたいものだし何しろ刺激が違う。感覚が鈍るこのごろ建物の中と外は大違いで、自分自身が試される。その点、自然というか外界というか、もう箱も何もないところで生きている生き物の本能というのはすごく研ぎ澄まされていると思える。ツバメだってそう簡単に巣には入らないし。そんなことを思いながら、アチチという外の空気の中を歩いて、半分ばてた気もした。相当に暑い。モヤシのような生活というとモヤシに悪い。モヤシだってシャキッとしている。それに劣るくらいの感じで熱風の中を歩く。高々、7、8分だ。どうしたものやら、アチアチと感じるのは自分だけでなくて車のドアを開ける人も同じようだったけれど。
買い物。ものがあるありがたさ。それでも、最近はしょっぱいものはまったくだめで、ほとんど薄味のものがいい。だから生野菜がいいようで、魚も生といきたいけれど、そうゆうものも少なく、それなら豚肉かと思う。豆腐とかはたくさん求める。納豆、にヨーグルトも。それに今回は安くはないトマトも買った。命には代えられない。この大仰なこと。
歩いて帰って来て、息切れもしそう。草もいよいと背丈を伸ばして、その中に「鬼百合」が出てきているのを見る。もう1週間くらい前からわかっていた。これは残さないといけない。つぶやくように一人思う。
それにしてもきょうは暑く、またいよいよ本格的な夏というか、暑さも到来して半分は意気消沈している。
用水が1mくらいの高さから流れ落ちる。これはたぶん水の量を調節しているもので、上の方が重要で、ある高さ以上になると、このようにより水位の低いほうへと流れるようにしてある。
早いツツジだと4月の半ばに満開。でも、これは太平洋側かな、で、この白ツツジはまことに美しく、また見事に今頃咲いている。
見慣れない花も、また大きく、一部は横になってきた。
白いシラン。このシランが2㎡かというくらい、もう少し広い?で群生。でも、水が足りない。きょうも赤紫のシランを見ていたが、カラカラでかわいそう。
サヤエンドウ。キヌサヤ。風でよく揺れていた。
これも、透過光で、下から見上げるように見てみたい。それを何回か繰り返して、帰って見てみるといくつかは写っているようである。