光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

くたびれる一日

2009-05-11 18:47:35 | 散策
  朝は眠いながらも、目が開いて、それこそ眠りすぎな感じがあるが、眠い時間とそうでない時間があって、眠れないのも困るものだが、眠いというのも困る。なんだか眠ったり起きたりというと、赤ん坊のような感じでもあって、意識もはっきりしていない。そのような時間もあるが、きょうは間違いなければ、月曜で、朝も一番にゴミを捨てにいったが、まっすぐに歩いていないようで、しかしそれが普通のようでもある。
  田舎道でもそうでなくても、落とし穴のようなところはある。用水の上というか、蓋の部分もみな閉まっているわけではなく、長いところだと、3、4cmは開いているのである。これも不思議といえば不思議で、人はやっぱり下を向いて歩かないといけない。下を向いて、なるべくまっすぐに歩かないとと思いつつ、その跡をたどると、曲線であって、たぶん1mくらいの幅がある。これも、年齢だから仕方ないか。起きたてで、眠くて、後からでも十分間に合うが、きょうは先にした。これは失敗だったような気がする。このところ、十分に明るくなってからゴミは捨てにいっていた。秋口で、寒いなと思うころは、きっと血管もきゅっと締まって、もう少し体もしゃきっとする。

  久しぶりで、「洗濯機が動かない」という声がしたので、その頃はもう意識も多少ははっきりしていて、洗濯機の蓋を閉めて、と大きな声、もなかなか出なくて、中くらいの声で叫んだ。2、3度叫んだようだが、その後特に問題はなかったようだ。まるで人事だが、こうゆうこと、普段はなんでもないような出来事だったり、特に疑問にも思わず、たとえば私もPCを触っているが、さてあるときいつか、PCが動かない、と叫ぶ、たぶん心の中で、そうゆうときが来るかも知れない。
 
  今だって、そう簡単に冷蔵庫だって氷も出来ないようだし、まずは水が入っていないといけなく、またその装置のスイッチというのも普通にわかるようではないように出来ている。ときに、ガチャガチャという音が突然聞こえる。まったく泥棒が鍵を開けるのと同じ音が辺りで響く。しかしそれは冷蔵庫の氷の落ちる音、といい聞かせる、自分に。電話だって耳をそばだてている。電話にも重要なものもあるからで、ときにラジオの音で、静かに鳴るか鳴らないかという程度だが、交響曲がかかっていても電話の音のように聞こえる何かがある。TVから電話の音が聞こえると、むっとする。TVじゃないか、もう一人の自分がいう。でも、TVと電話が大体近い位置にあるから、そうゆう勘違いも起こる。昔はそんなことはなかったけれどねー。

  ジトッとする暑さに気が付いて、これはいけないから、Yシャツだけにした。外に出るのは出られないよりも、何倍かいい。やはり、外の空気も吸いたいものだし何しろ刺激が違う。感覚が鈍るこのごろ建物の中と外は大違いで、自分自身が試される。その点、自然というか外界というか、もう箱も何もないところで生きている生き物の本能というのはすごく研ぎ澄まされていると思える。ツバメだってそう簡単に巣には入らないし。そんなことを思いながら、アチチという外の空気の中を歩いて、半分ばてた気もした。相当に暑い。モヤシのような生活というとモヤシに悪い。モヤシだってシャキッとしている。それに劣るくらいの感じで熱風の中を歩く。高々、7、8分だ。どうしたものやら、アチアチと感じるのは自分だけでなくて車のドアを開ける人も同じようだったけれど。
  買い物。ものがあるありがたさ。それでも、最近はしょっぱいものはまったくだめで、ほとんど薄味のものがいい。だから生野菜がいいようで、魚も生といきたいけれど、そうゆうものも少なく、それなら豚肉かと思う。豆腐とかはたくさん求める。納豆、にヨーグルトも。それに今回は安くはないトマトも買った。命には代えられない。この大仰なこと。
  歩いて帰って来て、息切れもしそう。草もいよいと背丈を伸ばして、その中に「鬼百合」が出てきているのを見る。もう1週間くらい前からわかっていた。これは残さないといけない。つぶやくように一人思う。

  それにしてもきょうは暑く、またいよいよ本格的な夏というか、暑さも到来して半分は意気消沈している。





  用水が1mくらいの高さから流れ落ちる。これはたぶん水の量を調節しているもので、上の方が重要で、ある高さ以上になると、このようにより水位の低いほうへと流れるようにしてある。




  早いツツジだと4月の半ばに満開。でも、これは太平洋側かな、で、この白ツツジはまことに美しく、また見事に今頃咲いている。




  見慣れない花も、また大きく、一部は横になってきた。




  白いシラン。このシランが2㎡かというくらい、もう少し広い?で群生。でも、水が足りない。きょうも赤紫のシランを見ていたが、カラカラでかわいそう。




  サヤエンドウ。キヌサヤ。風でよく揺れていた。




  これも、透過光で、下から見上げるように見てみたい。それを何回か繰り返して、帰って見てみるといくつかは写っているようである。

キショウブと、カメムシなど

2009-05-11 16:17:23 | 植物・花(春)
  かなり気温が高いようで、その割に風がなく
  穏やかだが、べったりした暑さというのがあるようで。
  今の感じはというと、
  これを一言でいうと、早いが夏バテ。
  ばかみたい、だがそんな感じ。

  ムッとする暑さ。
  目がチカチカする明るさ。乾燥。
  体の動きは鈍い。
  夏バテか、これからはこれがある。

  それで、キショウブが咲いていて、これがまだ一つか
  二つで、これに出会えたのはよかった。
  それで、まだ小さ目のキショウブだが、その花の下に
  なんと緑色の、ちょっとごつい感じもする、カメムシ。
  カメムシも嫌いではないが、また面白い虫だと思うが、
  咲き始めの、キショウブにカメムシは似合うかどうか。




  先週の土曜日は初夏のようなお天気で、ヒゲナデシコか
  と思う、花も咲いている。「セキチク」のほうが正しいか。




  小さい花だけど、集団になると迫力がある。
  セキチクかも知れない。今思い出した。きっと、セキチク。




  キショウブだと思う。小さめの咲き始め。
  すでにカメムシがいるのがわかる。




  ずいぶんと近付いている。花は動かない。しかしカメムシは
  少し動いている。




  カメムシも生き物だからな。種の保存のため、繁栄のために生きている。




  これもよく見る、ナデシコもどきのもので、ヒゲナデシコとも、
  セキチクとも違うようで、しかし花は似ている。

金星と木星を見る

2009-05-11 06:56:12 | 散策
  朝のお天気は、晴れで雲が少々。ちょうどバランスのいいお天気。風もほとんどなく、穏やか。きのうが最高気温、30℃くらいで、その値からかなり下がっているので、体感気温はヒンヤリ。30℃は高すぎ。アメダスの6時の気温15.0℃、気圧は1015.4hPa、湿度は、83%。室温は20℃で、これも今は普通の気温。

  ちょうど午前4時過ぎ、目が開いたのでこの時間だと、曇りの場合もあるが、少しだけ薄暗かった、見えるかどうか疑わしかったが、迷うほどのものでもないので、東の空を見ると、まずは真東よりは少し南側に、まださほど太陽から離れていない、金星を見ることが出来た。霞か雲がある位置なので、冬のときのような、ピークを持つ明るさ、突き刺さるような感じはないが、金星は明るく輝いていて、点状に見える天体としてはやっぱ、一番明るいものだなと思わせる明るさ。もう少し外が明るくなると、この色そのものもわからなく、真っ白に近いものになる。やはり回りが暗くないと、金星の美しさも半減する。きょうは薄い雲もあって、その輝きは若干ゆるく、しかしビーナスも悲しいときがあるとか、思ってしまう。
  もう少し南側にゆくと、それと高度的にはもう少し上の方だが、惑星としてはこっちのほうが大きい、木星が鎮座している。曇っていようと、晴れていようと、木星は堂々としている。大体この星は、そうチョコマカ動くことをしないが、それでも約12年かかって天球を一週する。ある人が生きている間たぶん、2桁の回数を木星が天球を回転することはたぶんない。ハレー彗星だと、その周期は76年ということで、この星の場合だと、一回も見ずにということもあるし、逆に運がいいと2回見ることが出来た。
  木星の色はというと、これは大体白みを帯びた黄色という感じで、今は高度は比較的低いところに見えていて、こう見えるのだろう。もっと高い位置にあると大気の影響もなく、黄色みを帯びた白というか、シリウスなどの色に近く、しかし黄色みがある。この木星も、望遠鏡で見ると結構赤味があって、星の見え方というのもいろいろである。

  金星が地球と太陽の間に入ってくると、今もその状態のはずだが、それがほぼ一直線に並ぶと、細い細い金星が見えることになって、しかしその機会というのは滅多にないが、その細い細い金星の写真を雑誌で見た。この切ないような細い金星というものも、またいいものである。

  ゴミを捨てにいって、それからハルジオンの姿を見る。少し気温も下がっていて、また日の明るさもまだ足らず、ハルジオンの花は閉じているようで、点々に見えてその数は星の数に近い。そう思える。緑の空間に無数の白い点状の花が浮んでいる。もっとも美しい、ハルジオンの瞬間がある。

  幸先がいいなど書いた、きのうの朝見た、大型の真っ黒な「蛾」は、その日のお昼にもう玄関先に落ちていて、反対向いてつまりお腹の側を見せて引っくり返っていた。哀れッもう最後の蛾の時間であって、そのものはもう動かない。蛾の表側は真っ黒であったが、反対はさほど見た目も驚くような色でなく、まーチョウに近いものであって、かわいらしいものでもある。でも触らないようにして、今もその先に、眠ったまま。