ようやく、今頃少しだけどさわやかな、青空も見えてきて、遅いが、夕方は晴れで、暖かいのはこれは西日のせいで、これからは西日の対策も練らないといけない。あるところは、異常に暑くなり、その熱気でおかしくもなる。空気は狭いところだと、簡単にその日の当たり方に比例して、温度を上げる。しかし、そうでもないところだと、さほど暖かくはならず、きょうなどは、朝から灯油ヒータをたく。今風邪というと、これがある。インフルエンザ・ウイルスが原因というものでなく、風邪引きはある。
体調の管理は、まことに、むつかしく、また風邪でダウンされても困りもので、こうゆう状況というのは頭の痛いこと頻りである。私も風邪を引くのは勘弁してくれと思うし、そんなものにはならないように注意している。しかし、認知症と診断されている方がおられて、心配なことは多いので、ここは元気でいてもらうのが一番なので、気を使う。風邪はいけない。でも、幸いか風邪の症状はないようである。ただ、ときにのどが痛いという。すぐにうがいをしてもらう、うがい薬もある。風邪薬というのはあるようでない。自身の免疫作用というのがあって、過去の病気のあるものに対しては、自分の持っている抗体というものが有効である。こうゆうものを持って、あるいは獲得して、人の寿命の長さもあるのだろう。
それにしても、いつ体調を崩すかわからず、だけど心配はしても、どうしようもないからなー。そうゆう面も50%くらいはあって、この話しは、もういいか。
道を歩くことから得られるくらいしか、自分自身持つ情報というものは、ない。ネタにはならないけれど、やっぱりいえの中に、うちの中にいても、それなりのものは入ってくるが、そっちが重要なこともあるが、外をプラプラ、あるいはときに精密に観察することは重要である。またなるべくなら、知らない場所とかにゆく。遠くにゆく。いったことのないところにゆく。昔いったところにゆく。プランというかアイデアは出るが現実性がなく、いつもの近くをただ時間が違うということだけで歩いている。それで、花を見て、あれあれと思うから、これも不思議だが、
ことしなどはなかなか、バラもないなーと思っているが、そうでもない。今頃から、ボチボチ見つかることがある。関西弁、大阪弁の感じであるが、これはどうも今の感じでいうと、ボチボチは「相当いい」ということをも表わしているようで、その辺りはようわからない状態にある。
バラの話しだと、このところ不調だった、道を歩いてのバラ観察はことしは、いいほうへ傾いていると思う。朝に真っ白なバラが、夕日の成分もあるような、金色の光に輝いたりもする。このバラは、たぶん1年くらいずっと調子が悪かった。他にも、調子の悪いバラはあった。だから、ここにも登場するバラの数は減っていたはずだが、ことしは悪くはない。結構、いいバラを見させていただいている。さらに、あちこちでバラがこっちを向いて笑っているようで、これも惜しいなとか思う。でも、そう毎度バラの美しさを愛でる、そうゆう道具は持ち合わせていない。せいぜい、目で見てこれはすばらしい、と思う。これが一番なのであって、もし可能なら、それを記録するのが、それも画像というもので、いいようであるが、そうもいかない。
空き地の様子も、これも面白いもので、ある時期に、草があればこれは刈られる。恐らく薬を播くよりはいいはずである。なかなかむつかしい問題でもあると思うが、草は生えるなら、そのままがよく、時期を見て必要なら、草を刈る、しかし根は生かしておいてまた出てくるのを期待する。草を刈ると、そこにまた土に戻るものもある。草は空気中の二酸化酸素を固定する、あるいは気体を固体にするといった方がいいかも知れない。それで、いくらかの植物の中に閉じ込められた、あるいは固体となった、炭素分子は、微生物などの働きによって、またガスに戻るけれど、固体となったもののほうが多いまま、また草木が生えてとなるような気もする。
きょうはもうタンポポなど生えていない、それからハルジオンももうないという、そうゆう空き地の植物を見て、また去年と同じような、これまでとは違う、そうゆう草が出てきたと思い、このサイクルの不思議さもまた思い出される気もした。そこの草は、ここでは出てこないのである。
さて困った、何にも手持ちのものがなくなって身近にある、その辺りの花やら草を見ていて、カエデの葉っぱも一段と緑濃く、またもしかしたら、オニユリが咲くかななど思う。思うと、するといつものようにかも知れない。テントウムシ、ナナホシテントウのようだが、がいる。これがある草に、しがみ付いてサーカスのような動きもする。それをいくらか撮り、あわてて、ファイルにする。
それで、「テントウムシの運動性」だが、テントウムシに遊ばれたというものでもある。
ヤブデマリに似て、しかしどうも違うという木の、花が実にもなる。
それで、しばらくしてテントウムシが、ナナホシテントウのようで、翅の色は少し茶色の入る赤。この虫がチョコマカ動いてくれた。
まったく、地球の表面と反対向き。こちらからだと、南半球の方々の、方向を向いて、平気なのである。
植物の先の先に来る。反対向いて、あるいはときに、まっすぐというか、下を下に向けているが、先に来るとくるり向きを変えるが、うまいこといかない。
重力と反対の向きに、上ってゆく。面白いスタイルがあるが、その辺りの選び方がむつかしい。
毎度のターンだが、植物の右側上に、赤いものがいて、これはアリマキ?。
すると、ただ遊んでいるのではなく、餌を求めてここまで来たことになる。
逆上がりとは逆だが、どっこいしょと上がりそうで、上がらない。餌は、まだそこにいる。
しばし、テントウムシと遊ぶというか、遊ばれて、これはこれでよかったという感じが強い。
体調の管理は、まことに、むつかしく、また風邪でダウンされても困りもので、こうゆう状況というのは頭の痛いこと頻りである。私も風邪を引くのは勘弁してくれと思うし、そんなものにはならないように注意している。しかし、認知症と診断されている方がおられて、心配なことは多いので、ここは元気でいてもらうのが一番なので、気を使う。風邪はいけない。でも、幸いか風邪の症状はないようである。ただ、ときにのどが痛いという。すぐにうがいをしてもらう、うがい薬もある。風邪薬というのはあるようでない。自身の免疫作用というのがあって、過去の病気のあるものに対しては、自分の持っている抗体というものが有効である。こうゆうものを持って、あるいは獲得して、人の寿命の長さもあるのだろう。
それにしても、いつ体調を崩すかわからず、だけど心配はしても、どうしようもないからなー。そうゆう面も50%くらいはあって、この話しは、もういいか。
道を歩くことから得られるくらいしか、自分自身持つ情報というものは、ない。ネタにはならないけれど、やっぱりいえの中に、うちの中にいても、それなりのものは入ってくるが、そっちが重要なこともあるが、外をプラプラ、あるいはときに精密に観察することは重要である。またなるべくなら、知らない場所とかにゆく。遠くにゆく。いったことのないところにゆく。昔いったところにゆく。プランというかアイデアは出るが現実性がなく、いつもの近くをただ時間が違うということだけで歩いている。それで、花を見て、あれあれと思うから、これも不思議だが、
ことしなどはなかなか、バラもないなーと思っているが、そうでもない。今頃から、ボチボチ見つかることがある。関西弁、大阪弁の感じであるが、これはどうも今の感じでいうと、ボチボチは「相当いい」ということをも表わしているようで、その辺りはようわからない状態にある。
バラの話しだと、このところ不調だった、道を歩いてのバラ観察はことしは、いいほうへ傾いていると思う。朝に真っ白なバラが、夕日の成分もあるような、金色の光に輝いたりもする。このバラは、たぶん1年くらいずっと調子が悪かった。他にも、調子の悪いバラはあった。だから、ここにも登場するバラの数は減っていたはずだが、ことしは悪くはない。結構、いいバラを見させていただいている。さらに、あちこちでバラがこっちを向いて笑っているようで、これも惜しいなとか思う。でも、そう毎度バラの美しさを愛でる、そうゆう道具は持ち合わせていない。せいぜい、目で見てこれはすばらしい、と思う。これが一番なのであって、もし可能なら、それを記録するのが、それも画像というもので、いいようであるが、そうもいかない。
空き地の様子も、これも面白いもので、ある時期に、草があればこれは刈られる。恐らく薬を播くよりはいいはずである。なかなかむつかしい問題でもあると思うが、草は生えるなら、そのままがよく、時期を見て必要なら、草を刈る、しかし根は生かしておいてまた出てくるのを期待する。草を刈ると、そこにまた土に戻るものもある。草は空気中の二酸化酸素を固定する、あるいは気体を固体にするといった方がいいかも知れない。それで、いくらかの植物の中に閉じ込められた、あるいは固体となった、炭素分子は、微生物などの働きによって、またガスに戻るけれど、固体となったもののほうが多いまま、また草木が生えてとなるような気もする。
きょうはもうタンポポなど生えていない、それからハルジオンももうないという、そうゆう空き地の植物を見て、また去年と同じような、これまでとは違う、そうゆう草が出てきたと思い、このサイクルの不思議さもまた思い出される気もした。そこの草は、ここでは出てこないのである。
さて困った、何にも手持ちのものがなくなって身近にある、その辺りの花やら草を見ていて、カエデの葉っぱも一段と緑濃く、またもしかしたら、オニユリが咲くかななど思う。思うと、するといつものようにかも知れない。テントウムシ、ナナホシテントウのようだが、がいる。これがある草に、しがみ付いてサーカスのような動きもする。それをいくらか撮り、あわてて、ファイルにする。
それで、「テントウムシの運動性」だが、テントウムシに遊ばれたというものでもある。
ヤブデマリに似て、しかしどうも違うという木の、花が実にもなる。
それで、しばらくしてテントウムシが、ナナホシテントウのようで、翅の色は少し茶色の入る赤。この虫がチョコマカ動いてくれた。
まったく、地球の表面と反対向き。こちらからだと、南半球の方々の、方向を向いて、平気なのである。
植物の先の先に来る。反対向いて、あるいはときに、まっすぐというか、下を下に向けているが、先に来るとくるり向きを変えるが、うまいこといかない。
重力と反対の向きに、上ってゆく。面白いスタイルがあるが、その辺りの選び方がむつかしい。
毎度のターンだが、植物の右側上に、赤いものがいて、これはアリマキ?。
すると、ただ遊んでいるのではなく、餌を求めてここまで来たことになる。
逆上がりとは逆だが、どっこいしょと上がりそうで、上がらない。餌は、まだそこにいる。
しばし、テントウムシと遊ぶというか、遊ばれて、これはこれでよかったという感じが強い。