きょうの冷たさというのを現わすのに、一つ忘れていたことがあって、それは窓が恐らく凍結で開かなかった。これは南向きの窓で、雪も溶けやすいが、その分水分は多く、氷点下だと凍る可能性があって、開くものも開かない。
寒気の程度にもよると思うが、たとえば氷点下の10℃ということは、まずはこの辺りではない。これは朝に見ていた、TVだと、諏訪湖の辺り、また山中湖、それに加えるとすると、軽井沢辺りの温度ではないか。こんな温度というのを経験することはまずはなく、でも太平洋の荒波に面する地域でも黒潮の恩恵にあずからないところは、ぐっと冷えるし、また簡単に水道管なども凍結してしまう。この辺りの積雪の多さは、一つは暖流である対馬海流の存在が大であって、ここから水蒸気が大量に発生する。これに大陸からの寒気が当たれば、気体は液体を乗り越えて、固体にまでなってしまう。
水蒸気が雪になるにはそれだけ負のエネルギが必要で、言い換えると冷たい空気、気体が固体なると同時に、その寒気の持っている負のエネルギ、冷たい気温が、こんどは上昇する。少しは暖かくなる。それだから、もう雪がちらつくころには、この空の空気の温度は、さほどに下がらない。ほどほどのものとして、氷点の前後というものがある。緩衝材?。何だかうまく出来すぎているが、この氷点という温度をどう感じるかによって、冬の過ごし方も違う。0℃でも大丈夫という方は、快適に過ごせる。これは寒いと思うと、暖房を使う。まったくどうしたものやら。
しかしなぜに、太平洋側で、マイナスの5℃とか、それよりも低い温度になるのかというと、これも単純に放射冷却としか言いようがなく、北の海の水蒸気と、大陸の寒気というものは今はどこかにいってしまう。この連続性がなくなるのが、なくなる感じが解せないものの一つである。
雪かきはあるときは楽しい。そうゆうことをラジオでも聞く。私も、そう思うことがあった。今はない。かなり際どい感じだが、これ以上の雪が降ると、本当に困ってしまう。一つはいえの構造というか、配置というか、まー要するに雪に弱いところがある。どこのうちもそうかというと、これは違う。多少の雪はうちの屋根の上に乗せて大丈夫といういうものは多い。こうゆうものは結果として後からわかるもので、今さらどうの言ったってどうにもならない。これに加えて、日頃の怠惰な生活のしっぺ返しでもあるのも、また間違いない。
あーそれでも、昔はもう少し何とかなったものだが、この程度の雪で、ってなかなか記せないが、疲れた、くたびれた、からだがゆうことをきかないなんて、やっぱり変だなー。
それで楽しい話題というと、これは私もそのとおりと言いたいものだが、雪かきはいい運動になる。これは間違いない。30分すれば、まーどれだけ汗をかくか、で、それを半日とかやるとどうなるか、そうゆう経験はないが、ある程度やると調子が出て来る。山歩きの最初の段階に似ている。ある程度歩くと慣れて来てリズムが出る。こうなると、雪かきは進む。疲れをわすれたごとく、体は動く。でも、この後が問題であって、そのままの人と、その後にどっと疲れがという人は、いる。頭で考えると、後者のほうが妥当と思うが、そうでもないらしく一晩寝ればすっきりして、そん結果減量に成功する。まるで、夢のような話しだが、これがラジオで流れた。雪かきの功のほうで、何キログラムやせましたというレポートが入る。
ただし、その後もその体重を維持しているかどうかは、そこまでの事後報告はないのではないか。
雪かきで汗を流してというときもあった、そうゆうことを思い出しながら、鉛筆一本右から左へ動かすのも面倒という気持ちでいる私は、たぶん元気な人もいつの日か、結構な疲れを感じるのではないか、と思わざるを得ないのである。
雪の降っているときは滅多にカメさんを持ち出さない。それでも行くとすると、ミニのほうが楽だが、でかいのも持つ。左手で傘。右手でカメという感じで、これでなんとか、その雪の様子をと思う。
雪が白く写る時間、ほとんどのものが白い雪に合うようである。ツツジの様子。粉雪のような雪。
石に雪に、緑の植物。
だんだんと植物は雪に埋もれてゆく。雪のマフラをした感じというのは、どんなものだろうか。さぞかし、冷たい。
枯れアジサイに、雪というのもいいもので、すでに何度か出ているかも知れない。
雪がないというものもある。これは、数少ない知っているツバキで、蕾だけだが、見ていると緑の葉のつやがあって好ましい。
寒気の程度にもよると思うが、たとえば氷点下の10℃ということは、まずはこの辺りではない。これは朝に見ていた、TVだと、諏訪湖の辺り、また山中湖、それに加えるとすると、軽井沢辺りの温度ではないか。こんな温度というのを経験することはまずはなく、でも太平洋の荒波に面する地域でも黒潮の恩恵にあずからないところは、ぐっと冷えるし、また簡単に水道管なども凍結してしまう。この辺りの積雪の多さは、一つは暖流である対馬海流の存在が大であって、ここから水蒸気が大量に発生する。これに大陸からの寒気が当たれば、気体は液体を乗り越えて、固体にまでなってしまう。
水蒸気が雪になるにはそれだけ負のエネルギが必要で、言い換えると冷たい空気、気体が固体なると同時に、その寒気の持っている負のエネルギ、冷たい気温が、こんどは上昇する。少しは暖かくなる。それだから、もう雪がちらつくころには、この空の空気の温度は、さほどに下がらない。ほどほどのものとして、氷点の前後というものがある。緩衝材?。何だかうまく出来すぎているが、この氷点という温度をどう感じるかによって、冬の過ごし方も違う。0℃でも大丈夫という方は、快適に過ごせる。これは寒いと思うと、暖房を使う。まったくどうしたものやら。
しかしなぜに、太平洋側で、マイナスの5℃とか、それよりも低い温度になるのかというと、これも単純に放射冷却としか言いようがなく、北の海の水蒸気と、大陸の寒気というものは今はどこかにいってしまう。この連続性がなくなるのが、なくなる感じが解せないものの一つである。
雪かきはあるときは楽しい。そうゆうことをラジオでも聞く。私も、そう思うことがあった。今はない。かなり際どい感じだが、これ以上の雪が降ると、本当に困ってしまう。一つはいえの構造というか、配置というか、まー要するに雪に弱いところがある。どこのうちもそうかというと、これは違う。多少の雪はうちの屋根の上に乗せて大丈夫といういうものは多い。こうゆうものは結果として後からわかるもので、今さらどうの言ったってどうにもならない。これに加えて、日頃の怠惰な生活のしっぺ返しでもあるのも、また間違いない。
あーそれでも、昔はもう少し何とかなったものだが、この程度の雪で、ってなかなか記せないが、疲れた、くたびれた、からだがゆうことをきかないなんて、やっぱり変だなー。
それで楽しい話題というと、これは私もそのとおりと言いたいものだが、雪かきはいい運動になる。これは間違いない。30分すれば、まーどれだけ汗をかくか、で、それを半日とかやるとどうなるか、そうゆう経験はないが、ある程度やると調子が出て来る。山歩きの最初の段階に似ている。ある程度歩くと慣れて来てリズムが出る。こうなると、雪かきは進む。疲れをわすれたごとく、体は動く。でも、この後が問題であって、そのままの人と、その後にどっと疲れがという人は、いる。頭で考えると、後者のほうが妥当と思うが、そうでもないらしく一晩寝ればすっきりして、そん結果減量に成功する。まるで、夢のような話しだが、これがラジオで流れた。雪かきの功のほうで、何キログラムやせましたというレポートが入る。
ただし、その後もその体重を維持しているかどうかは、そこまでの事後報告はないのではないか。
雪かきで汗を流してというときもあった、そうゆうことを思い出しながら、鉛筆一本右から左へ動かすのも面倒という気持ちでいる私は、たぶん元気な人もいつの日か、結構な疲れを感じるのではないか、と思わざるを得ないのである。
雪の降っているときは滅多にカメさんを持ち出さない。それでも行くとすると、ミニのほうが楽だが、でかいのも持つ。左手で傘。右手でカメという感じで、これでなんとか、その雪の様子をと思う。
雪が白く写る時間、ほとんどのものが白い雪に合うようである。ツツジの様子。粉雪のような雪。
石に雪に、緑の植物。
だんだんと植物は雪に埋もれてゆく。雪のマフラをした感じというのは、どんなものだろうか。さぞかし、冷たい。
枯れアジサイに、雪というのもいいもので、すでに何度か出ているかも知れない。
雪がないというものもある。これは、数少ない知っているツバキで、蕾だけだが、見ていると緑の葉のつやがあって好ましい。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます