光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

ちょっと遅かったもの

2008-04-25 19:05:27 | 植物・花(春)
  そのときに輝いていて、なかなか美しい。それからしばらくして、また変化があって、これもなかなかいいものである。それから、散り際の美しさというものもあって、それから本物の美しさになる。何だか、何のことをいっているのか、わからないことを書いている。桜の木がそうかな。

  TVを見ていて、女優さんの姿が写る。昔はアイドルだった、今も、昔に戻れば、アイドルであって、その当時の記憶をよみがえさせることが出来る。そうゆう、アイドルの方がいる。それから、解散した、という話しが出て、それがその通りで、その後芸能の世界からあっさりと去る方もいる。なかなかできるようで出来ないことらしい。解散したんだから、もうそのグループは終わったということになるのだろうけれど、また再結成した、というものもある。それが、段々増えてきて、この流れも支流ではなく本流になりつつあるようだ。

  何かを止めたということは多いし、また始めたというのは、これは普通のことで、禁酒したが、また飲みだしてなど自分のことのようで、何だか恥ずかしい。何を止めて、何を始めるというその何が問題で、早起きは止めたとか、早寝は止めたとか、まーどうでもいいような気もするが、もう一度大学に行くとか、国家試験のあるものに挑戦するとなると、これはちょっと大事である。
  これに少し足りないのに、もう一度学校で習ったはずの勉強、あるいは、習い事、学問に研究にと、それにもう一度挑戦してみるというのも、これはありそうだが、それを遂行するのはむつかしい。本は購入した。何々の理論物理学教程、高等数学教程を購入した、これをこれから毎日読むことにする。そう決めた。これなど、も思うのは簡単であるが、やはり三日で終わってしまう。

  何事にも、その時期というのもの、契機、機会というものがあってそれを逸すると、その後新しく、あるいはもう一度やるというのは、むつかしいようで、例えば、まーその話しといい、スケールもぐっと小さくなるが、今日こそは、少し濃くなったレンゲの群生を、それから、珍しくあちこちでニョキニョキ出てきた、あるところのタケノコを、撮ってみようと、ようやく重い腰をあげてその場に行くわけだけど、何ということか、そのレンゲの濃くなった田んぼは、そのレンゲの咲いていた、端っこの一条か二条の畝まで完璧に耕されていて、その後に、かすかに紫の花が見えていたるする。これもしょうないこと。きのうがよかった、あるいは一昨日か。それから、タケノコの方だと、これもやはりおいしそうな、実際のところその味は、見ていた限りではちょっと固いのではと思った、そのものは見事に掘り出されていて、やっぱり遅かったか、と残念に思う。
  ちょっと遅すぎたか。この次は、来年か、と言うことになるわけだけど、果たして、来年にレンゲの花は咲き誇るか、タケノコは出てくるか、それもまったくわからないことであろう。

  それほど、大仰でもないことを、どうもそのように書いてしまう。これも、どう何を書いていいか、わからないときにやることの一つのようで、結局のところ、落ち着くのは、いつもと変わらないことである。今日も歩いて来て、それで少しその辺りの光景をミニカメラにおさめてきた。それだけのことであるが、その間に少し思うことを書いてみた。
  風がある。ちょっと前に書いた。テントウムシに会った。気温は上がらず、春の格好に戻った。ちょうどそれでよかった。いつもの地点に着く。




  キカラスウリは、まだ梅の木にぶら下がっている。その下に、この何だかわからないものは出てきたが、葉っぱがかなり緑になって、それから回りの緑に覆われそうになっている。その内、草の中に隠れるかな。




  チューリップも、この気温の変化に戸惑っている。中央上の少し右に、新しく出てきた、赤紫の花がある。チューリップは花の中から撮るのがよく思えて、こんな窮屈な感じになってしまった。




  ここでも、中央少し上の奥まったところに、小さく、赤紫の、咲き出したばかりのチューリップはあって、見づらいかも知れない。花の色が、他のものに比べて、なぜか少し変色している。これも、残念である。

  最後にタケノコ。




  写真上の奥まったところに、竹の本体がある。かなり太い、高い竹である。
  きのうは、この回りに、ざらざらタケノコはあった。今日は、よさそうなのはなく、竹に近いものと、こうゆう小さいものだけが残っている。

  何だか妙な感じだが、いつもと変わらないものです。

眠るテントウムシ、起きる

2008-04-25 16:44:13 | 虫、その他
  気温はそれほど上がってませんが、晴れで
  風弱いところは暖かです。

  その日向の草むらに、赤い点が見えました。
  今年2回目かな、テントウムシ。
  昼寝の最中か、ちょこちょこ動いている気配はありません。

  そこでそっと近付いて、




  これを後から見て、どうも居眠りしていたのか、と思った次第。
  合焦は、見た感じ大丈夫のようだった。

  すぐ、なぜか動き出した気がしたが、また止まった。よかった。



  これも、後でファイルを見てわかったのですが、こっちを向いて
  くれている。よかった。




  もう一つの、状態。
  いつ見ても、なかなかテントウムシの目というのが、どうゆうものか
  わからない。わかりにくい。
  これを見ていても、目だけは、やっぱりわかりにくい。

雨心と、シャクナゲと

2008-04-25 07:11:14 | 散策
  朝のお天気、曇り。路面はまだ濡れているから、少し前に止んだようだ。風が、北風で、冷たい。ちょっと元気にいうと、この冷気が心地いい、2、3秒だが。アメダスを見ると、6時で、9.8℃。きのうより8℃も下がっている。

  朝は思いの外、暗いようである。この時期だと、晴れでも、曇りでも、もう5時ころから明るい気もするが、きのうからの雨のお天気で、この光の感じがよくわからない。朝に、散歩をすると、少し寒いくらい。それで、薄暗い感じもして、しかし、新緑で、木々はあちこち横に出ている。これまで、向こうがすき通って見えたところも、見えなくなる。これが危ない。余りに、垣の、まだまだ咲いているレンギョウの美しさに見とれていると、すぐ隣を車が走っていった。細い道は、これからは気を付けないといけない。

  雨で、普段は歩かない道を行く。道の両隣は住宅である。立て混んでいる。でも、その向こうに、やけに派手でもないが、目立つ木というか、その木に花が咲いていて、多分シャクナゲの花。白あり、それから桃色ありで、これまた、ボタン同様大き目の花が咲くから、見栄えもするし、堂々としてこっちが少し身を引く感じにもなる。
  シャクナゲというと、歌にも出てくる。その花のことはしかし知らない。咲いていなしねー。それで、尾瀬には一回だけ行った。いいところだと思うが、奥が深いから、そう簡単には行けないところ。そこで、シャクナゲは咲いていなかった。水芭蕉は咲いていたようだが、これまた昔の話しになる。

  ここの近くに、城端という街があり、またその名の付いた、鉄道路線もあって、なかなかいい鉄道である。もっと近ければ、とも思うが、これがほどほどに遠くそれゆえ、その憧れ、思いは強い。乗ったのは確か、一回のみ。これは、しかし往復した。この線路の行き先もどうかなー。城端の街もいってみたいところ。
  水芭蕉の話しだった。この城端という街の少し山沿いに、この水芭蕉の自生地がある。こんなことは、地元の方は誰でも知っているが、余りにたくさんの見物客が来ても、この花もテレやさんだからか、閉じてしまいそうだ。なかなか行儀のいい花である。あまりたくさんの人に眺められると、この花も来年は咲かなくなりそうな気がして、こうゆうものは、ひっそりと人知れず咲くところに、面白みもあって、いつも写真で見ている。

  砺波の街の、チューリップは有名で、もうお祭りは始まっている。かなり見ごろである。ここから少し先に、もう少し奥まったところに、城端の街はある。ここは、しかし車などではなく、鉄道で行きたいところ。
  今日はお天気は回復するようだ。ちょっと冷たい春に逆戻りした。これもよくあること。それで、シャクナゲだけど、他のところでも見ることが多分あるだろう。ちょっとだけ名前が違うが、なかなか華麗な、シャクヤクの花も大きくなって来ている。が、慌ててはいけない。この植物の花もなかなか美しいが、もうしばらくしないと咲かない。まだまだ、まーるい花芽も出来ていない。そこにゆくまでに、まだ他の花もある。そういえば、梅の木に実が小さいが出来ている。これ、花のゴールデン・ウイークということになりそう。