冷たいような風の吹く、お天気。お日様は見えないかと思ったが、本の少し前に、西の空に見えている。まだ、沈むまで時間がある。
朝方である。まだ半分眠っているような感じであるが、久しぶりにクシャミが出る。少し、まいっている感もあって、風邪かななど思ったりもした。やけに暖かい感じの天気が続いてのこの低温だから、そういえば汗ばんだりもした。のどの痛みもあった。お店の人も、ちょっと鼻声。もう少し遡ると、病院ではクシャミが連発して止まらない方がいた。それが、風邪のクシャミではない、咳ではないことは、自分が花粉症だからわかる。クシャミと、風邪症状による、咳とはかなり違うはずだ。それでも、なんだか、怪しい季節であることに間違いはなく、この感触は、社会科の問題にも出てきている。
花粉に話しを戻すと、もう杉は終わった。そうゆうことになっているし、異論もない。これ以外に何があるか、そこまで考えることはあったが、気持ちの問題もある、などとも思うので、なかなか、杉以外のそれは出て来ないが、今は、ヒノキ(檜)の花粉が飛んでいるということになるらしい。そうか、ヒノキか。
ヒノキというと、高級というか、少しだけ家屋の建築に使われるようで、実際のところは、なにも知らない。ヒノキの匂いがすると言われた方がいるが、そうゆうものかなど思っただけだ。、杉とヒノキは、しかし昔から建物には使われている。それで、ヒノキは高級であって、滅多にお目にかかれないもの、見たことのないものと決まっていたが、ヒノキの花粉云々という話しになると、ちょっと状況は異なってくる。建材のヒノキは、その匂いはいいし、その芳香は体にいいといわれたはずで、森林浴なども、そうゆうことが関係している。その森林浴なども聞かなくなった。これって、ヒノキの花粉の問題もあるのだろうか。
なんだか、右にいったり、左に揺れも戻したり、植物も大変である。ヒノキというと、実物は見たことがなく、いい匂いのする高級建材だ、という認識しかなかった。今朝の、クシャミは、まさかヒノキの花粉のせいではないだろう。一体に、何でクシャミが連発したか、わからないが、ヒノキは苦笑しているかも知れない。
新緑の季節、その新緑に道を歩くのは、また格別である。なかなか近場にそうゆうところがなく、それゆえそうゆうものに対する憧れは、強い。実際に歩けるのか、この先に絶景があるが、あと500mは登らないといけない。そうゆうところがあったとして、果たして実際に歩けるか、こうなるとかなり疑問で、その前に十分トレーニングしないといけない。
話しが、うじゃうじゃするが、いつのことだったかその新緑の季節に、新緑の山道を歩いたことが鮮明に思い出される。ここの書き込みにも、多々、その未知の山道なり、昔に歩いたことがある道が紹介されることがあるが、時間はたってしまったが、また感じも少し違うけれでも、そうゆう山道にいってみたいという気になる。そうゆう気になるということは、悪くはない、そう思う。
新緑は、平地にもある。それより、「化石」かという感じの、ものに出会う。
この植物で、冬の間は、誰かが枯れ枝を突き刺して、そのまま残っているものと思っていたが、それが嘘のようで、葉っぱが出てくる。
雨のときの、緑。この木にもようやく緑の葉っぱが出てきた。
柿の木の、新芽。これは、おいしそうで、また栄養もありそう。もうじき、さらにたくさん虫も出てくるだろうが、この葉っぱはご馳走。
2枚目の木の、その後。葉っぱが大きくなっているのがわかる。慈雨が降り、木々の恵みにありがたく思うときである。
朝方である。まだ半分眠っているような感じであるが、久しぶりにクシャミが出る。少し、まいっている感もあって、風邪かななど思ったりもした。やけに暖かい感じの天気が続いてのこの低温だから、そういえば汗ばんだりもした。のどの痛みもあった。お店の人も、ちょっと鼻声。もう少し遡ると、病院ではクシャミが連発して止まらない方がいた。それが、風邪のクシャミではない、咳ではないことは、自分が花粉症だからわかる。クシャミと、風邪症状による、咳とはかなり違うはずだ。それでも、なんだか、怪しい季節であることに間違いはなく、この感触は、社会科の問題にも出てきている。
花粉に話しを戻すと、もう杉は終わった。そうゆうことになっているし、異論もない。これ以外に何があるか、そこまで考えることはあったが、気持ちの問題もある、などとも思うので、なかなか、杉以外のそれは出て来ないが、今は、ヒノキ(檜)の花粉が飛んでいるということになるらしい。そうか、ヒノキか。
ヒノキというと、高級というか、少しだけ家屋の建築に使われるようで、実際のところは、なにも知らない。ヒノキの匂いがすると言われた方がいるが、そうゆうものかなど思っただけだ。、杉とヒノキは、しかし昔から建物には使われている。それで、ヒノキは高級であって、滅多にお目にかかれないもの、見たことのないものと決まっていたが、ヒノキの花粉云々という話しになると、ちょっと状況は異なってくる。建材のヒノキは、その匂いはいいし、その芳香は体にいいといわれたはずで、森林浴なども、そうゆうことが関係している。その森林浴なども聞かなくなった。これって、ヒノキの花粉の問題もあるのだろうか。
なんだか、右にいったり、左に揺れも戻したり、植物も大変である。ヒノキというと、実物は見たことがなく、いい匂いのする高級建材だ、という認識しかなかった。今朝の、クシャミは、まさかヒノキの花粉のせいではないだろう。一体に、何でクシャミが連発したか、わからないが、ヒノキは苦笑しているかも知れない。
新緑の季節、その新緑に道を歩くのは、また格別である。なかなか近場にそうゆうところがなく、それゆえそうゆうものに対する憧れは、強い。実際に歩けるのか、この先に絶景があるが、あと500mは登らないといけない。そうゆうところがあったとして、果たして実際に歩けるか、こうなるとかなり疑問で、その前に十分トレーニングしないといけない。
話しが、うじゃうじゃするが、いつのことだったかその新緑の季節に、新緑の山道を歩いたことが鮮明に思い出される。ここの書き込みにも、多々、その未知の山道なり、昔に歩いたことがある道が紹介されることがあるが、時間はたってしまったが、また感じも少し違うけれでも、そうゆう山道にいってみたいという気になる。そうゆう気になるということは、悪くはない、そう思う。
新緑は、平地にもある。それより、「化石」かという感じの、ものに出会う。
この植物で、冬の間は、誰かが枯れ枝を突き刺して、そのまま残っているものと思っていたが、それが嘘のようで、葉っぱが出てくる。
雨のときの、緑。この木にもようやく緑の葉っぱが出てきた。
柿の木の、新芽。これは、おいしそうで、また栄養もありそう。もうじき、さらにたくさん虫も出てくるだろうが、この葉っぱはご馳走。
2枚目の木の、その後。葉っぱが大きくなっているのがわかる。慈雨が降り、木々の恵みにありがたく思うときである。