いつもと同じような建物があって、道も同じである。大きな建物を出る。このときは少し、安心し、すっきりとし、がまだまだ安心出来ないという思いがある。なかなか思い通りにはいかない。そうゆう風に世の中は出来ている。
でも、そんなことが杞憂であったと思うときがある。自動ドアを出たときに、明るい空と、それから、今からという方々が、そのドアから入って来られるし、それから、これまでは、冬だったからか重たい感じの衣服が地味に目立った。それが、はっきりと、春のそれに変わっている。杞憂だった、そうゆう瞬間。人の顔もちょうど逆光であるが、なんとなく微笑んでいるような気配が漂う。ただ、こちらの体の調子はというと、やっぱり体は重く、足取りに元気はない。シャキッとしないのである。まーいいか、あとは、薬局だけだし。
春の4月は、なにかと変化がある。もうわかっているものはいいが、それでもやはり初めて、その変わりように気付くと、ときにドキッとする。値段が上がった、そうゆうことが多い。少し暑い気がする。水は普段から大目に取っているような気もするが、少し歩くと、また緊張もすると、水も飲みたくなる。薬局に入って、ここは迷うことなく、水の入ったマイボトルを開けた。もう2年間使っている。何かあると、このマイボトルを使う。中身は水道水。
それを飲むと、先に来ておられた方が暖かくなりましたねといわれた。そのとおりであって、私もそうですねという。水はこまめに補給しないといけないと思う。理屈はわからないが、やはりこれから気温が上がるときが多く、適度に水が補充できる環境にあれば、それをやったほうがいい。どこにトイレがあるか、わからないところだと、なかなか安心も出来ない。病院などではあまり水を飲むこともないが、しかし室温が高めに設定されいるし、また緊張も付きまとうが、一口くらいの感じで、水を飲むようにしている。変に我慢するのは止めた。
そこを出てからも、まだ冬だった3月とは違って、明るい感じがする。歩く人もその数が増えて、これはメタボリック・シンドロームを気にしているからか、というとそうでもなさそうで、颯爽と歩いてゆかれる。そんなものは眼中にない。この一ヶ月の変化は、まずは人の数に表われ、それから人の服装の軽さに表われた。
そちらに気を取られるわけにはゆかない。歩く目的の一つは、まずは、この北回り街道、この言葉が似合いそうなので、そう呼ぶことにした、を飾る植物のありようを見ることである。何だか、嘘みたいであるが、この道が歩くのに、またぼちぼち世間話をしながらの散歩に適しているように思えた。
大きなシモクレン、がすぐ目の前にあって、まずはびっくり。これはなかなか迫力があった。一つだけというのが惜しい。3本立って欲しい。まずはこれで、気分は回復。
新緑といっていいものがあった。ケヤキの大きなものにも、少し緑が見える。この木は、なんだかちょっとケヤキとは違うようである。でも、もうこれだけ緑がびっしりと見えている。
「シデコブシ」やがなー、溜息とそれと安堵と、それとここにもあったのかという喜びが、ごっちゃになった。
都会のシデコブシ。ちょっと高目の木であってこの角度がちょうどいいように思える。
今朝か、きのうか、まだ開いたばかりのシデコブシ。
ちょっと暗くて冷たい感じのする道であったが、だいぶ印象が変わった。あとは、街路樹が増えることを願うのみ。
でも、そんなことが杞憂であったと思うときがある。自動ドアを出たときに、明るい空と、それから、今からという方々が、そのドアから入って来られるし、それから、これまでは、冬だったからか重たい感じの衣服が地味に目立った。それが、はっきりと、春のそれに変わっている。杞憂だった、そうゆう瞬間。人の顔もちょうど逆光であるが、なんとなく微笑んでいるような気配が漂う。ただ、こちらの体の調子はというと、やっぱり体は重く、足取りに元気はない。シャキッとしないのである。まーいいか、あとは、薬局だけだし。
春の4月は、なにかと変化がある。もうわかっているものはいいが、それでもやはり初めて、その変わりように気付くと、ときにドキッとする。値段が上がった、そうゆうことが多い。少し暑い気がする。水は普段から大目に取っているような気もするが、少し歩くと、また緊張もすると、水も飲みたくなる。薬局に入って、ここは迷うことなく、水の入ったマイボトルを開けた。もう2年間使っている。何かあると、このマイボトルを使う。中身は水道水。
それを飲むと、先に来ておられた方が暖かくなりましたねといわれた。そのとおりであって、私もそうですねという。水はこまめに補給しないといけないと思う。理屈はわからないが、やはりこれから気温が上がるときが多く、適度に水が補充できる環境にあれば、それをやったほうがいい。どこにトイレがあるか、わからないところだと、なかなか安心も出来ない。病院などではあまり水を飲むこともないが、しかし室温が高めに設定されいるし、また緊張も付きまとうが、一口くらいの感じで、水を飲むようにしている。変に我慢するのは止めた。
そこを出てからも、まだ冬だった3月とは違って、明るい感じがする。歩く人もその数が増えて、これはメタボリック・シンドロームを気にしているからか、というとそうでもなさそうで、颯爽と歩いてゆかれる。そんなものは眼中にない。この一ヶ月の変化は、まずは人の数に表われ、それから人の服装の軽さに表われた。
そちらに気を取られるわけにはゆかない。歩く目的の一つは、まずは、この北回り街道、この言葉が似合いそうなので、そう呼ぶことにした、を飾る植物のありようを見ることである。何だか、嘘みたいであるが、この道が歩くのに、またぼちぼち世間話をしながらの散歩に適しているように思えた。
大きなシモクレン、がすぐ目の前にあって、まずはびっくり。これはなかなか迫力があった。一つだけというのが惜しい。3本立って欲しい。まずはこれで、気分は回復。
新緑といっていいものがあった。ケヤキの大きなものにも、少し緑が見える。この木は、なんだかちょっとケヤキとは違うようである。でも、もうこれだけ緑がびっしりと見えている。
「シデコブシ」やがなー、溜息とそれと安堵と、それとここにもあったのかという喜びが、ごっちゃになった。
都会のシデコブシ。ちょっと高目の木であってこの角度がちょうどいいように思える。
今朝か、きのうか、まだ開いたばかりのシデコブシ。
ちょっと暗くて冷たい感じのする道であったが、だいぶ印象が変わった。あとは、街路樹が増えることを願うのみ。