春の嵐と書くと、ちょっといい感じもするし、それにまつわる話しも、小説も多いだろうけれど、どうもそうゆう、余裕のある、あるいは薫り高いものではなく、至極簡単にいうと、まー、どうしようもないな、という諦観の域、息に決まってしまう。
まったくのところ、最近はお天気を気にしていない。もう、建物が壊れるような大雪の心配はないし、ときに尋ねてくれる介護福祉士のかた、それから、宅配のかた、郵便局のかた、が、雪でつるっと滑ってということもない。上から、木の上からである、雪が落ちる心配もないので、それも当然である。さらに、なかに少し空間があったほうが、駐車にはいい。このときも雪をかなりどけないといけないが、この心配もない。大船に乗った気になったのも、ある程度許されるのではないか。ところがである、そうはうまくゆかないのが、何事も世の中の真理で、
色々ごたごたはある。これも、自分で何とか出来るものなら、まーこれも仕方ないと思うが、それ以外に、春には春の落とし穴、陥穽がある。
信じられないような強風が吹いて、これで洗濯物が飛ぶ。これはまだいいか。いや、やっぱりよくない。それから、もういいだろう、外は暖かいし、それに青空も出て来た、朝方のたたきつけるような雨風は去った。これで、もう大丈夫と胸をなぜ下ろすと、またまた、ゴロゴロいう。それも、雷だけならまーいい。雨が降ってくる。これも適度ならまーいい。それにしても、これに強風が加わると、どうしても、大概のことに驚かなくなったなど書いているが、大いに仰天する。まったく持って、今外に出ていなくてよかったと思う、そうゆうときが来る。外で仕事をされているかたは、慌てて車に駆け込み、そこに入って一安心だ。が、こんな雨風、加えて雷が鳴れば、しかも田んぼの真ん中で、それに似たよう道で、誰もが奈落の底に落ちた気になる。しかもこれは夢ではなく、また空想でもなく、現実なのである。
まったく、このお天気の荒れ方、空の神々も心底、激怒しているかのようで、それでいて、突然晴れ上がる。これが、嘘ではなくホントであって、実際に何事もなかったように青空が広がり、少し暖かな空気がやって来て、人を翻弄する。まったく持って、手の込んだお天気である。
それで、私はその雨に打たれてずぶ濡れになったか、と言うとそうではない。もしそうなっていたら、今頃震えて放心状態にあるかも知れない。また、その可能性も、今日のお天気だと、あったのであって、なぜそのときに雨は降らなかったか、風は吹かなかったか、それは不思議だが、ちゃんとおまけがあって、やけに大きな音がして、何かがガタガタしていることに気が付いた。これに気を付かせるお天気が憎い。強風の中、そのガタガタいうものを、何とか静かにしないといけないという、義務感に駆られて、しょうがなしにゴミにまみれた中から適当なものを探して、そのガタガタいうものを固定しないといけなかった。こんなことは簡単であるはずだが、ずいぶんと寒い、それから情けない思いもして、その後また頭痛が復活した。
もはや、安穏とした生活はない、そうこの春の珍事から断定した。
気分を入れ替えて、ここは少しホンワカしたものを出さないといけない。地面すれすれに生えている植物で、それほど珍しいとも思わないが、花を見るのは、こうして、地面すれすれの角度から撮らないといけないようだ。
朝に少しチューリップのことも書いたので、もうどこでもチューリップという感じもするが、
チューリップの、好ましい育て方のお手本。プランタに、ゆったりと、上品に。借景。
もう一つ、今咲いているチューリップ。これも、上品に、プランタで。借景。
この辺りで見ることの出来るチューリップは、この二つで、他は、まだまだのようである。
それにしても先が思い遣られるなー。溜息しか出ない。
まったくのところ、最近はお天気を気にしていない。もう、建物が壊れるような大雪の心配はないし、ときに尋ねてくれる介護福祉士のかた、それから、宅配のかた、郵便局のかた、が、雪でつるっと滑ってということもない。上から、木の上からである、雪が落ちる心配もないので、それも当然である。さらに、なかに少し空間があったほうが、駐車にはいい。このときも雪をかなりどけないといけないが、この心配もない。大船に乗った気になったのも、ある程度許されるのではないか。ところがである、そうはうまくゆかないのが、何事も世の中の真理で、
色々ごたごたはある。これも、自分で何とか出来るものなら、まーこれも仕方ないと思うが、それ以外に、春には春の落とし穴、陥穽がある。
信じられないような強風が吹いて、これで洗濯物が飛ぶ。これはまだいいか。いや、やっぱりよくない。それから、もういいだろう、外は暖かいし、それに青空も出て来た、朝方のたたきつけるような雨風は去った。これで、もう大丈夫と胸をなぜ下ろすと、またまた、ゴロゴロいう。それも、雷だけならまーいい。雨が降ってくる。これも適度ならまーいい。それにしても、これに強風が加わると、どうしても、大概のことに驚かなくなったなど書いているが、大いに仰天する。まったく持って、今外に出ていなくてよかったと思う、そうゆうときが来る。外で仕事をされているかたは、慌てて車に駆け込み、そこに入って一安心だ。が、こんな雨風、加えて雷が鳴れば、しかも田んぼの真ん中で、それに似たよう道で、誰もが奈落の底に落ちた気になる。しかもこれは夢ではなく、また空想でもなく、現実なのである。
まったく、このお天気の荒れ方、空の神々も心底、激怒しているかのようで、それでいて、突然晴れ上がる。これが、嘘ではなくホントであって、実際に何事もなかったように青空が広がり、少し暖かな空気がやって来て、人を翻弄する。まったく持って、手の込んだお天気である。
それで、私はその雨に打たれてずぶ濡れになったか、と言うとそうではない。もしそうなっていたら、今頃震えて放心状態にあるかも知れない。また、その可能性も、今日のお天気だと、あったのであって、なぜそのときに雨は降らなかったか、風は吹かなかったか、それは不思議だが、ちゃんとおまけがあって、やけに大きな音がして、何かがガタガタしていることに気が付いた。これに気を付かせるお天気が憎い。強風の中、そのガタガタいうものを、何とか静かにしないといけないという、義務感に駆られて、しょうがなしにゴミにまみれた中から適当なものを探して、そのガタガタいうものを固定しないといけなかった。こんなことは簡単であるはずだが、ずいぶんと寒い、それから情けない思いもして、その後また頭痛が復活した。
もはや、安穏とした生活はない、そうこの春の珍事から断定した。
気分を入れ替えて、ここは少しホンワカしたものを出さないといけない。地面すれすれに生えている植物で、それほど珍しいとも思わないが、花を見るのは、こうして、地面すれすれの角度から撮らないといけないようだ。
朝に少しチューリップのことも書いたので、もうどこでもチューリップという感じもするが、
チューリップの、好ましい育て方のお手本。プランタに、ゆったりと、上品に。借景。
もう一つ、今咲いているチューリップ。これも、上品に、プランタで。借景。
この辺りで見ることの出来るチューリップは、この二つで、他は、まだまだのようである。
それにしても先が思い遣られるなー。溜息しか出ない。