光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

迷子になりそうな駅、ならない駅

2008-04-13 18:49:39 | 鉄道
  迷子の散歩。
  迷子にならない駅というのが昔あった。どうも古い話しになってしまうが、近くを走っていた単線の線路で、迷子になりようがなかった。駅舎も一つ、ホームも一つで、それもなくなって久しい。射水線といったはずだが、これを知らない人がいる。

  それから、迷子になりそうな駅はたくさんあって、でもどうゆうわけか、誰かに助けを求めたと言う記憶は消え去っている、たぶんあったはずで、忘れているだけの話し。今でも覚えているのは、地下鉄の丸の内線、新宿駅から、京王線、あるいは小田急線に向かうときで、何度もその辺りを、しかも日中である、歩いていて、この方角であると確信したことは、なかった。大体この方向だろう、それでも、無事に、目的の電車に乗れたのが不思議である。それから、たぶん通勤時間帯でもなかったし、また帰宅時の混雑のときでもなかった。そのはず。一度、山手線の通勤時間帯に、朝の7時前後に乗ったことがあって、確かあるところで降りたが、よく無事降りられたものだと感心する。それに比べると、千代田線はまだまし。しかし時間はもっと遅かった。

  東京駅というのも、何度か行っているはずだが、ここから新幹線に乗った。それ以外に乗る電車もなかった。それから、確か、待ち合わせというのもやった。それから、東西を横断する、地下道も何度か歩いた。中央のもの、それから北側の細目の通路。この駅の構内の話しだけで、ミステリが出来そうな気がするが、それは気がするだけで、しかしよく間違えずに、迷わずに目的のところに行けたものだと、感心する。上野駅は、これは、中に入ってから、それからあちこちたくさんある、プラットホームを端から端まで歩くという、そうゆうことを何度もやった。なぜそうなるかというと、ただ、端っこに、目的の方向に向かう線路、プラットホームがあったからで、その番号はいまでも懐かしい。これなども、鉄ちゃんの問題集に出そうである。今と昔は、違うはずだ。

  ここの近くの駅は、というと色々ありそうだが、大きいというと、一つしかない。特急が止まる駅は、近いのは一つ。
  この駅、ちょいと奇妙な感じがする。1番線から、6番線までプラットホームは在って、パッと見、線路の数は、5本しかないのである。それから、入り口から見ても、一番線があって、2番線があって、それから、4、5、6番線のプラットホームの番号札、看板は見えるが、3番線は、これがわからないのである。
  これは、特に推理小説のネタには使えない。何故かというと、意外と簡単で、一つのホームで3本の線路が使えるように出来ている。西側にゆくと、ホームが少し小さくなって、その空きのスペースに、たぶん間違いないと思うが、高山本線専用のその、3番ホームがある。


  見てもらったほうがわかりやすい。迷子にはならないが、少し歩く。




  手前側に、方向でいうと東に大きなプラットホームは続いている。写真の車止めのあるところから、少し小さくなって、その先に、もう一つのホーム、3番線がある。
  ここまで来たのは、初めてのようだ。ここにしばらくいると、なにやら、アナウンスがあって、特急が近付いているという。『はくたか』であった。




  前方に、鉄橋がある。この鉄橋を渡ってくる車両の先頭が見える。




  ここまで来ると、『はくたか』のうちの、北越急行の車両、スノーラビット・エクスプレスであることがわかる。これにめぐり合うことはなかなかない。




  鉄橋の上にいる時間はかなり長く感じられた。工事の人が立っているようにも思える。ところが、鉄橋を渡り過ぎると、なんだか加速するようであって、これは戸惑った。




  走っているというのが撮れたのは、これが最後。加速して減速した。ありゃりゃ、いつもの感想。




  止まっている時間は1分。車掌さんが降りている。ここからみると、確かに、ラビットという感じだが、走りは、チータな感じ。車両番号は、クロ683-8001、他のファイルで何とか読み取れる。たぶん間違いないと思う。

  3番線のホームを探すというか、こちらだろうという方向に来てみると、『はくたか』の走っている姿を見ることが出来た。駅には色々、探ってみたいところがあるが、それも十分に注意してやらないといけない。これはいつもの自分への言葉。

もう直ったらしい

2008-04-13 08:57:23 | 散策
  しばらく時間がたった。
  掃除などして、簡単にである、椅子に座る。先ほどまで大きな音をたてながらやけにゆっくり歩いているようだったが、その音も小さくなり、また間隔も短くなっている。外に出る、ドアを開ける音もする。何かを放り投げた音もした。

  どないなっているんや、さっきまでの、ちょっと大仰とも言える、半分泣いているような声は何だったのか。
  こっちのほうが頭が重く、この先どうするか思案したが、どうも先ほどまでの状態とは違うようだ。
  
  確かめに行く。特に変な格好で歩いている、あるいは立っている、座っている様子はない。これはどうしたこと。「足が痛いので歩けなかったのではないの」、と聞いてみる。なんだか、もにゃもにゃ言う。どうも、本の少し前のことも忘れているかのようで、心配して損した。たぶん、これからも、こうゆうことはあるだろう。なんだか、こちらの体がすでに重い。

  まったく、何といっていいのか。朝からショボンとしたことを書いた。それが、もうそうではないようで、急いで、このことは忘れよう。
  ただ、いい機会でもあって、結局のところ負担が増えるというのは、間違いがない。

いつもの朝が、来た

2008-04-13 07:13:59 | 散策
  朝の天気、曇り。少し寒い気もする。風はないか弱め。室温13℃、これは普通。

  今日は日曜、その感じがしない。何かが変なのである。ガタガタ、音がする。誰かが、ちゃんと歩けずに難儀をしている。確かに、きのうまでは、ちゃんと歩いていたし、父が布団で休むときも、そばにいて布団をかけている。それも終わって、何事もなく平穏に時間はたった。
  それが朝になってみると、どうもちゃんと歩けないらしい。
  これは困ったことになったが、どうしようもない。父を起こして、こちらは、よっこらしょっとうまく持ち上がった。着替えも済んだ。なんか腰に来るものがある。それ以外に、来るものが来たようだ。

  体の変化というものは、一体にいつ来るかわからない。わからないまま、年月がたつ。それで、何とか生きている。どうも、何でも自分の思うようにいかなくなるときは来る。同じようなことを書いているようだ。そうゆうことも想像しないこともなかった。
  どうも朝から、あまりいい話しでもない。
  まずは、あまり悲観しない、そう自分に言い聞かせる。それにしても、このことに対する策というものを、あまりにも考えてなかった。