暖かい一日で、汗かいた。大汗をかいて、それも暑いからどこかへ飛んでいったようである。少し、塩分が体外に排泄されて、これはそれでよかった。それから、水をがぶがぶと飲んだかというとそうでもなく、いつものように、ポットの中の熱めのお茶を水で冷ましてから、飲んだ。のどが渇くまではいってなく、いつもの量である。
堪忍袋というのがある。これは、各自持っておられて、それも色々な種類がある。その堪忍袋の緒が切れるなど、よくあることのようで、それを書くわけにはいかないし、またそうゆうものは、緒が切れてもそれを結ばないと、そのままのようで、またその緒の切れ方もそう簡単には切れなくなる。これが、大人になるということなのか、うまいことたしなめられて育ってきた。
でも、やっぱり堪忍袋は切れるし、そうでないとTVのドラマも始まらないし、生活そのものも平坦な、均一なものになってしまって、さぞかしつまらない日々を送るようにも思える。それゆえ、やはりたまには、この緒を切ることが必要になる。それをやって、あーやっぱり、そんなことしてもどうにもならないなど思うわけだが、それと同じことを相手が、第三者が考えていることの予測は、これは簡単で、相対化の世界では決め手になるものはなかなかない。どこかしら、ぼやけていて、ミスもある。相手のミスも、こちらがそれをちゃんと見てれば、わかることがある。それに気付く遅さ。
午前中は、なんだか自信がなくなってゆく、そうゆう恐怖というものを味わい、これも正常な証拠と自分を励ます。今日はやけに暖かい。それにも気付かなかった。
外に出る。出てからかなりたって、財布を忘れたのはきのうのこと。これは久しぶりのことで、他のことを考えていたから。その必要性があった。それで、マイバッグも持った、ズボンもはいたが、肝心のお金を忘れた。こうゆうことが日常で起こるが、これも老化の証左。なんでも、老化が悪い、そうゆう風にしておく。まだ、気分というか心持ちは、子供のままな気もするのに。
今日は、持つものは持った、しかし、気温までは感知出来ず、汗かいてさすがに着ているものを脱ぎたくなる。
レンゲの花を、見たのはきのうであって、これがよく目に入ってくれた、小さな感激。レンゲもなかなか見ることが出来ない。それでも、どこかからタネが飛んできて、カラスノエンドウと一緒に、よく似た、レンゲが咲くことはある。今回は、田んぼで。その田んぼは、たぶん2年前だと思うが、一面レンゲが咲いた。これはタネを播いたからで、これが適度な大きさになるときに、鋤き込まれる。これで、翌年もレンゲが咲くかというと、どうもそうはいかないようだ。
レンゲがなぜ、田んぼに植えられるか。これは、話しとしては、レンゲの根っこに付く根粒菌が、分子状の窒素、空中に嫌というほどある窒素分子を固定して、それが肥料として植物が使える形に変えるからであって、ここまでは特に問題はない。これで窒素肥料がまかなえる。それで、どのように、この分子状の窒素が固定されるかという問題が残るけれど、これはおそらくまだはっきりとは解明はされていないのではないか?。
まだまだ春であるという散歩。
レンゲの花。これともう少し離れたところにも、似た感じに咲いているところがある。その程度しかない。まったくないよりはいいようだ。
今頃、スイセンというもの。この花の向こう側にブロック塀があって、今ごろにこのスイセンが花を咲かせる。この小さな花が、人の顔にも見えてきて、でもちょっと小さいかな。
かなりな数のタンポポがある。ちょっと濁った感じの色になった。
桜は、まだ咲いていて、
花の色も、明るいと桃色がはっきりする。葉の緑と和菓子のような色合いを醸し出していて、甘いものがチラチラする。
堪忍袋というのがある。これは、各自持っておられて、それも色々な種類がある。その堪忍袋の緒が切れるなど、よくあることのようで、それを書くわけにはいかないし、またそうゆうものは、緒が切れてもそれを結ばないと、そのままのようで、またその緒の切れ方もそう簡単には切れなくなる。これが、大人になるということなのか、うまいことたしなめられて育ってきた。
でも、やっぱり堪忍袋は切れるし、そうでないとTVのドラマも始まらないし、生活そのものも平坦な、均一なものになってしまって、さぞかしつまらない日々を送るようにも思える。それゆえ、やはりたまには、この緒を切ることが必要になる。それをやって、あーやっぱり、そんなことしてもどうにもならないなど思うわけだが、それと同じことを相手が、第三者が考えていることの予測は、これは簡単で、相対化の世界では決め手になるものはなかなかない。どこかしら、ぼやけていて、ミスもある。相手のミスも、こちらがそれをちゃんと見てれば、わかることがある。それに気付く遅さ。
午前中は、なんだか自信がなくなってゆく、そうゆう恐怖というものを味わい、これも正常な証拠と自分を励ます。今日はやけに暖かい。それにも気付かなかった。
外に出る。出てからかなりたって、財布を忘れたのはきのうのこと。これは久しぶりのことで、他のことを考えていたから。その必要性があった。それで、マイバッグも持った、ズボンもはいたが、肝心のお金を忘れた。こうゆうことが日常で起こるが、これも老化の証左。なんでも、老化が悪い、そうゆう風にしておく。まだ、気分というか心持ちは、子供のままな気もするのに。
今日は、持つものは持った、しかし、気温までは感知出来ず、汗かいてさすがに着ているものを脱ぎたくなる。
レンゲの花を、見たのはきのうであって、これがよく目に入ってくれた、小さな感激。レンゲもなかなか見ることが出来ない。それでも、どこかからタネが飛んできて、カラスノエンドウと一緒に、よく似た、レンゲが咲くことはある。今回は、田んぼで。その田んぼは、たぶん2年前だと思うが、一面レンゲが咲いた。これはタネを播いたからで、これが適度な大きさになるときに、鋤き込まれる。これで、翌年もレンゲが咲くかというと、どうもそうはいかないようだ。
レンゲがなぜ、田んぼに植えられるか。これは、話しとしては、レンゲの根っこに付く根粒菌が、分子状の窒素、空中に嫌というほどある窒素分子を固定して、それが肥料として植物が使える形に変えるからであって、ここまでは特に問題はない。これで窒素肥料がまかなえる。それで、どのように、この分子状の窒素が固定されるかという問題が残るけれど、これはおそらくまだはっきりとは解明はされていないのではないか?。
まだまだ春であるという散歩。
レンゲの花。これともう少し離れたところにも、似た感じに咲いているところがある。その程度しかない。まったくないよりはいいようだ。
今頃、スイセンというもの。この花の向こう側にブロック塀があって、今ごろにこのスイセンが花を咲かせる。この小さな花が、人の顔にも見えてきて、でもちょっと小さいかな。
かなりな数のタンポポがある。ちょっと濁った感じの色になった。
桜は、まだ咲いていて、
花の色も、明るいと桃色がはっきりする。葉の緑と和菓子のような色合いを醸し出していて、甘いものがチラチラする。