光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

嫌な南風が、ツバメを運ぶ

2008-04-04 18:58:54 | 散策
  春の強風は、嫌であって、その程度は「かなり嫌」ということになる。花粉症のことは置いておいて、
  それ以外に、似たり寄ったりか、まずは、ゴミがすごい。これ、目にはなかなか見えないが、しばらくすると、その辺りに、缶ジュースやら、ビールの空き缶やら、なにやら不明の白い布、その他、発泡スチロール性の緩衝材の切れっ端、ゴミ袋、肥料や農薬の袋、畑で使う、マルチとかいう黒いビニル、それに、買い物袋が散在。よくもこれだけあるな、というくらいのものが、飛んできてその辺りに、留まっている。この中に、ここのものも混じっている。その可能性も大きい。何しろ、風でガタガタ、プラか塩ビの波板は、かなり激しく揺れる。

  これが目に見えているもので、目に見えないものは、この感触をそのまま敷衍すると、かなりなものが飛んでいると予想される。塵やら、綿ぼこり、砂の軽いの、それから、何だろうか。この三つじゃちょっと迫力が足りない。こうゆう日に、家族に花粉症の方がいないご家庭では、布団を干したりされる。洗濯物は、これはどこのご家庭でも干す。うちでも、干していて、それが飛んでいかなかったことは幸いであった。そばに、水の入った、金属製の容器があって、満杯、これほぼ水道水か雨水であって、ときに鳥がいるようであるが、こんなでかいバケツやらタライから、水を飲むことが出来るかちょっとわからない。そのものに、洗濯物がつかっているときもある。
  洗濯物は、ま、仕方ないとして、布団など干される方は、これで布団の殺菌も出来た。確かに、これから紫外線は強くなるか、もう強すぎるかで、あるものは死滅する。しかし、同時にいろいろなものも、それがほとんどが塵やら、埃であると想像する、その布団にくっ付くと思われる。外に干して、パタパタやると、その布団はきれいになった気がする。しかし、ほぼ同じ量のゴミがくっ付くと考えられるので、何しろ、他の方も、外でパタパタやっているからである。布団は少しふっくらし、また細菌なども死滅するだろうが、きれいになったか塵芥の観点からは、怪しいということになると思う。

  そういえば、今日は風が強く、かつ気温も上がり、お日様も十分に出ていて、このお天気だと、マイバッグがどうの、エコバッグがどうのなど、温室ガス効果の問題よりも、紫外線対策にかなり気を使わないといけないだろう。温暖化も大いに気を付けないといけないものだが、紫外線はもろに体に影響を与えるから、これ、忘れてはいけない。私自身も、この紫外線の対策に感心を寄せないといけないと思っている。しかし、今のところ、せいぜい外歩きのときは、傘を差すくらいのことしか思い浮ばない。この紫外線の量も、花粉同様、お知らせがあってよいもののように思える。

  朝に、なにか少し普段聞きなれない鳥の声を聞いたような気がして、思い浮かんだのはツバメであるが、違ったようである。まだ、来ないかも知れない。しかし、もう来たという情報もある。この目で確かめるしかない。そんなことも、このひどい南風、南西の風にあおられるようにして、歩いていて、これでまた花粉症がひどくなると思い、忘れていた。しかし、ツバメはやはり来ていたのである。スーパに寄って、お札が昔は100円札があった、それより今の千円札は価値がないわいなど思いつつ帰って来て、ある田んぼのその上に、ツバメが飛翔しているのを見つけた。これは本物のツバメで2羽チャンとそろっていた。かなりなスピードを出していて、餌を探している。このツバメ、ここで生まれてなど思うこともなかったが、大体、今頃が、この辺りで最初にツバメを見る時期であって、これには狂いはない。
  ツバメを運ぶ役割を南からの風は果たしている。これ、考えると、ゴミのこともしばし忘れた。紫外線のことも忘れた。


  きのうはかなり激しい雨風で、これに翻弄されたが、




  そばにあるハクモクレンでこの様子を現わすとこのようになるだろうか。多少、暗めに調節していて、それ以外は、機械まかせである。

  その嵐が去ると、




  こんな夕日が西の空に現われる。まったく、もう少しこの雨風、春の嵐もなんとかならんものか。この夕日を見つつ、うなる。まったく、寒い思いをした。

  日付が変わった。




  弱弱しい、貧相な、幽霊がのりうつったような、ここのスイセンが、小さく花を咲かせていて、これには驚いた。このスイセン出るには出るが、花は咲かないものだったからだ。この手前は、茶色い草の生えていない地面がある。

本の広告の、本

2008-04-04 07:17:19 | 散策
  朝のお天気、晴れ。快晴に近く、空は、もう真っ白。風は南からで、これがきつく、窓も開けていられない。花粉が来る。室温、10℃。放射冷却。

  眠れる時もあるもので妙な夢も見ていたが、予定時間まで眠っていた。
  起きると、日も出ている。明るい。その少し前に、いっとき起きたので、外を眺めるが、もう薄明も過ぎていてかなり明るく、残念ながら木星も見えない。位置検討が違っていたかも。

  新聞を見ると、ときに週刊誌の広告が載るが、これもうまいというか、何というか、これを読むとお腹一杯になってしまう、そうゆう広告になっていて、あとは数を増えることを願うのみだが新聞社の営業マンの願いはかなわず、載るものは決まっていて、残念である。もう少し、サラリーマン、若い人が読む、そうゆう週刊誌の広告が見たい。
  『岩波新書』が、今年創刊70周年をむかえる。1938年11月20日に誕生した、そう『図書』2008年4月号の広告に出ている。それで、一気に10冊も新書が出るのか。これではお小遣いでは全部買えないなー。この20年前というと、
  当然ながら、20年前は、創刊50周年というのがあって、しおりだけ一枚手元にあって、その最初に、大江健三郎氏の『新しい文学のために』が出ている。これはたぶん読んでいない。たぶんは要らなかった。別役実氏の『当世・商売往来』は、これは読んだ記憶がある。
  70周年というところで、買いたいものは池内了氏の『疑似科学入門』というところかも知れない。科学なのか、科学ではないのか、それ以前の問題のように思えるが、何しろ科学というものも、時代とともに過去の誤りやらが修正されるという、そうゆう本質を持っているものなので、この疑似科学というものを知ることも、科学の本質に迫るもののようで、一読の価値は十分ある。
  科学というと、なんだかややこしくて頭も痛くなるものであるが、これはあまりに日常から、その対象が離れてしまったこともあるからのようで、しかし日常から科学は発達したのであって、そこに最初から素粒子があったわけでもなく、また長い間、地球が丸いなんて多くの人は考えてなかった。これらも、日常の出来事から、いつのまにか発見されたものだろう。

  まだまだ、未知なるものはたくさんあって、興味深い現象はあちこちにある。人の行動もおかしく、また株が上がった下がったで、騒ぐその人の心理もおかしい。なぜ、株がどうのこうのニュースで取り上げられるか、これもわからないままだ。この世の、未知なるものはたくさんあって、それに興味を持たざるを得なくなる日が日常になる。精神もむべなるかな。それにしても、こうゆう本を読むとやっぱり頭も痛くなる。