名古屋から発するブログつぶて・凡人のひとりごと

身の回り、世間のできごとをを日記風に記す(紙つぶてならぬブログつぶて)。

道路特定財源について

2007-12-09 20:31:09 | Weblog
2007.12.9
 政府・与党は12月6日、使い道を道路整備に限っている道路特定財源の見直し案を固めたと新聞が報道している。2007年度末で期限切れとなる現行の暫定税率を2008年度以降も10年間継続するほか、高速道路の料金引き下げに10年間で総額約2兆5千億円を振り向けることや、道路整備以外の財源にも使える一般財源化の方針は継続とする案などが柱だそうである。
 道路特定財源の暫定税率は揮発油税など昭和49年度から本則のほぼ2倍で実施されており、いまや30年を超えて暫定が続いているという変則の事態である。
 ちなみに、この暫定税率による平成19年度当初予算ベースにおける道路特定財源の税収額は、次のようになっている。
 ・揮発油税 2兆8395億円 ・石油ガス税 132億円  ・自動車重量税  5549億円 
   国分計 3兆4076億円
 ・地方道路譲与税 3072億円 ・石油ガス譲与税 140億円 ・自動車   重量譲与税 3599億円 ・軽油引取税 1兆0360億円 ・自動車取得  税 4855億円 
   地方分計 2兆2026億円       
   合 計 5兆6102億円
 なお、地方税である「自動車税」(1兆7477億円)や「軽自動車税」(1636
億円)は一般財源であり、道路特定財源ではない。
 この道路特定財源制度について国土交通省は、合理性・公平性・安定性にすぐれており、自動車の使用量=道路の走行量に見合った燃料に対する課税、道路の損耗に見合った重量に対する課税など、負担と受益とが比較的分かりやすく、さらに税収としても安定している、としている。 
 この制度により、戦後日本の道路整備が進み、我が国の経済・社会の発展を支えてきたといえることは事実である。
 しかし、道路整備が進んだ近年においては、その必要性への疑問や重税感が訴えられ、抜本的改革が必要との主張や一般財源化などが議論されるようになっているのが現状である。
 筆者は、もともと道路の整備という目的のためにつくられた税制であり、一般財源や目的を離れた使途に使うのであれば、まず、暫定税率を本則の税率に戻すべきであると考えている。いや、道路整備に使う費用としてはまだ不足しているというのであれば、きちんとした国民的議論(さらなる道路整備の必要性、環境対策への使途の拡大など)を踏まえた上で、本則を改めるのが筋である。
 今回の政府方針のような高速道路料金の引き下げといったような使途に充てるというのも、高すぎる高速度料金からして、一見もっともであり国民受けするからよいのではなく、高速道路をほとんど利用しない人にとって不公平な扱いとなるという道路目的財源本来の姿に立ち返って判断する必要があることを忘れてはいけない。もっと厳密な議論が必要であることを訴えたい。

教科書検定審議会(検定審)とは一体なにものか。

2007-12-07 18:14:21 | Weblog
2007.12.7
 沖縄戦における集団自決への日本軍の関与について、その強制性を否定するように教科書を書き換えるよう検定審が指示して、実際に教科書を書き換えさせていた問題は、沖縄県はもとより政府も巻き込んで大問題になっていた。
 今朝の新聞によると、検定審は訂正申請の記述を承認する際の指針を決め、文科省を通じて各教科書出版社に伝えていたとのことである。その中身は、軍の強制性についての記述を認める一方で、沖縄戦は軍・官・民一体の戦いで、捕虜になることを許さない教えが徹底されていたことなど背景事情の説明を求めているということのようである。住民に手りゅう弾を配っていたことなどから、軍の事実上の強制については認めるが、直接的な命令は証明する資料がないからなかったとしている。背景事情を説明することは、大いに結構なことであるが、証明書がないから軍の直接的な命令はなかったというのは、驚くべき結論である。戦後早や62年経過してもなお、多勢の生き証人がいるのにである。検定審のメンバーは、生き証人よりも紙切れの方がよいのだろうか。
 こうした理由で、記述変更を求めた先の検定意見は撤回する必要がないとのことである。いったん出した検定意見をそう簡単には曲げない意志の強さには尊敬するが、あくまでも誤りを認めようとしない姿勢は、公平中立であるべき審議会の委員としては不適格であると断じたい。

名市大元教授が学位審査で収賄容疑・逮捕

2007-12-06 17:14:41 | Weblog
2007.12.6
 名古屋私立大学大学院医学研究科の教授在任中、自分が審査した論文で博士学位を取得した医師から、謝礼に現金を受け取っていたとして、県警は5日、元教授の伊藤誠容疑者(68)を逮捕したと発表した。
 新聞報道によると、伊藤容疑者は2005年3月下旬、同2月上旬に実施された学位論文の審査で、有利な取り計らいをした謝礼として、医学博士学位を授与された勤務医ら5人から計百数十万円を受け取った疑いだそうだ。本人は、「現金は受け取ったが、審査で便宜をはかった認識はない」と趣旨を否認しているとも伝えている。
 一方贈った5人は、任意の事情聴取で現金を渡したことや趣旨を認めており、県警は書類送検をする。
 博士学位を取得するには、論文審査と口頭試問を受ける。5人の供述などから県警は伊藤容疑者が口頭試問の内容を事前に教えていた疑いがあるとみているとのことである。
 はてさて、また妙な事件の発覚である。そもそもこの世界では、学位をとったら担当の教授のところにお礼を持っていくのは医局内の常識で、モラル的におかしいとか、間違った習慣だとか疑問は全くなく、代々当たり前だったと謝礼を贈った医師の一人が話しているそうである。
 「白い巨塔」といわれる医学の世界での、世間では知られていなかった不祥事ではある。以前患者が、手術をした医師に命を助けられたと謝礼を届けて問題となったことがあるが、ある意味で、それに似ている。師事していた教授のお蔭で博士の学位が授与されたのだから、お礼をしたいという日本人独特の感情(恩を受けたのだからお礼をするのは当然)なのであろうか。
 こうしたことから類推するに、今回は、名古屋市立大学での問題として表に出てきたが、全国どこの大学でも、また医学部に限ることなく行われているのではないかと思えてくる。今回の愛知県警の措置は、氷山の一角としての見せしめではないかと思える。そういう意味では、今回逮捕された伊藤元教授は博士誕生のいけにえであり、正常化へ向かっての犠牲者かもしれない。この際、関係者はこれを機会に心して対処すべしと言うべきか。これも今後の進展に興味がわく(第三者は気楽でよい)。

タルイカ釣行

2007-12-02 08:48:32 | Weblog
2007.12.2
 11月30日、福井県敦賀半島の色が浜から出ている豊漁丸に仲間4人と乗船して、1年ぶりのタルイカ釣りに出かけた。乗客は我々4人を含めて7人、大きな乗合船なのでゆったりとできる。午後3時30分出船、およそ1時間余りで釣場に到着したが、それまでの小春日和の好天から釣り開始と同時に一転、雨模様の悪天候に見舞われた。予報では弱雨であったがむしろ強雨に近く、すぐに白波も立ちはじめ荒れ模様の中での釣りとなった。ただ、タルイカは月夜の明るい穏やかな夜より、雨模様の多少荒れたときのほうが食いがよいと言われているので、内心、期待は高まっていた。
 ところがである。5時開始から3時間経過した時点でも船内1匹の超過もなく、不安が漂い始めた頃、2本竿でマイカも狙っていた仲間の一人(A君)が、そのマイカ仕掛けで胴長30センチ、小型のタルイカを釣りあげた。さらにしばらくして、その同じA君の竿に今度は大きな当たりがあり、格闘の末、胴長69センチ、重量約15kgの大型タルイカを釣り上げた。そして午後9時ごろ、やっと筆者の竿に当たりがきて胴長50センチのタルイカをゲットした。さらにA君が小型の30センチ級も釣りあげた。しかし他の二人の仲間はぼうず、その他の釣り客も釣果なし。船長からも最悪と言われてしまった。そして今日はここまでと思われた納竿時刻の午後10時まさにその時、水深70メートルのところで筆者の竿に大きな当たりがあり、胴長72センチの超大物をしとめることができた。このぐらいの獲物になると、糸は逆回転して出ていくばかりで引き寄せられない。船は、もうシーアンカー(いかり)を上げて発船を待っている。ただあせるばかりであった。仲間の助けを借りて15分ほどの格闘の末、引き上げた。これまでのタルイカの中では最長・最重量である。1杯釣れれば良しとするこの釣りとしては大満足である。しかし、この日の釣果は大小合わせて5杯、しかも釣ったのは7人のうちの2人だけというさびしいものに終わった。
 ここで、タルイカについての思い出話を少々。
 6~7年ほど前、福井の小浜港から乗った船でマイカ釣りをしていた時、他のグループの一人が擬餌針(イカ専用で「スッテ」という)に乗ったマイカにしがみ付いて上がってきた巨大なイカを見たのが最初だった。それはマイカからみれば何十倍もの大きさに見えた。これがタルイカとの出会いである。都会の人間が、スーパーや魚屋で見るイかと言えば、マイカ、ヤリイカ、スルメイカ、アオリイカ、コウイカはたまた親指ぐらいのホタルイカなどである。これらは成長しても数センチから大きなもので40~50センチ重さもせいぜい1~1.5キロ程度のものだ。人生60有余年、イカとはこんなものだと思ってきた。したがってタルイカをみたその時は驚異の何ものでもなかった。今から思えば、その時のタルイカはマイカ釣りの細仕掛けの糸で上がってきた程度で、タルイカとしてはそれほど大きなものでなかったし、また、その後、世界の海には十数メートルにも及ぶ巨大イカが存在することを知って、わが身のイカに関する浅薄な知識に恥じ入ったものである。
 さて、そこでそのタルイカ(学名はソデイカ)である。胴長80センチ以上、重さ10~20キロなどというのが当たり前のイカである。身の厚さも5~6センチに達する。晩秋から年の暮れにかけて、沖縄、鹿児島を経て、北陸にまで北上してくるということが分かった。また、その時期にタルイカ釣りの専用船が出ていることも知って、2001年10月に仲間と釣行したのがタルイカ釣りの始まりである。しかもこの時はまた格別によく釣れた。記録によると、仲間8人の他に他のグループ8人で船中約60杯上げたことになっている。以後、毎年必ず釣行計画に入れている。
 ところでこのイカは、そのまま生で食べるより一度冷凍して解凍した後がうまい。そのままでは硬すぎる上に甘みも少ないが、しばらく冷凍した後、解凍して刺身で食べると軟らかく、もっちりしてこれぞタルイカの本来のうまさである。寿しネタとしても使われ、甘みがあっておいしい。冷凍してうまいというタルイカは、保存にも適しているということでもある。