名古屋から発するブログつぶて・凡人のひとりごと

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羽田孜元首相死去の報

2017-08-29 08:45:10 | Weblog
2017.8.29(火)
 羽田孜元首相が28日朝、死去した、とメディアが報じた。82歳だが、死因は老衰としている。
 羽田氏は1969年、2世議員として衆議院旧長野2区から自民党公認で初当選した。
その後の経歴は、自民党竹下派に属し、「七奉行」の一人に数えられた。中曽根、竹下両内閣で農相を務めた。
 リクルート事件後、政治改革の一環として小選挙区制の旗振り役を担い、現行の小選挙区制度を導いた。
 宮沢内閣では蔵相についたが、93年6月、宮沢首相に反旗を翻して内閣の不信任決議案に賛成、小沢一郎氏らと自民党を集団離党して、新生党を結成した。8月には、「非自民」勢力七統一会派による細川連立政権で副総理兼外相に就任した。
 その後、94年4月に細川内閣の総辞職を受け首相に就任したが、不安定な少数与党のため同年6月の予算成立後、総辞職した。戦後では、東久邇宮内閣の54日に次ぐ二番目に短い政権で、現行憲法下では最も短い内閣であった。
 94年12月には新進党の結成に参加したが党首選で小沢氏に敗れ、96年12月に太陽党を結成、さらに民政党の代表を経て、98年4月に民主党幹事長に就任。その後は、特別代表、最高顧問も歴任し、2009年の民主党政権樹立に貢献した。
 12年4月の選挙に立候補せず引退、13年4月には桐花大綬章を受賞して政治家として花を添えた。
 自民党を飛び出し、自民党の長期一党支配をくずし、野党を糾合して「非自民」政権を樹立させた根性は当時としては見上げたものであった。身勝手で勝手放題でバラバラな政治家の中にあって、人の意見に聞く耳を持ち、まとめ役の中心にいた彼なくして今の民進党はなかったかもしれない。また、今の自民党の中で、こうした人物が現れようがないのは淋しい話である。