名古屋から発するブログつぶて・凡人のひとりごと

身の回り、世間のできごとをを日記風に記す(紙つぶてならぬブログつぶて)。

長崎原爆の日 長崎市長、政府を批判

2013-08-10 09:51:36 | Weblog
2013.8.10(土)
 長崎は9日、被爆から68年の原爆の日を迎え、平和公園で長崎市主催の原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が営まれた。
 田上富久市長は、今年の4月に開催された核拡散防止条約(NPT)再検討会議の準備委員会で、核兵器の非人道性に関する声明に政府が賛同しなかったことを「世界の期待を裏切った。核兵器使用を状況によっては認めるという姿勢で、原点に反する」と批判した。
 またインドとの原子力協定の交渉再開についても「NPTを形骸化することになる。核保有を目指す北朝鮮に正当化の口実を与え、朝鮮半島の非核化の妨げになる」と述べた。
 そして市民に対しては、戦争放棄を明示した日本国憲法の前文を引用し「平和希求の原点を忘れないためには、戦争体験、被爆体験を語り継ぐことが不可欠」と訴え、若い世代に「あなたたちこそが未来」と語りかけた。
 長崎市長としての個性、主張をにじませた立派な平和宣言である。先の6日
に行なわれた広島市長の「核兵器廃絶」の平凡な一般論に比べると被爆市の市長としての強い意思を感ずる。 
 一方で挨拶に立った安倍首相は、「確実に『核兵器のない世界』を実現していく責務がある。非核三原則を堅持しつつ、核兵器廃絶に力を惜しまぬことを誓う」と述べたに留まった。こう言いながら上記の共同声明に日本政府が署名しなかったのは「「いかなる状況下でも核兵器を使用してはならない」という一文が入っていたからだという。
 日本は核兵器を持たない代わりに、他国が日本を核攻撃したら米国が核で報復するという「核の傘」に頼っている。「いかなる―」との表現はそのことと矛盾するというのが政府の言い分である。結局、アメリカに同調して核の使用を認めるというのが政府の本音である。
 田上市長は政府のこの姿勢に対して「被爆国としての原点に返ることを求め」たのであろう。