名古屋から発するブログつぶて・凡人のひとりごと

身の回り、世間のできごとをを日記風に記す(紙つぶてならぬブログつぶて)。

市営バスに物申す

2010-01-22 10:28:10 | Weblog
2010.1.22
 地下鉄の終着駅である野並駅からは始発バスがいくつも出ている。筆者も都心へ出た帰りには、この野並駅発のバスを利用している。帰りであるから日が暮れるのが早いこの時期、すでに辺りは闇に包まれているし、何しろ空気は冷たく、風の強い日などその寒さは身にこたえる。
 家路へ向かって地下鉄から乗り継いだ人たちは、目的のバスの発車時刻よりも5~10分前から列をなして待っていることが多い。ここまでは当たり前の光景である。何よりも野並始発のバスを待っているのだから、よもや遅れてくるとは普通は思わない。
 バスは交通渋滞に巻き込まれることや交通事故に遭遇することもあって、遅れることはやむを得ないと一般市民は寛大な気持ちを持っている。しかしそれは、あくまでも途中の駅でのことである。始発バスが遅れるなどということは、これも普通は思わない。バスが発車してくる車庫が遠くにあって、交通渋滞に巻き込まれるような位置にある場合なら始発バスといえども遅れることはあり得る。
しかし、野並にはすぐ近くに野並車庫があり、その距離は1キロもない程度で、バス時間にして2~3分のことである。
 それなのにである。筆者の利用する1時間に1本しかないバス路線では時として始発時間を遅れてくる。気候のよい時なら少々の遅れなど気にはしない。しかし今のこの時期、たとえ1分でも2分でも早く来て欲しいと誰もが期待して待っている。そういう時もあるにはあるが、始発バスが1回でも遅れて来るようなことがあっては、失格である。
 あるときは、10分前から並んで待っていたのに、冷たい寒風の中で、20分も待たされたことがある。この時は誰もがこのバスはもう間引きされたと思ったが、一部あきらめて立ち去った人を除いてはどうすることもなく、辛抱強く待っていた。運転手はいつもの通り『お待たせしました』の一言で終わりである。これは特別な例かもしれないが、1~2分程度の遅れはしばしばである。1~2分の遅れなどと安易に認めてはいけない。乗客は乗り継ぎもあり、5~10分も前から定時発を信じて待っているのである。
 そもそもサービス業であるなら、待っているお客様のことを慮って5分程度は早く行ってバスが乗客を待っているのが本来の姿である。大きなバスが道路を占拠してはいけないというなら、1分でよい。
 営業所長も運転手もそのぐらいのサービス精神ぐらい、議論したことはないのであろうか。